

湯の峰温泉 つぼ湯 ミネラル 温泉芸術
湯の峰温泉のつぼ湯は、世界で唯一、世界遺産なのに実際に入れるお湯。日本最古の共同浴場とも言われます。 つぼ湯と言えば、小栗判官伝説も泣けますよね(近藤ようこさんの漫画「説経 小栗判官」は超絶お薦めです)。 横山一族に毒殺された小栗が餓鬼阿弥(餓鬼の姿)としてこの世に蘇り、愛する照手姫との再会、熊野での奇跡的な湯治を経て復讐を遂げる。死と蘇生、真実の愛を描いた物語で、歌舞伎や人形浄瑠璃のテーマにもなっています。 熊野詣で罪穢れを払い、新たな心身になって帰還(生還)する「蘇り」が起こるため、差別対象だったライ病患者も、熊野へ参詣すれば救われる。ということも重層的なテーマとして含まれている、草津のような弱者にやさしい愛ある場なのです。 ・・・・ 熊野古道をてくてく歩き、熊野本宮大社に入る前の禊の場。 ここは待ち時間が長くなるので、2時間くらいは待つ気持ちで余裕をもって行ってください。焦りは厳禁です。 のんびりだらだら待てるかどうか、その心の余裕をこそ、問われるのです。 私もいつものように2時間くらい待ち、ぼけーーっと頭をアホにして待ちまして、熱い熱いツ


熊野速玉大社 みかん ナギ(梛)の大樹
神倉神社から熊野速玉大社はすぐ近く。 熊野速玉大社は、熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成する場。3つの場を参ってコンプリート。 速玉大社はこじんまりとコンパクトで、いい気が流れている。 熊野御幸(くまのごこう)とは、平安中期から鎌倉期にかけて上皇や法皇が熊野三山に参詣した行幸のこと。 後白河法皇が33回、後鳥羽上皇が29回、鳥羽上皇が23回、白河上皇が12回・・・と記録されていて、これが「蟻の熊野詣」と称される大ブームや熊野古道の整備につながった。 車もない時代に京都から熊野まで何度も何度も歩いてきているわけですから(川下りも合わせ技で)、すごくないですか? 藤原定家も随行した「熊野御幸記」の展示は、先日の三井記念美術館に見に行きました。 そこまでして京都から熊野を訪れた理由はたくさんあり、謎も多い気もしますが、当時、熊野は「浄土」とみなされていて、生きながら生まれ変わる場として(「甦り」の場)、罪を浄化し、極楽往生を願う聖地として信仰を集めていたことが理由だとも。 熊野権現は身分や老若男女を問わずすべてを受け入れる場で、だからこそ


神倉神社 熊野根本大権現 神武天皇 火の竜
神倉神社から温泉DEマインド風呂ネス・湯トリートDay3。 ホテル浦島の竜宮城?で時間間隔をゆがめ、禊ぎをした後は、熊野の神々が最初に降臨したとされる聖地(「熊野根本大権現」)である神倉神社へ。 急峻な石段を登る(源頼朝の寄進らしい)と、ご神体のゴトビキ岩に出会う。 ゴトビキ岩は、神倉山の巨大な岩(磐座)。 日本書紀によると、神武天皇が東征の途中に紀伊半島に上陸し、この地にある「天磐盾」に登ったとされる。 祭神の高倉下命(たかくらじのみこと)は、神武天皇が熊野で危機に瀕した際、夢に現れた神より授けられた剣(=フツノミタマ。石上神宮(奈良県)に祀られ、草薙剣と並ぶ日本最古の神剣の一つ)を、神武天皇に献上し、神武天皇を助けた神と伝わる。 2月6日の御燈祭り(おとう祭り)では、白装束の男たちが松明を手に急な石段を駆け下りる狂気の火祭りがある。 熊野に春を告げるお祭りで、地元民謡で「山は火の滝、下り竜」とうたわれる。つまり、1600人の人間の集合体が命がけで火の竜そのものになる。 神倉神社の看板を読んでいると、色々な神話や伝説を生んで交じりあった地である


Day2 南紀勝浦温泉 ホテル浦島
和歌山の秘湯をめぐる!温泉DEマインド風呂ネス・湯♨トリート。 2日目の宿泊は、一度は行ってみたかったホテル浦島へ。 ここは岬や洞窟の上に、どうやって建てたんだろう?という巨大な要塞な施設の場所。 近くの駐車場で車を停めてバスに乗り換え、そこからあえて小さな亀型フェリーに乗り換え、浦島太郎気分になってホテル浦島へ向かう。あまりの巨大な施設ゆえに、本当に昭和から時が泊まったようなホテル。 天然洞窟に自然に温泉が湧出している。 平安時代から熊野三山詣での時に使われていたらしい。 「忘帰洞」の名は、ホテル建設時の大正時代に、徳川頼倫公(紀州徳川家の第15代当主)が『帰るのを忘れさせるほど心地よい』と言ったことに由来するらしい。 いづれにせよ、こうしたスケールの天然洞窟の天然温泉は世界でも類がなく、一度入ってみたかった。 泉質は、含硫黄ーナトリウム カルシウムー塩化物泉(弱アルカリ性低張性高温泉)で、硫黄臭が心地よく、洞窟の中で入っていると、縄文時代にタイムスリップするかのよう。 天然洞窟温泉(「忘帰洞」「玄武洞」)の写真は撮れないので、浦島の公式HPか


那智の滝 飛瀧神社 那智大社 火と水
湯垢離場(ゆごりば)とは、熊野詣の参詣者たちが、聖地に入る前に心身の汚れ(垢)を温泉で洗い流し、禊(みそぎ)を行った場所のこと。 きよもん湯もそうだし、「湯の峰温泉」の「つぼ湯」もそう。 すがすがしい気持ちで聖地に向かうと、受け取るインスピレーションも変わってくる。 那智の滝、飛瀧神社へ。 滝という水のエネルギーの前に、火のエネルギーがあり、温泉とカミ(火・水)の力を受け取る。 五行(ごぎょう)は、古代中国から来た自然哲学の思想。 万物は「木・火・土・金・水」という5つの要素から成り立ち、それらが互いに影響し合って循環しているという考え方。 五行には、お互いを助ける関係(相生)と、抑制し合う関係(相剋)があるが、それは関係性の問題でしかなく、アクセルとブレーキの関係を上手に利用しながら、自然の法則を理解し、その上で人間という自然物を私たちはしっかり運転していかないといけない。 那智大社から見る那智の滝も、素晴らしい。


潮岬 橋杭岩 きよもん湯
温泉DEマインド風呂ネス・湯トリート@WAKAYAMA Well-being Month 2026. 2日目は椿温泉を出て、和歌山の南側をぐるっと回りながら、南紀勝浦まで向かう。 和歌山県の南側、串本町にある潮岬は「本州最南端」だった。確かに、そういわれて日本地図を見てみると、和歌山が南側に飛び出ている。 紀伊半島は、地質学的には「海洋プレートが大陸の下に潜り込み、海底の地層を次々と削り取って押し付けられた」ダイナミックな歴史を持つ地域。 南紀熊野ジオパークで学んだところ、紀伊半島は異なる地球年代の3つの地質体(付加体、前弧海盆堆積体、火成岩体)が折り重なっているので、海岸の岩が不思議な形をしているらしい。 付加体は、7000万~2000万年前の時代。紀伊半島が「深い海の時代」。その時の地層はプレートで押し合いへし合いされているので湾曲している。 前弧海盆堆積体は、1800万~1500万年前。紀伊半島が「浅い海の時代」。千畳敷(白浜町)はこの時代の地層。 火成岩体は1500万年前~1400万年前。激しい火山活動の時代。熊野カルデラという巨大なマグ


椿温泉しらさぎ ミネラルと自然地治癒力 波と永遠
「椿温泉 しらさぎ」は、pH10の強アルカリ性単純硫黄泉。「とろとろ」した肌触りが、なんともやさしい。 現役高校生の息子さんが椿温泉水フェイスパックをクラウドファンディングで製品化されていることや、温泉水を使ったコーヒーや釜めし、なども含め、源泉の扱いや考え方に愛を感じるお宿。源泉かけ流し、循環・ろ過なし。 そこから見えた夕陽も美しかった。 朝いただいた温泉コーヒー(コーヒー温泉?)もミネラルたくさん。 ミネラルは体内の酵素が働くために重要な物質で、人体では合成できないので地球からいただくしかない。自然治癒の秘密はこの辺りに隠されていると、ふんでいる。 温泉が人間の治癒力を高める秘密は、地球のミネラルにこそ、あるのではないのかな。人間は地球に生かされている。すべての栄養素は地球から。 自然治癒力は、自然からやってくる治癒力だから自然+治癒+力でもあり、治癒を極めると自然への畏怖と敬意に通じる。 湯治のできる宿 しらさぎ 〒649-2326 和歌山県西牟婁郡白浜町椿1056-22 https://www.tsubaki-shirasagi.jp/.


美しい地球 千畳敷 えびね温泉 名湯
羽田から和歌山へ。 空の移動で、海と光と人間が織りなす美しい地球の営みを。 WAKAYAMA Well-being Month 2026. 和歌山の秘湯をめぐる!温泉DEマインド風呂ネス・湯♨トリートとして、和歌山を南北に縦断し、東西に横断しながら、湯めぐりをして、動く湯治を行う日々です。 和歌山の千畳敷。南紀白浜空港からすぐ。 海の青が濃い。 岩の模様に地球と海の歴史が刻印。 自然界は曲線ばかり。 えびね温泉(和歌山県白浜町)。 アルカリ性単純硫黄泉(pH9.9)。 とにかく強い温泉。含有物質だけでは説明できない温泉の神秘を感じる。 飲泉も人気で、温泉の購入だけで訪れる人が多いのも稀有。 入浴後、横になろうと思い、休憩所に入り、うどんの匂いにひかれてうどんを食べようと思ったが、結局親子丼を食べて、やはりおいしかった。 温泉の横に静かな川が流れていて、休憩所でもゆるやかな川を眺めながらおいしい温泉水を飲むだけで、すでに瞑想。 名湯。 ぜひ立ち寄ってほしい場所です。 えびね温泉 和歌山県西牟婁郡白浜町向平504


中津 福澤記念館 そして 耶馬渓
別府からすこし足を延ばして中津へ。 中津は、福沢諭吉先生の故郷。 福沢諭吉先生は、1835年(天保5年)に大阪の中津藩蔵屋敷で生まれましたが、1歳6ヶ月で父を亡くし、実家である大分県中津市に戻ります。その後、1854年(安政元年)に19歳で長崎へ遊学するまでの少年・青年期を中津で過ごしています。 その後、大阪の適塾→江戸での蘭学塾を経て、1868年(慶応4年)に慶應義塾と名づけ、小さな「私塾」が、現在の慶應義塾にまで発展。 1835年~1901年、66歳で亡くなられているが、人生の前半33年が江戸時代で、人生後半33年が明治時代なので、江戸と明治をまたいだ方でもある。 独立自尊などふくめ、日本文化と西洋文化をなめらかに接続させ、行き場のなかった熊本の医学者、北里柴三郎の才能を見抜き、慶応大学医学部長に招いたり、北里大学設立を手伝ったりと、諭吉先生の活躍は枚挙にいとまがなく。 自分も不思議な縁で慶応大学のお世話になっている身分で、諭吉先生の生まれ故郷までやってくると、色々なインスピレーション受け取ることができた。 福澤諭吉旧居·福澤記念館 〒871


湯けむり通りでご機嫌に(well-being)
別府の鉄輪(かんなわ)に滞在していると、こんなにも地球の息吹を感じる場所も珍しいと思う。 超良質な温泉ばかりなので、道で会う人もみんな「ご機嫌」だ。well-beingとは、ご機嫌という意味だろうと思っている。長嶋茂雄さんみたいな状態? ご機嫌でさえあれば、「まあなんとかなるさ」と、思える。 生きていれば面倒なことも大変なこともあるのは当然なことで、面倒なことにも大変なことにも執着しなくなる。 心が傷つくことがあっても、傷つかない選択をするようになるし、楽しくないことがあっても楽しいことを選択するようになる。 あまり人のことをとやかく言わないし、「まあこういうことも、時の流れの一コマかなぁ」と、あまり執着しない。 右を見ても左を見ても、湯けむり!だった鉄輪(かんなわ)の日々が懐かしい。 猫も地熱であったかそうだった。