

アンドリュー・ワイエス展@東京都美術館
アンドリュー・ワイエス展@東京都美術館を見に行く。 アンドリュー・ワイエスは、20世紀アメリカの画家。 抽象画が流行った時代に、独自の「具象(写実)絵画」を貫いた人。 ワイエスは、アメリカ北東部のニューイングランド(メイン州など)を舞台に選んだ。 ニューイングランド地方は、南部と北部でガラリと雰囲気が変わる。 ボストンを中心とする南部は、ハーバード大学などの有名な大学が集まる学問の街で、ITやバイオテクノロジーなどの最先端の仕事が多く、富裕層が集まっています。 北部(メイン州、バーモント州など)は、一気に人口が少なく田舎になる。昔ながらの自然が豊かな一方で、大きな産業が育たず、最先端の経済から切り離されたような印象を与える場所とのことだ。 北部ニューイングランド(メイン州)にある古い家屋や乾いた草原は、近代化の時代に取り残されたものに見えるが、彼は風化していく古い建物に潜む生命力を細部まで緻密に描き出した。そこには、時を経たものへの深い愛が込められている。 微細な変化と光をもとめて彼はテンペラや水彩を使い、草の一本、窓枠の傷まで細かく表現している


NHK日曜美術館50年展@東京藝術大学大学美術館
NHK日曜美術館50年展@東京藝術大学大学美術館。 最近はTVを見る時間もめっきり減ったけど、学生のころからずっと見ている日曜美術館。自分にとって鎮静や瞑想の薬のような番組。社会情勢がどうあろうとも、静かに語りかけてくる美術品や工芸品を見ているだけで心が落ち着く。 もちろん、西洋美術のピカソやベーコンのように、落ち着くよりも心がざわめくものもある。それは東洋と西洋の薬の在り方の違いなのかもしれない。鎮静薬なのか劇薬なのか。 けれど、そのざわめきも、非言語で伝わってくるものだからこそ、結局は自分の中でざわめきや感情を言葉にしたり、形を与えたりしないといけない。あくまでも自分の問いとして突き付けてくるもの。 ピカソも、ゲルニカ映像の展示の中で、 「絵は見る人によって初めて生命を与えられる。 牛は牛 馬は馬だ。 鑑賞者は結局 見たいように見ればいいのだ」 と語る。 見る側の心の状況、心の深度によって見えてくるものが変わる。 ピカソのふかさまで自分が達していれば自分も同じ風景が見えるし、自分の心の場所に応じて、何を感じ、何を受け取るかが決まるのだろう。.


M for M Medicine(医療)とMusic(音楽)
5月21日のNHK「あさイチ」では、白血病により21歳で亡くなったチェリスト・山本栞路(やまもと かんち)さんの特集が組まれていた。 最新技術を使って彼の生前のチェロの演奏が再現されるまでのあらゆる人の愛が関わった軌跡は素晴らしいものだった。 5月17日、東大五月祭での講演のとき、鉄門ピアノの会の医学部の学生さんと対話をした。その中で「人間には誰でも一人になる時間が必要だ、そのことと音楽や芸術は関係があるのではないか」という話が出た。 私はそのときに、ふと山本栞路(かんち)さんとご両親の活動のことが頭に浮かんだ。 チェリストでもあった若き栞路さんは、病院での入院中に音楽を奏でることができなかった。音楽と生きることとが一つであった音楽家にとって、それは命の一翼をもぎとられるようなつらい日々だったことだろう。 「病室でも音を奏で、音楽を楽しめる場所が欲しい」という願いから「M for M」が設立された。「M for M」では山本栞路さんの遺志を継ぎ、長期入院患者のために病院へ防音室を寄付する活動を行っている。2つのMは、Medicine(医療)とMu


安曇野ちひろ美術館 「子どものしあわせと平和」
「戦後、私が平和をねがうのは、 もう二度とあんな赤いシクラメンの花のような火を、 子どもたちの上にふらせたくないからです」 いわさきちひろ 遺作 『戦火のなかの子どもたち』(1973年)より いわさきちひろさん(1918年-1974年)は、生涯を通じて「子どものしあわせと平和」をテーマに描き続けた絵本画家。 彼女は現代に生きていれば何の苦労もなく、アーティスト、絵本作家、書家・・・だったかもしれないが、家族も本人も戦争に翻弄された人生だったから。 20歳で最初の結婚をして満州へ渡ったが、夫の自死により帰国。その後、書道教師として再び満州へ渡るも、戦局の悪化で帰国。 1945年の空襲で東京の自宅を焼失し、長野県松本市へ疎開して終戦を迎えた。 ちひろさんの両親は、戦時中に国策に協力する立場にあったため、戦後GHQによる公職追放を受けた。ちひろさんは、両親が国策に貢献(父は軍事施設の建設を、母は満州へ渡る「大陸の花嫁」を送り出す国策業務を)していたことで戦時中も恵まれた生活ができていた事実を戦後に知り、深い葛藤を抱いた。 この経験が、「子どものしあわせ


安曇野ちひろ公園 窓ぎわのトットちゃん トモエ学園
GWは安曇野ちひろ美術館へ。 ここは素晴らしい美術館だった。 美術館を公園が内包しているデザインは、川崎市岡本太郎美術館(生田緑地)にあることと同じで、人が作る美術空間よりも自然が作った自然空間をより大いなるものと位置付けている点が素敵。全体設計・建築は内藤廣さん。さすがだ。。。 安曇野ちひろ公園に入ると、背景には北アルプスの雄大な景色が広がり、それだけで感動する。 学生時代に、「北アルプス全山縦走」と言って、北アルプスの尾根沿いを日本海から上高地まで。10日くらいかけて歩いたのを昨日のように思い出す。あの頂上を全部歩いたんだなぁ、と。ほぼ前世の記憶。 美術館に入る前、安曇野ちひろ公園の無料で入れるエリアだけでも十分に楽しめる要素があり、半日はゆっくり過ごした。 トットちゃん広場も素敵だった。黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』に登場する「トモエ学園」の世界を再現している。 トモエ学園は東京の自由が丘にあった小学校。「電車の教室」という、実際の電車を利用した教室があったらしく、当時のままを再現しているのが素敵だった。「電車の図書室」でも子ど


『The Complete Posters of Tadanori Yokoo from 1953 to Today』 横尾さんの愛と精神世界
『The Complete Posters of Tadanori Yokoo from 1953 to Today』は、横尾忠則さんのベルリンでのポスター展(2026年)の図録。 高校時代の処女作、1953年から現在までの約1000点を収録。2冊の函入りカタログは全1164ページに及ぶ大ボリューム。 横尾忠則さんは1000点のポスターだけでもあらゆるバリエーションがある(そもそも、ポスター作品だけではなく、本やレコードの装丁、絵画も含めてさらに莫大にある)。 ポスターのデザインの凄さもさることながら、見た目の奇抜さ、だけが大事なのではなくて、作品とつながりある自分自身の内界や精神世界との連動・連結・融合がしっかりとあることが、いつもすごい、と思う。 ・ジョン+ヨーコ・レノンのよびかける愛と平和のクリスマスパーティー (横尾忠則 ポスター/1969年,日比谷野外音楽堂) WAR IS OVER! 戦争は終りだ・・・それは君次第 1969年の時代。 ・『ブッダは捜して見い出されるものではない それ故、己が自身の心を熟視せよ。―ミラレパ』 1976年


中村環, パウロ・コエーリョ (原著)「アルケミスト 夢を旅した少年 (KADOKAWA MASTERPIECE COMICS)」 武論尊漫画塾の卒業生
ブラジルの作家パウロ・コエーリョによる小説『アルケミスト 夢を旅した少年』。翻訳は山川 紘矢, 山川 亜希子ご夫妻。1988年に発表され、世界的なベストセラーになった本。 武論尊漫画塾の卒業生である中村環(たまき)さんによるコミック版を見つけて読んだ。 山川夫妻の名訳で以前読んだことあったが、 「前兆に従うこと」、「心の声を聞くこと」、「何かを強く望めば、宇宙のすべてが協力して実現を助けてくれる」・・・など、重層的なシンプルなメッセージが、物語の形ですうっと染みるように入ってきた。 ●中村 環 (著), パウロ・コエーリョ (原著)「アルケミスト 夢を旅した少年 (KADOKAWA MASTERPIECE COMICS)」(2024、KADOKAWA) ●パウロ・コエーリョ (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳)「アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)」(1997) 羊飼いの少年サンチャゴが、エジプトのピラミッドに隠された宝物を探す旅に出る物語。その過程で出会う錬金術師(アルケミスト)や不思議な老人たちとの交流を通じて、人生


養老孟司と小檜山賢二の虫展@東京都写真美術館
東京都写真美術館のB1Fは「養老孟司と小檜山賢二の虫展」。 2024年に大分県立美術館で開催されていたが、タイミングあわずいけなかったので(と言っても別府温泉や鉄輪温泉には来ていたのですが温泉優先で)、その巡回展を見れて幸運だった。 ●『養老孟司と小檜山賢二「虫展」 みて、かんじて、そしてかんがえよう』(大分県立美術館:2024年7月13日(土)‐8月25日(日)) 人間の世界を見て疲れ果てたときにちょうどいい。 人間界がどうあろうとも、自然界は過去から未来まで独自の世界で循環しながら、人間の営為を見守っている。 昆虫の造形を拡大すると、宇宙人のようだ。こうした異質な存在が違うレイヤーで同時存在していること自体が、この世界の神秘。 養老先生の言葉が詩のように差し込まれていて、養老先生のようにまともな大人の存在にも、同時に癒されます。 ------------------- 「もしできるなら、1分だけは、気に入った虫を見てみよう。」 「見ている世界は、少しずつ、自分の中で変わっていく自然は人間がつくりだしたものではない。 その代表が虫だと私は思って


W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代@東京都写真美術館
東京都写真美術館2F「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」 ユージン・スミス(W. Eugene Smith, 1918–1978)は、アメリカのフォトジャーナリストで、日本の公害病である水俣病の実態を世界に知らしめた人物としても知られている。 水俣病は1956年の公式確認(その前の1953年頃から人体への健康被害が見られていた)と1968年の政府による公害病認定という二段階がある。 ユージン・スミスが水俣に滞在したのは、1968年の政府による公害病認定の後になる1971年から1974年にかけて。アイリーン・美緒子・スミスさんと共に熊本県水俣市に移り住み、患者やその家族の生活を記録した。教科書で見る水俣病の写真は、ユージン・スミスの撮影によるものも多い(「入浴する智子と母」など)。 1975年に出版された写真集『MINAMATA』も、いま見ても驚くような写真が多く、写真は当時の息吹をそのまま閉じ込めているなぁ、と驚くことがある。 ユージン・スミスも、取材中に会社の暴行で重傷を負い、その後の視力低下など後遺症に苦しんでいた。...


TOPコレクション Don't think. Feel@東京都写真美術館
せっかく恵比寿に来たので、東京都写真美術館(TOP MUSEUM)@恵比寿ガーデンプレイスへ。 ここは日本で唯一の写真と映像を専門とする美術館。 写真はあまり難しいことを考えず気軽に見れることもあり、都内に住んでいた時には年間パスポートを買ってすべての会期に見に行っていたほど。場所が広くて都内でほっとできる数少ない場所。 東京都庭園美術館にも歩いて20分くらいで行けるし、「恵比寿」という名前自体が、七福神の中で日本由来の神様である恵比寿様(えびす様)(福の神)を思わせるので、名前の縁起がいい。 東京都写真美術館は、3Fの「TOPコレクション Don't think. Feel.」、2Fの「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」、B1F「養老孟司と小檜山賢二の虫展」と、どれも面白い展示だった。 3Fの「Don’t think. Feel.(考えるな、感じろ)」は、武術家・俳優・哲学者であるブルース・リーが『燃えよドラゴン』(1973年)の冒頭シーンで弟子に放ったセリフ。 --------------------------- Don’