

水平線と同じ目線で湯に浸かる。@HOTEL SEAMORE「三段の湯」
和歌山県。南紀白浜のHOTEL SEAMORE(ホテルシーモア)、「三段の湯」へ。 こちらにはまだ泊まったことがなく、海を望む足湯(これまた絶景!)をいつも堪能させてもらっていました(足湯は温泉ではないらしい?)。 今回は、温泉の調査・分析の機会に、初めてHOTEL SEAMOREの中にある「三段の湯」に入らせていただきました。 これが、想像以上にすばらしかった。 崎の湯でも感じた、海と同じ目線になるような感覚。 湯面の向こうに海が続き、その先に水平線がある。景色を眺めているうちに、自分もその風景の一部になっていくようでした。ちょうど夕焼けが目に溶け込んでそれはそれは美しく。 「三段の湯」というだけあって三段階の深さがあり、深いところは120cmの立ち湯。 ホテル公式では、行幸源泉を使った源泉かけ流しと案内されています。 泉質は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。塩化物泉の保温性と、炭酸水素塩泉の皮膚の清浄作用という、二つの特徴をあわせもつ泉質です。 立ち湯に浸かりながら、温泉の歴史にも思いを巡らせました。 かつて有馬の共同浴場には、深さが約1


京都・柊家(ひいらぎや)。百年先へ、美しい時間を手渡す宿。
京都の老舗旅館「柊家(ひいらぎや)」を訪問。 今回は宿泊ではなかったのですが、大女将の温かいお心遣いで、特別に館内をご案内いただいた。 京都には、柊家、俵屋、炭屋、晴鴨楼など、長い歴史を持つ名旅館がある。 共通しているのは、単に豪華な宿泊施設ではなく、建築、庭、料理、器、季節、そして人の振る舞いまで含めて、日本文化を次世代へ受け継いでいること。 柊家の創業は1818年。 初代庄五郎が福井から京都へ移り、運送業や海産物商を営んだことに始まる。二代目は刀装具の技にも優れ、求められるままに人々を泊めるようになり、1861年に旅館を本業とした。 屋号は下鴨神社境内の比良木神社に由来する。邪気を祓う柊の木への信仰が、宿の名前になったという。 幕末の志士、皇族、文人墨客、そして海外の旅人たちを迎えてきた、二百年以上の歴史。 喜劇王チャールズ・チャップリンもこの宿を訪れ、茶室で抹茶を楽しんだと伝えられる。 そして、川端康成が愛した宿としても有名だ。 川端が滞在した14号室。低い廊下を抜けて部屋に入り、庭へと視線が開ける構成は、『雪国』の冒頭、トンネルを抜けた先


京都・八坂神社。龍脈、水、言霊、そして「和える」という日本の精神。
京都・祇園の八坂神社を訪問。 野村明義宮司に、境内をご案内いただいた。 野村宮司との対話はいつも本質的だ。神話、歴史、陰陽道、哲学。膨大な知識が一つの世界観としてつながり、神道への理解がさらに深まっていく。 こうした大いなる知恵を持つ宮司が、神社の精神的な柱として存在していること自体が、素晴らしい。 今回とくに興味深かったのが「龍脈」の話。 龍脈とは、中国の風水思想に由来する概念で、山々の連なりを龍の身体に見立て、大地の「気」が流れる道筋と考えるもの。その気が集まる場所を「龍穴」という。 京都は、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武という四神の思想と結びつけて語られてきた都。 東山の麓に位置する八坂神社は、青龍の守護する場所とされる。 驚くことに、国宝の本殿の真下には、青龍が棲むという「龍穴」の池があると伝えられている。 鎌倉時代の説話集『続古事談』にも登場する伝承で、深さを測っても底が分からなかったという。 地下水、山の地形、そして龍の神話。 科学的な地質構造と龍脈は別の概念だが、古代の人々が大地の水の流れに神聖さを感じたことは、とても興味深


京都・建仁寺。茶と湯と禅。日本の養生文化の原点を歩く。
何必館の後に京都の近所を散歩。京都を歩くのは、いつも楽しい。 何気なく路地を曲がると、千年の歴史を持つ神社仏閣に出会う。街を歩いているだけで、日本史の教科書の中に迷い込んだような気持ちになる。 今回は、祇園にある建仁寺へ。 建仁寺は1202年、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の庇護のもと、栄西禅師によって創建された京都最古の禅寺。寺名は当時の元号「建仁」に由来する。 栄西(1141〜1215)は、日本に臨済禅を広めた僧侶。二度にわたり宋に渡り、禅を学んだ。『興禅護国論』を著し、既存の仏教と対立するのではなく、禅によって仏教を再生しようとした。建仁寺も当初は天台・真言・禅をともに学ぶ道場だった。日本仏教の大きな転換期を生きた人物である。 そして栄西のもう一つの功績が「茶」。境内には大きな「茶碑」があった。 茶は栄西以前から日本に伝わっていたが、宋から茶種や新しい喫茶文化を持ち帰り、栽培と飲用を広めたことから、栄西は「茶祖」と呼ばれる。 興味深いのは、1211年に著した『喫茶養生記』。 冒頭には、「茶也養生之仙薬也、延齢之妙術也」(茶は養生の仙薬であり、長


京都の異世界へ。何必館、写真と魯山人、そして自然の美学。
京都・祇園の花見小路近くにある「何必館(かひつかん)・京都現代美術館」を訪れた。 「何必」とは、「何ぞ必ずしも」という意味。既成の価値観や常識にとらわれず、自由な精神で美を見つめる。そんな思想が、美術館の名前そのものに込められている。 現在の展示は写真家マルティーヌ・フランクの展覧会「時代への視線」。 フランクは、写真界の巨匠アンリ・カルティエ=ブレッソンの妻でもある。しかし、彼女自身もまた、独自の眼差しを持つ優れた写真家だった。 印象的だったのは、芸術家たちの自然な表情。 偉大な芸術家を「偉人」として撮影するのではなく、同じ時代を生き、創造する仲間として撮影している。 夫を通じて広がったであろう芸術家たちとの交流も興味深いが、それ以上に、彼女自身が一人の芸術家として対等な関係を築いていたことが、写真から伝わってくる。 カメラの前で人が心を開くのは、撮影技術だけの問題ではない。撮影する者とされる者のあいだに、信頼と共感が存在するからだ。 写真とは、光を記録する技術であると同時に、人と人との関係性を写し取る芸術なのだと思う。 フランクは女性写真家の


田沢温泉と古代東山道。1300年を超える祈りの風景。道は人を運び湯はいのちを癒やす。
長野県青木村の田沢温泉「有乳湯」に入った帰り道、偶然、古びた一本の道標に出会った。 「歴史の道 東山道」 その隣には、「豊受皇大神宮を経て保福寺峠に至る」と刻まれている。 思いがけず、古代日本の歴史と出会った気がした。 東山道(とうさんどう)は、奈良時代の律令国家が整備した七つの主要な道の一つ。都から近江、美濃、信濃を経て、上野、下野、陸奥へとつながる国家の大動脈だった。 この道を通って、役人や兵士、防人、物資や情報が行き交った。都の文化や仏教もまた、こうした交通網を通じて地方へと広がっていった。 青木村の西には、標高1345メートルの保福寺峠がある。古代の東山道はこの峠を越え、青木村にあったと考えられる浦野駅へと続いていた。 峠越えは、決して容易な旅ではなかっただろう。 『万葉集』には、信濃の新しく開かれた道で、切り株に足を傷つけないようにと、旅立つ人を気遣う歌が残されている。 国家にとって道は、統治のための仕組みだった。しかし、道を歩く一人ひとりにとっては、出会いと別れ、希望と不安、疲労と祈りの場所でもあったはずだ。 そして、ここからが興味深


田沢温泉「有乳湯」はいのちを育む湯、暮らしを支える湯。
長野大学での講義帰りに、長野県青木村、田沢温泉の共同浴場「有乳湯(うちゆ)」へ立ち寄った。 山あいの坂道を上ると、木造旅館が並ぶ懐かしい温泉街が現れる。まるで時間の流れが変わったような、静かな場所。 田沢温泉は、修験道の開祖・役行者(役小角)が開いたと伝わる古湯。修験道とは、山に入り自然の力に触れながら心身を鍛え、いのちの根源と向き合う日本独自の修行文化でもある。 そして「有乳湯」という不思議な名前。 ここには、山姥が湯治をして金太郎を産んだという不思議な伝説が残る。古くから子宝の湯、母乳の出がよくなる湯として、女性たちに親しまれてきた。 この伝承には大切な知恵が宿っているように思う。 出産、授乳、育児。女性の身体が大きく変化する時期に、休息できる場所があること。 母親自身もまた、いたわられ、支えられる存在であること。 いのちを育む人もまた、誰かに育まれる必要がある。 そんな優しさが「有乳湯」という名前には込められている気がする。 そして、何よりお湯が素晴らしい。 ぬるい湯が、最高なのだ。 2025年の分析表では、源泉温度39.8℃、pH9.45


まだ生まれていないものをあたためる@inadani sees(伊那市産学官連携拠点施設)
「身体性から自分の根を見つめる」というワークショップで、inadani sees(伊那市産学官連携拠点施設)へ。 ●September 8, 2026:身体性から、自分の「根」を見つめる。——10月17日、伊那へ その前に、近くの「みのわテラス」でランチをいただいた。伊那谷の国産牛を大切に使った、とてもおいしい食事。土地の恵みを味わい、伊那谷との出会いがお腹の中から始まった。ぜひ立ち寄ってほしい場所です。 inadani seesは「農と森のインキュベーション施設」。地域の自然を生かした企てが、人との出会いを通して形になっていく。「sees」の響きには、種を意味する「seeds」も重ねられている。 企画運営に携わるのは、「やまとわ」の奥田悠史さんたち。「森をつくる暮らしをつくる」を掲げ、経木や家具を通して森と日々の生活を結んでいる。薄く削られた木が食べものを包み、身近な森の木が暮らしをともにする家具になる。木を使うことが森を育てる営みにつながる、その仕事に心をひかれる。 ●October 25, 2024:「やまとわ」さんを訪ねて伊那に 経木の感


温泉水に入り時間をほどく 下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」
下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」。 inadani seesのイベントで伊那へ向かう途中、ドライブ湯治がてら、諏訪に立ち寄った。 道中で湯に浸かり、移動の時間を、ドライブ中にも温泉心地で運転するために。 「菅野温泉(すげのおんせん)」の創業は明治19年。今年で140年になる。 明治、大正、昭和、平成、令和。 街の景色も、人の暮らしも変わるなかで、ここでは幾世代もの人が湯に浸かってきた。この懐かしさは、意匠だけではつくれない。無数の時間が重なって、空間の肌触りになっている。湯に身体を沈めるとき、私たちはその長い時間にも包まれる。 諏訪の温泉に入るたび、水の力が強い、と感じる。 ただ温度が高いというだけではない。湯から上がっても、一日中身体のどこかで水の余韻が鳴り響く。身体の奥まで届いた何かが、ゆっくりと響いているような感覚がある。もちろん、「水のエネルギー」は医学的な測定値ではないけれど、温度や成分の数字だけでは言い尽くせない体験を、身体は確かに受け取っている。 菅野温泉の分析表を読むと、その湯の輪郭が見えてくる。 泉質は「ナトリウム・カルシウ


分かりきれない人と、生きていく。―湯河原「山田太一の仕事部屋」を訪ねて
湯河原町役場に用事があり、湯河原町立図書館に新しく開かれた常設展「山田太一の仕事部屋」を訪ねた。 机と椅子、書棚、直筆の原稿。少年時代を過ごした湯河原の記憶を描いた地図。作品から何かを受け取った人たちの言葉。書斎を眺めていると、山田さんが長い時間をかけて見つめていた「人間」が、こちらへ静かに近づいてくるようだった。 山田太一さんは、人間をよく理解した作家だった。しかし、その理解の深さは、人を分かったつもりにならないところにあったのではないか。 学歴、職業、年齢、家族関係。医療であれば、病名や検査値。どれも大切な手がかりだ。しかし、それらを集めても、一人の人間を言い尽くすことはできない。その人が何を恥じ、何を守り、どんな記憶に支えられて生きてきたのか。説明の先に、まだ広い世界がある。 『ふぞろいの林檎たち』は1983年。 学歴への引け目を抱えた若者たちを、山田さんは単純に「実は優秀だった人たち」に変えて救わない。 社会に高く評価されなくても、その人生には、すでに描かれるに値する重さがある。 「ふぞろい」を、整えるべき欠点にしなかった。ここに山田さん