

天然ラドン温泉 すずむし荘
安曇野ちひろ美術館のすぐ横には、「すずむし荘」という、天然ラドン温泉(馬羅尾天狗岩温泉)を楽しめる宿泊・日帰り入浴施設があった。 野生のスズムシは「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されているが、ここ長野県松川村は鈴虫が自生(野生化)しているらしい。それはホタル生息地と同じで、水がよく、環境がよい証拠とも言える。 泉質: 単純弱放射能温泉(弱アルカリ性低拡張性泉) 天然ラドン温泉が楽しめる施設はそう多くない。 しかも、10分連続で入ったら、4時間くらいは全身がポカポカ(特に頭)となり、帰りも夢見心地だった。 ラドンはガスなので、露天より室内でしっかり蒸気(ガス)を吸入した方が効果が高いです。 浴室内に充満する湯気(ラドンガス)を肺から吸収する。体内のラドンの約90%は呼気から取り込まれると言われている。 ラドン温泉は、温泉水に含まれる微量の放射性ガス(ラドン)が全身の細胞を刺激することで、自然治癒力を高める「ホルミシス効果」が期待できる。 「ホルミシス」とは、大きな刺激は害になるが、ごく微量の刺激は生体を活性化させるという現象のこと。...


安曇野ちひろ美術館 「子どものしあわせと平和」
「戦後、私が平和をねがうのは、 もう二度とあんな赤いシクラメンの花のような火を、 子どもたちの上にふらせたくないからです」 いわさきちひろ 遺作 『戦火のなかの子どもたち』(1973年)より いわさきちひろさん(1918年-1974年)は、生涯を通じて「子どものしあわせと平和」をテーマに描き続けた絵本画家。 彼女は現代に生きていれば何の苦労もなく、アーティスト、絵本作家、書家・・・だったかもしれないが、家族も本人も戦争に翻弄された人生だったから。 20歳で最初の結婚をして満州へ渡ったが、夫の自死により帰国。その後、書道教師として再び満州へ渡るも、戦局の悪化で帰国。 1945年の空襲で東京の自宅を焼失し、長野県松本市へ疎開して終戦を迎えた。 ちひろさんの両親は、戦時中に国策に協力する立場にあったため、戦後GHQによる公職追放を受けた。ちひろさんは、両親が国策に貢献(父は軍事施設の建設を、母は満州へ渡る「大陸の花嫁」を送り出す国策業務を)していたことで戦時中も恵まれた生活ができていた事実を戦後に知り、深い葛藤を抱いた。 この経験が、「子どものしあわせ


安曇野ちひろ公園 窓ぎわのトットちゃん トモエ学園
GWは安曇野ちひろ美術館へ。 ここは素晴らしい美術館だった。 美術館を公園が内包しているデザインは、川崎市岡本太郎美術館(生田緑地)にあることと同じで、人が作る美術空間よりも自然が作った自然空間をより大いなるものと位置付けている点が素敵。全体設計・建築は内藤廣さん。さすがだ。。。 安曇野ちひろ公園に入ると、背景には北アルプスの雄大な景色が広がり、それだけで感動する。 学生時代に、「北アルプス全山縦走」と言って、北アルプスの尾根沿いを日本海から上高地まで。10日くらいかけて歩いたのを昨日のように思い出す。あの頂上を全部歩いたんだなぁ、と。ほぼ前世の記憶。 美術館に入る前、安曇野ちひろ公園の無料で入れるエリアだけでも十分に楽しめる要素があり、半日はゆっくり過ごした。 トットちゃん広場も素敵だった。黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』に登場する「トモエ学園」の世界を再現している。 トモエ学園は東京の自由が丘にあった小学校。「電車の教室」という、実際の電車を利用した教室があったらしく、当時のままを再現しているのが素敵だった。「電車の図書室」でも子ど


中村環, パウロ・コエーリョ (原著)「アルケミスト 夢を旅した少年 (KADOKAWA MASTERPIECE COMICS)」 武論尊漫画塾の卒業生
ブラジルの作家パウロ・コエーリョによる小説『アルケミスト 夢を旅した少年』。翻訳は山川 紘矢, 山川 亜希子ご夫妻。1988年に発表され、世界的なベストセラーになった本。 武論尊漫画塾の卒業生である中村環(たまき)さんによるコミック版を見つけて読んだ。 山川夫妻の名訳で以前読んだことあったが、 「前兆に従うこと」、「心の声を聞くこと」、「何かを強く望めば、宇宙のすべてが協力して実現を助けてくれる」・・・など、重層的なシンプルなメッセージが、物語の形ですうっと染みるように入ってきた。 ●中村 環 (著), パウロ・コエーリョ (原著)「アルケミスト 夢を旅した少年 (KADOKAWA MASTERPIECE COMICS)」(2024、KADOKAWA) ●パウロ・コエーリョ (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳)「アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)」(1997) 羊飼いの少年サンチャゴが、エジプトのピラミッドに隠された宝物を探す旅に出る物語。その過程で出会う錬金術師(アルケミスト)や不思議な老人たちとの交流を通じて、人生


養老孟司と小檜山賢二の虫展@東京都写真美術館
東京都写真美術館のB1Fは「養老孟司と小檜山賢二の虫展」。 2024年に大分県立美術館で開催されていたが、タイミングあわずいけなかったので(と言っても別府温泉や鉄輪温泉には来ていたのですが温泉優先で)、その巡回展を見れて幸運だった。 ●『養老孟司と小檜山賢二「虫展」 みて、かんじて、そしてかんがえよう』(大分県立美術館:2024年7月13日(土)‐8月25日(日)) 人間の世界を見て疲れ果てたときにちょうどいい。 人間界がどうあろうとも、自然界は過去から未来まで独自の世界で循環しながら、人間の営為を見守っている。 昆虫の造形を拡大すると、宇宙人のようだ。こうした異質な存在が違うレイヤーで同時存在していること自体が、この世界の神秘。 養老先生の言葉が詩のように差し込まれていて、養老先生のようにまともな大人の存在にも、同時に癒されます。 ------------------- 「もしできるなら、1分だけは、気に入った虫を見てみよう。」 「見ている世界は、少しずつ、自分の中で変わっていく自然は人間がつくりだしたものではない。 その代表が虫だと私は思って


TOPコレクション Don't think. Feel@東京都写真美術館
せっかく恵比寿に来たので、東京都写真美術館(TOP MUSEUM)@恵比寿ガーデンプレイスへ。 ここは日本で唯一の写真と映像を専門とする美術館。 写真はあまり難しいことを考えず気軽に見れることもあり、都内に住んでいた時には年間パスポートを買ってすべての会期に見に行っていたほど。場所が広くて都内でほっとできる数少ない場所。 東京都庭園美術館にも歩いて20分くらいで行けるし、「恵比寿」という名前自体が、七福神の中で日本由来の神様である恵比寿様(えびす様)(福の神)を思わせるので、名前の縁起がいい。 東京都写真美術館は、3Fの「TOPコレクション Don't think. Feel.」、2Fの「W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」、B1F「養老孟司と小檜山賢二の虫展」と、どれも面白い展示だった。 3Fの「Don’t think. Feel.(考えるな、感じろ)」は、武術家・俳優・哲学者であるブルース・リーが『燃えよドラゴン』(1973年)の冒頭シーンで弟子に放ったセリフ。 --------------------------- Don’


YOGA TRIATHLON 2026@恵比寿
GW中に、世界で活躍するヨガ指導者ニーマル先生による「YOGA TRIATHLON 2026」@恵比寿(by.スワル(石古暢良さん))に参加した。 トライアスロンが水泳・自転車・ランニングの3種目を一日で完走するように、ヨガ(Body)・呼吸(Mind)・瞑想(Emotion)という3つの実践を、1時間ずつ、ひとつの流れとして体験する企画。 合計3時間以上!も、100人以上の人!と一堂に介して自分の心身と対話する時間は貴重で深い時間だった。 ・・・・・・・・ もう30年近く前になるけれど、大学生時代に、インド哲学科にもぐりこんだ(東大のイン哲はすごい人ばかりだった)。 サンスクリット語含めインド哲学の古典(「ヴェーダ」「ウパニシャッド」「叙事詩(『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』)」「学派の根本経典(『ヨーガ・スートラ』、『サーンキヤ・カーリカー』)」)・・・を共に学ばせてもらったのも良き思い出。深く無意識に刷り込むような時間。 あの頃は、とにかくこの世界の真理が知りたかった。 インド哲学だけではなく、東洋思想などを広範に学んだ。そこには西洋哲


「ロン・ミュエク」展@森美術館
「ロン・ミュエク」展@森美術館。 ロン・ミュエク(Ron Mueck)は、映画や広告業界で特殊効果やモデルビルダーとして20年以上のキャリアを積み、アーティストに転じた。 生命感あふれる質感を、異常なサイズ感で強調するように表現する。 表面上でのリアルを追求しながら、内側にある命を表現しようとしている。特に、孤独、不安、弱さ、そして強さなど。人間なら誰もが抱える内面的な感情を彫刻に投影する。 多くの作品は誰にも視線を合わせず瞑想的なポーズをとっている。能舞台や菩薩像のように、他者との不思議な距離感がある。 だからこそ、観る者が自らの内面を鏡のように見つめ直す機会となるのだろう。 生きているように見えるが人工物。という作品は、リアルとバーチャル、真実とフェイクが入り混じる現実世界を象徴しているようにも思える。 きっと、多くの人が作品に並んで記念撮影したい欲望に駆られるだろう。 ・・・・ 作品を観ていてふと頭に浮かんだのが、村上春樹さんの『象の消滅』という作品。 町の象徴であった象と飼育係が、ある日突然消えてしまう。主人公の「僕」は、消滅の直前に象舎


集英社 学芸の森「開かれた円環に、いのちは宿る ―ゆらぎから立ち上がる世界のかたち」
集英社 学芸の森 Webで、静かにひそやかに、連載しているテキストがUpされました。 森美術館での藤本壮介展とも関連し、大阪万博、太陽の塔、「いのち」など、目的もなく書き綴っています。 どうぞよろしくお願いいたします。 ●「第2部 第2回 開かれた円環に、いのちは宿る ――ゆらぎから立ち上がる世界のかたち」 https://gakugei.shueisha.co.jp/mori/serial/inochinooto/008.html --------------------- 人が集い都市や社会や共同体が生まれる。 「なぜ人はバラバラになり、そして集うのか」。 これはまさにプリゴジンが述べる「ゆらぎ」と「散逸構造」の関係性とも言えるものです。 あるシステムが限界に達すると、小さな「ゆらぎ」が抑えられずに増幅され、増幅されたゆらぎがきっかけとなり、新しい秩序(散逸構造)へ再構築されます。 この「ゆらぎによる秩序」こそが、生命や社会のあり方そのものとも言えます。 人が集まり、ある人数以上になるとバラバラになり、そしてまた小さな秩序が生まれるようにして


竹内整一『「かなしみ」の哲学』 日本精神史の源流へ
北斗の拳で「かなしみ」を知ることこそが奥義であると改めて読んだ。小学生の時の、うっすらした記憶がある。 その後、自分は医学部に入ったものの、学ぶ内容に物足りなさを感じ、宗教学、倫理学、哲学の講義に勝手に潜り込んだ。その中で、東大倫理学の竹内整一教授の講義を一番熱心に聞いた。 というのも、竹内先生の講義は「かなしみ」と日本思想史がテーマだったから。 例えば、『「かなしみ」の哲学』(NHK出版)では、日本人がなぜ古来より「かなしみ」を大切にしてきたのかが書かれている。 「かなし」の語源は「……しかねる」の「カネ」と同根。「かなし」には、自分の力ではどうしようもない「無力さ」や「切なさ」が根底にある。 それは、大切なものを失う「対象喪失」の感情でもあり、「死にゆく自分」という自分自身の死も含まれる。 「かなし」は、同時に「愛(かな)し」でもあって、「悲しい」という否定的な意味だけでなく、「愛(かな)し)」という慈しみの意味も持っていた。どうしようもなく愛おしいという感情は、相手の「かけがえのなさ(有限性)」を実感することから生まれる。...