

さくらももこ『ひとりずもう』 自分というよくわからない存在
さくらももこの自伝漫画『ひとりずもう』が、素晴らしかった。 9歳の子どもも熱中している。 時代を超えた普遍性とは何なのだろうと考えつつ読み返している。 自伝漫画『ひとりずもう』(小説版もある)は、『ちびまる子ちゃん』とよく似た世界から出発しながら、違う場所へと向かっていく作品だった。 『ちびまる子ちゃん』では、さくらももこは人間を少し離れたところから眺めている。 人間はそんなに立派ではなく、誰もが少しずつ変で、矛盾している。 人間の駄目さを観察しているうちに、それが可笑しさへと変わり、最後には不思議な愛おしさへと変わる。 『ちびまる子ちゃん』の笑いには、そうした深い人間肯定がある。 →〇「さくらももこ展」@松本市立博物館 ところが、『ひとりずもう』では、その鋭い観察の眼差しが、次第に自分自身へと向けられていく。 子どもの頃は、世界のほうがおかしかった。 しかし思春期になると、分からなくなるのは世界ではなく、自分なのだ。 中学生になり、身体が変わる。容姿が気になるし異性を意識するようになる。恋もするし、他人からどう見えているのかが気になり始める。昨


身体はまだ私たちの知らない可能性を持っている(『古武術で体を整える』(宝島社))
甲野善紀先生から『古武術で体を整える』(宝島社)という本を贈呈いただき、「年齢は身体能力を奪わない」という原稿を読んだ。この本は実際の身体の動きの写真が多く学びになる本だった。身体教育家・林久仁則さん、ひもトレの小関勲さんの記事も学びがある。 甲野先生は、77歳となった今も、新しい技が生まれ続けているという。 心に残ったのは、 「今でも、ではなく、今だからできることがあります。」 という一節だった。 甲野先生が見つめているのは過去の身体との比較ではない。「今の身体だからこそ、何が可能なのか」という問いだ。 もちろん加齢で筋力や反応速度、持久力は変化するだろう。しかし、身体能力は筋力や速さだけではない。重心の移動、力を抜くこと、全身の連動、相手との距離、気配を察すること。 経験で深まる感覚や、若い頃には気づけなかった身体の使い方がある。 年齢はある能力を低下させる一方で、別の能力を育てる可能性を持っている。 甲野先生は、武術を「対抗の原理」ではなく、「対応の技術」と語る。 相手に勝とうとして力をぶつければ、こちらの動きは相手に伝わり、互いの身体は衝


月は東洋と西洋のあいだに昇る 竹田で考えた瀧廉太郎と山田耕筰
瀧廉太郎は12歳から14歳までを長湯温泉の竹田で過ごした。 少年時代に岡城跡で遊んだ記憶がのちの『荒城の月』に結びついたと伝えられている。 「春高楼の花の宴」と歌われた場所にすでに人はいない。城は滅び、栄華も消え、ただ月だけが、昔と変わらず石垣を照らしている。 そこには、日本文化が長く見つめてきた「無常(Mujo)」の感覚がある。 『平家物語』の盛者必衰、西行の月、芭蕉の古池。日本の芸術は、永遠に残るものだけを美しいとしたのではなく、すべては移ろい、やがて失われるという事実の中に美を見いだしてきた。 吉田兼好は『徒然草』に、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と記した。美は満開という完成の中だけにあるのではない。咲く前の梢にも、散りしおれた庭にもある。桜が美しいのは、咲いた瞬間から散り始めているからだ。 『荒城の月』にもまた、失われゆくものの中に永遠を見る、日本の無常の美学が流れている。 しかし、その旋律を形づくる器は西洋音楽だった。 瀧廉太郎は、西洋の音階や拍節、和声の考え方を学びながら、そこへ日本語の呼吸、日本の風景、日本人が抱いて


町の未来は湯のように地下から湧いてくる 竹田市・長湯温泉にて
首藤勝次さんに案内してもらいながら竹田市・長湯温泉を歩いた。勝次さんが長年育ててきたものは、単なる観光地ではないと感じた。 「この土地をどんな場所として未来へ手渡すのか」という明確なVisionがあった。 長湯の炭酸泉をただ珍しい泉質として売り出すのではない。 温泉を中心に、建築、医療、芸術、食、農業、歴史、景観、そして人々の暮らしを結び直す。 温泉を「入浴場」から、健康と文化と共同体を支える社会の仕組みへ育てていく。足元の小さな源泉を見つめながら、その視野ははるか遠い未来に届いている。 優れたまちづくりには、人と人、場所と記憶、古いものと新しいものを、自由自在に「つなぐ」人が必要なのだと思う。勝次さんはまさにそのような存在なのだろう。 地域の内と外をつなぎ、行政と住民をつなぎ、温泉と医学をつなぎ、日本とドイツをつなぎ、さらに一見関係のなさそうな建築や美術、書物までを温泉の周囲へと集めていく。つなぐとは、単に仲介することではない。異なるものの間に、「まだ誰にも見えていなかった関係を発見すること」なのだ。 空き家対策にも少し心が動くような洒落た名前


「私もまた、チッソだった」――緒方正人さんが問い続けている〈いのち〉のこと
今日、2026年9月12日の朝日新聞を開いて、緒方正人さんのインタビューに目が止まった。 大きく書かれていた。「死んだ父の仇討ち 行政と闘ったが 水俣病の本質とは」 そして、もう一つ。「逃れ難い経済の檻 悪の因子 自分にも 考え続ける責任」 緒方正人さんの思想に触れるたび、私は思う。 この人のすごさは、「水俣病について深く考えた」というだけではない。 考えるという行為そのものを、途中で反転させてしまったことにある。 父を水俣病で亡くし、自らも患者となった緒方さんにとって、チッソは文字通り「父の仇」だった。だから闘った。チッソを問い、行政を問い、国家を問うた。 ところが問い続けているうちに、奇妙なことが起こる。 「責任者は誰なのか」と追いかけても、その最後に、責任を引き受ける一人の人間がいない。あるのは会社であり、行政であり、国家であり、制度であり、システムだった。 緒方さんは、その経験について『チッソは私であった』で、責任主体としての人間がどこにも見つからなかったこと、そしてその問いがついには「私という存在」そのものの根拠を揺さぶったと記している


生きるための形―草間彌生が描き続けたもの(NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』)
「命がけで描く」ということ。 NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』を見た。初回放送日が2012年。当時も見たおぼろげな記憶はある。 改めて、圧倒された。 *NHK One 作品そのものにも、もちろん圧倒されるのだが、それ以上に心を動かされたのは、草間彌生という一人の人間が、本当に命がけで絵を描いている姿だった。 「命がけ」という言葉は、芸術家について時々使われる。しかし草間さんの場合、それは比喩ではないように感じた。描く。描く。また描く。キャンバスを埋め尽くしても、次のキャンバスへ向かう。 83歳の身体で、世界的な名声のただ中にいながら、制作の現場には驚くほど華やかさがない。そこにいるのは、ただ、描かなければ生きていけない一人の人間だった。 そして、私が最も胸を打たれたのは、草間さんが自分の孤独や不安をまったく格好よく見せようとしないことだった。不安になり、孤独になり、怖くなると、近くの病院の「自分の部屋」へ戻る。病院が自分の自宅になっていて、自分の自宅が病院になっている。病院の中に自分の居場所を求め、不安がおさまるまで、そこにいる


湯気と光のなかに二百年の時間「ただ、熱い湯に、ずんぶり。」@山田温泉・大湯(高山村)
山田温泉「大湯」(長野県高山村)。 これまで数多くの共同浴場に入ってきたけれど、ここは間違いなく、私の好きな共同浴場の一つになった。 山田温泉は、松川渓谷へ向かう途中にある小さな温泉地だ。 小布施(この土地も素晴らしい)から松川に沿って山へ入っていくと、蕨温泉、子安温泉、山田温泉、さらに松川渓谷温泉、五色温泉、七味温泉、そして標高1500mを超える奥山田温泉へと続く。 わずかな距離で、湯の色も泉質も風景も変わる。まるで地球内部を、川に沿って遡っていくような温泉郷なのだ。 小布施町から山側へ車で20分ほどで山田温泉(高山村)があり、温泉街の中心に「大湯」がある。「中心に共同浴場がある」という町のつくりが、まずいい。 昔の温泉街では、湯は旅館の付属施設ではなかった。 人々が湯のまわりに集まり、宿ができ、店ができ、道が生まれ、町になった。 つまり、温泉が町をつくった。 ・・・・・ 大湯の中へ入る。 まず目を奪われるのが、木、木、木! 浴槽だけではない。床も壁も窓枠も木でつくられ、身体全体が木造建築の内部に包まれる。 昔ながらの板張りの洗い場と総ヒノキの


「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」&坂本龍一さん
鹿教湯温泉に行き、古いポスターを見つけて驚いた。 1982年、鹿教湯温泉で開催された「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」。 そこに写っていたのは、若き日の坂本龍一だった(かっこいい!)。 温泉と坂本龍一。湯治場とマイコン。 一見すると、まったく結びつかない。 でも少し調べてみると、このポスターの中には、1980年代という時代そのものが凝縮されていた。 鹿教湯温泉は、古くから湯治と療養の土地として知られてきた場所だ。身体を休、病を癒す。しばらく日常を離れ、自分の身体を土地に預ける。 温泉とは、単にお湯に入る場所ではなく、もともと「滞在しながら身体と生活を組み替える場所」だった。 そんな鹿教湯が1982年、未来の象徴であった「マイコン」を温泉地へ持ち込んだ。 「マイコン・イン」は、子どもたちにコンピュータに触れてもらう、いわば滞在型の学びの試みだったという。そして、その広告の顔として登場したのが坂本龍一だった。 当時の坂本龍一はYMOの活動を通じて、シンセサイザーやコンピュータ、電子音を駆使し、誰よりも鮮やかに「未来の音」を鳴らしていた。...


誰が、身体を動かしているのか?―島地保武さんと考えた「動きから立ち上がるいのち」
日本身体性学協会 第二回フォーラム@早稲田大学で、ダンサー・振付家の島地保武さんと、 「医療」×「身体表現」――動きから立ち上がるいのち―― というセッションを行った。 医師は身体を診察し、ダンサーは身体を動かす。 医療は身体の異常を見つけ、治療する。ダンスは身体によって何かを表現する。 しかし、実際に島地さんとご一緒してみると、両者は思っていた以上に深いところで、同じ問いに触れていることに気づいた。 それは、 「そもそも、身体は誰によって動かされているのか?」 という問いだった。 私たちは日常的に「身体を動かす」という言葉を使う。そこでは当然のように、「私」という主体が先にあって、その私が身体へ命令を出していると考えている。けれども、少し身体の内側へ入ってみると、その前提はすぐに揺らいでくる。 心臓は、誰に命令されて動いているのだろう。 私が意識するよりはるか以前から、身体は動いている。 身体には、私たちの意識よりも先に、「おのずずから動く力」がある。刺激に対して、身体は0.05-0.1秒で反応し、脳は遅れ0.2-0.5秒で反応している。つまり


草間彌生さんへ 一つの水玉は、宇宙へひらかれている
草間彌生さんが亡くなった。 けれども、不思議なことに、草間さんの死を「いなくなった」と感じることが、私にはどうしても難しい。 草間さんの作品を思い浮かべるからだろう。 一つの水玉がある。百、千、万・・・。点は増殖し、壁を越え、身体を越え、部屋を越え、やがてこちら側へまでやってくる。 鏡の中では、一つの像が二つになり、十になり、百になり、その向こうへ、さらに向こうへと続いていく。 草間彌生という人は、生涯をかけて「一人の人間は、どこまで一人なのか」という問いを描き続けた芸術家だったのではないか。 私はいま書いている『生命を見るための芸術』(特に出版社のあてはありません)という本で、草間彌生について一章を書いた。 その章につけた問いは、 「『私』は、どこまでが私なのか」 というものだった。 草間さんの作品には、水玉があり網目があり鏡がある。そこには無限がある。 そこでは「私」の輪郭が、増殖し、揺らぎ、溶けていく。 面白いことに、自己を消そうとすればするほど、そこには誰にも似ていない、圧倒的な「草間彌生」が立ち上がってくる。水玉を見れば、草間彌生だと分