

死者の声を聴き生きる世界へ帰る 映画『オデュッセイア』(クリストファー・ノーラン監督)
クリストファー・ノーラン監督が映画化したホメロスの『オデュッセイア』を観た。 ●クリストファー・ノーラン監督超大作『オデュッセイア』本予告 古代ギリシアで語り継がれた、およそ2800年前の壮大な叙事詩が現代の映画としてよみがえる。 神々、怪物、魔女、呪い、戦争、愛、裏切り、復讐。そして、帰還。 しかし、それ以上に重要なのは、帰ることのできる自分自身が残っているかどうか、という問題だとおもった。 戦争を経験した人間は、戦争前と同じ人間ではいられない。 人を殺した者も、仲間を失った者も、故郷を離れた者も、かつての自分にそのまま戻ることはできない。 たとえ身体が故郷に戻ったとしても、心はまだ戦場に取り残されているかもしれない。 この意味で、『オデュッセイア』は、単なる冒険物語ではない。 人間が、戦争と喪失によって変わってしまった自分を抱えながら、もう一度、生きる世界に帰ってくる物語なのだと思う。 そして、その帰還の旅には、生きている者だけではなく、死んでしまった者たちの声が深く関わっている。 物語の背景には、ギリシア軍とトロイアとの長い戦争がある。..


『フリーダ ~愛と痛みを生きた肖像~』フリーダは自分の人生を自分の手で描く。
カルラ・グティエレス監督のドキュメンタリー『フリーダ ~愛と痛みを生きた肖像~』を観た。 フリーダ・カーロの絵が好きだ。 武蔵野大学ウェルビーイング学部の「ウェルビーイングアート特論」の講義を担当した。健康と芸術、医療と芸術との関りを語るアーティストの一人でフリーダ・カーロを扱った。 彼女のオリジナル映画がAmazonPrimeで観れたのは驚きだった。 写真、絵、日記、手紙が重なり、すでに知っているつもりだった画家が、初めて自分の声で語り始めるように感じられた。 フリーダ・カーロは幼い頃にポリオを患い、18歳のときにはバスと路面電車の衝突事故で重傷を負った。その後も何度も手術を受け、装具をつけ、長い時間を痛みとともに生きた。事故は一度の出来事として終わらず、身体の動き方や、これから生きる時間のすべてに影響し続けたのだと思う。 《壊れた円柱》では、裂けた身体の中に折れた柱が立ち、全身に釘が刺さる。 医学なら痛みの場所や強さを尋ねる。けれども、あの絵が見せるのは、痛みを抱えた身体で世界を生きるとはどういうことか、という経験そのものだ。...


『ブゴニア』(2026年、ヨルゴス・ランティモス監督)「誰の物語の中で、世界を見ているのか?」
ヨルゴス・ランティモス監督の『ブゴニア』(2026年)を観た。 (角田光代さんの『方舟を燃やす』(新潮社、2024)と通じるものがある映画だよと友人から言われたこと(陰謀論を入口としている点?かな。かなり遠い作品でしたが)+AmazonPrimeで観れたもので。ちなみに、この映画は暴力や残虐な描写があります。物語の展開にも触れます。) 観ている間、何度も足元が入れ替わるようだった。 誰の話を信じればよいのか。被害者と加害者は誰なのか。小さな物語だと思っていたものが、突然もっと大きな物語の一部になる。その転換が面白く、同時に恐ろしい。 「ブゴニア」とは、死んだ牛の身体から蜂が生まれるとされた、古代地中海世界の伝承に由来する言葉だ。 ローマの詩人ウェルギリウスは、これをギリシャ神話の人物アリスタイオスの物語に結びつけた。 蜂を失ったアリスタイオスは、その理由を探し求める。 やがて彼は、自分が追ったエウリュディケが逃げる途中で蛇に噛まれて死んだことを知らされる。 彼にとって最初は「蜂を失った自分の物語」だったものが、「自分には見えていなかった、他者の死


声の残る車、降りられない劇場 『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021)
『急に具合が悪くなる』(2026)が素晴らしかったので、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)を観た。村上春樹やチェーホフの作品世界が響き合い、言葉と声が深く余韻を残し続ける映画だった。 →cf.「生命は、あいだで踊る――濱口竜介『急に具合が悪くなる』から、医療・ケア・演劇を考える」 印象的だったのは、死者の声が、生きている人の日常を動かし続けていることだ。 家福の赤い車には、妻・音が録音した『ワーニャ伯父さん』の台詞が流れる。家福はその声を聞き自分の台詞を返す。死者との対話は終わることのない稽古となる。 生きている相手の言葉は変わるが、録音された声は変わらない。 車は前へ進むのに、二人の会話だけが閉じられた輪の中で止まっている。 チェーホフが生きた19世紀後半のロシアは、農奴解放を経て古い身分秩序が揺らぎ、都市化が進む時代だった。社会は変わり始めているのに、人々の日々は変わらない。『ワーニャ伯父さん』に漂う「このまま人生が過ぎてしまう」という痛みは、個人の後悔だけでなく時代の転換期を生きる不安も重なっている。 チェーホフは医師でもあ


生命は、あいだで踊る――濱口竜介『急に具合が悪くなる』から、医療・ケア・演劇を考える
映画『急に具合が悪くなる』は素晴らしい映画だった。私が医療者として格闘し、もがいてきたテーマが重層的に織り込まれていて、とても身に染みた。 映画『急に具合が悪くなる』を観ながら、私はずっと、医療とは何だろうと考えていた。もう少し正確に言えば、人が人をケアするとは、いったい何をしていることなのだろう、と考えていた。 医療の現場では多くの限界を感じることの方が多い。 それでも、人は誰かの傍らにいる。話を聞く。身体に触れる。一緒に黙る。 そのとき、何が起きているのだろう。 考えてみれば、ケアは医学より古い。医学が誕生するずっと前から、人は病み、老い、傷つき、その傍らには別の誰かがいた。歌うこと、踊ること、物語を語ること、死者の傍らに座ること。ケアと芸術は、人類史のかなり深いところで根を共有しているのかもしれない。 この映画を見ながら、私は無数の「ひらく」という言葉が浮かんできた。 バザーリアは、制度をひらいた。ユマニチュードは、身体をひらいた。 異なる言語は、意味をひらく。演劇は、関係をひらく。そしてケアは、生命をひらく。 この五つは別々の話ではない。


上田わっしょい 上田映劇 サマーウォーズ
上田わっしょいに行く。 長野県上田市で毎年7月最終土曜日に行われる夏祭。 上田駅前の商店街を全て封鎖し、市民が練り歩きながら踊る。 長野には、「長野びんずる」(1971年~)、「上田わっしょい」(1972年~)、「松本ぼんぼん」(1975年~)などのお祭りがあり、かなり盛り...


9/23:ARTとSATORI『LIFE®︎いのち withスーパーキッズ・オーケストラ』&いのちサミット@高野山大師教会
9/23.高野山にて。 「ARTとSATORI」。 スーパーキッズオーケストラがすごい(大阪万博でも演奏されます)。 私も僭越ながら登壇。 日本の聖地、高野山。 なかなかきっかけがないと行かない場。 だからこそ聖地の場の力を感じてほしいです。 高野山にピンと来た方はぜひに。...


映画『1%の風景』(吉田夕日 監督)パンフレット寄稿(11/11公開)
失われつつある助産師の世界を描くドキュメンタリー映画『1%の風景』(吉田夕日 監督)が、11月11日に公開されます。私も助産師さんや助産院を応援するためにも、この映画のパンフレットに文章を寄稿しています。Web上にも一部の映画コメントが掲載されています。...


ドキュメンタリー映画「音の行方」コメント
ドキュメンタリー映画「音の行方」に対する大友良英さんのコメントを引用。 わたしも映画コメント書きました。 とても素晴らしい映画で、心が動かされます。ぜひどこかでご覧いただきたい。 2022/9/3 金沢21世紀美術館シアター21[石川] 2022/10/2 SHIBAURA...


映画「へんしんっ!」@山形ビエンナーレ2022
9/24土曜の夜は、「まちのおくゆき」の企画として映画「へんしんっ!」を見ました。 車いすで生活される石田智哉監督が、「壁を壊したい」との思いで映画をとりはじめています。 砂連尾さんという異能のダンサーに巻き込まれながら、ダンス、演劇、映画、、、あらゆる表現の場を通過してい...