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もつお「高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで」KADOKAWA (2021)

医療者として現場に立ち続けてきたおかげで、本当に色々な人に出会う。そうした経験こそが、人間は一筋縄でいかない。だからこそ人間存在は崇高なのだ、という思いも重ねてきた。


一見理解できない相手と出会うたびに、相手をなんとか理解したいと思う。


当事者であった漫画家の方が描く世界は、そうした時の印象やムード、理解し難いモヤモヤの本質を、すごくよくイメージにしていると思う。


摂食障害は理解されにくい病気の一つ。この漫画では、そうした状態の一端をすごく的確に表現していると思う。最後のページは思わず泣けた。


・・・・

学生の時、人は誰もが自分の評価が気になる。誰もが「自分はどう思われているのか」と、とにかく気になる。SNSの普及はさらにそうしたことを後押しする。


大学生や社会人になると、思っているほど誰も自分のことを気にしていない、ということに気づき、そういう穴から抜け出る人が多い。ただ、特に思春期の揺れ動く時には人の評価が気になってしょうがないものだ。それは学校や家庭、社会の環境が無自覚に作り出しているのかもしれない。

誰かによく見られたい、悪口を言われたくない・・・。

それは、学校などの狭い場で唐突に起きる「いじめ」や「仲間はずれ」という、不可思議な場の力学を体験したことがある人こそ、強く思うのだろう。絶対にこういう目に遭いたくない、と。


この漫画では、死んでしまうギリギリのところまで「食べない」選択をし続け、死の淵から生還した一人の女性が、周りを気にせず自分が熱中できる対象と場を発見し、美大に入り、そのことで蘇生していく姿が赤裸々に描かれていた。


最後、こうした漫画を描く行為が、自分のすべての過去を受け入れて未来へ歩んでいくプロセスと一体になっているところで幕が閉じた。ああと嗚咽と共に涙が出る。

人はこうして自分で自分自身を損なうこともあれば、芸術や表現の力で自分自身を救うこともある。

こういうことも含めて人生なんだな、と。



わたしたちは、お互いのことを知らなくても、同意できないところが多くても、深く理解し合うことはできる。対話とは、そういうもの。


当事者がどういうプロセスで穴に落ち、そこからギリギリのところで陰が陽に転じて生還してきたか。一人一人のドラマを理解することは、医学書を何冊読むよりも、深く心に刺さるものです。


もしこの書き手が若い時に死んでしまっていたら、この本は永久に世に出なかった。そう思うと、生きていることだけでなんと尊いことかと。人生は何がどう転ぶのか、誰にも分らないものだ、だからこそ、いま辛い人も、生きてほしい、と、強く思います。


自分で自分のことを信じられず、自分以外に大丈夫と言ってくれる存在をつくりあげざるをえなかった。

生きづらさを和らげるために自分が作り出した存在が、自分を痛めつける存在となり、その矛盾は命を失う寸前まで追い込んでいった・・・・。


同じような状況で苦しんでいる人、その周囲を支える人にも、何かヒントが得れる本だと思います。自分も当事者になったような気持ちで、読みました。





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