

月は東洋と西洋のあいだに昇る 竹田で考えた瀧廉太郎と山田耕筰
瀧廉太郎は12歳から14歳までを長湯温泉の竹田で過ごした。 少年時代に岡城跡で遊んだ記憶がのちの『荒城の月』に結びついたと伝えられている。 「春高楼の花の宴」と歌われた場所にすでに人はいない。城は滅び、栄華も消え、ただ月だけが、昔と変わらず石垣を照らしている。 そこには、日本文化が長く見つめてきた「無常(Mujo)」の感覚がある。 『平家物語』の盛者必衰、西行の月、芭蕉の古池。日本の芸術は、永遠に残るものだけを美しいとしたのではなく、すべては移ろい、やがて失われるという事実の中に美を見いだしてきた。 吉田兼好は『徒然草』に、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と記した。美は満開という完成の中だけにあるのではない。咲く前の梢にも、散りしおれた庭にもある。桜が美しいのは、咲いた瞬間から散り始めているからだ。 『荒城の月』にもまた、失われゆくものの中に永遠を見る、日本の無常の美学が流れている。 しかし、その旋律を形づくる器は西洋音楽だった。 瀧廉太郎は、西洋の音階や拍節、和声の考え方を学びながら、そこへ日本語の呼吸、日本の風景、日本人が抱いて


町の未来は湯のように地下から湧いてくる 竹田市・長湯温泉にて
首藤勝次さんに案内してもらいながら竹田市・長湯温泉を歩いた。勝次さんが長年育ててきたものは、単なる観光地ではないと感じた。 「この土地をどんな場所として未来へ手渡すのか」という明確なVisionがあった。 長湯の炭酸泉をただ珍しい泉質として売り出すのではない。 温泉を中心に、建築、医療、芸術、食、農業、歴史、景観、そして人々の暮らしを結び直す。 温泉を「入浴場」から、健康と文化と共同体を支える社会の仕組みへ育てていく。足元の小さな源泉を見つめながら、その視野ははるか遠い未来に届いている。 優れたまちづくりには、人と人、場所と記憶、古いものと新しいものを、自由自在に「つなぐ」人が必要なのだと思う。勝次さんはまさにそのような存在なのだろう。 地域の内と外をつなぎ、行政と住民をつなぎ、温泉と医学をつなぎ、日本とドイツをつなぎ、さらに一見関係のなさそうな建築や美術、書物までを温泉の周囲へと集めていく。つなぐとは、単に仲介することではない。異なるものの間に、「まだ誰にも見えていなかった関係を発見すること」なのだ。 空き家対策にも少し心が動くような洒落た名前


【地球の音楽を聴く――長湯温泉「ラムネ温泉館」】
大分県・長湯温泉にある「ラムネ温泉館」へ。 ここで出会う炭酸泉は、ただ湯に浸かるというより、地球の呼吸の中に身体を預けるような体験だ。 ぬるめの湯にゆっくりと身体を沈める。 しばらくすると、皮膚の表面が無数の小さな気泡で覆われていく。腕にも、胸にも、脚にも、あらゆる場所に銀色の泡がびっしりと付着する。 炭酸泉に含まれる二酸化炭素は、皮膚から吸収されることで末梢の血管を拡張し、血流を促す。湯温が低くても、次第に身体の内側から温かく感じられることは人体の神秘だ。 ここで身体に働きかけているのは、「泡そのもの」ではない。 温泉水に分子として溶けている遊離二酸化炭素、すなわちCO₂である。 CO₂は皮膚の表面から濃度差に従ってゆっくりと拡散し、皮膚組織や毛細血管側へ移行する。局所ではCO₂の増加に伴ってpHがわずかに低下し、皮膚の血管が拡張する。その結果、皮膚血流が増える。湯温が低くても、次第に身体の内側から温かさを感じるようになる。 つまり、「炭酸泉が身体に入る」という表現は、完全な比喩ではない。 ただし、泡がそのまま血管へ入り込むわけでも、炭酸水が


地球の炭素を身体で受け取る場所 ―クアパーク長湯
大分県竹田市、長湯温泉にある「クアパーク長湯」を訪れた。 まず心を奪われるのは坂茂さんによる建築。木のやわらかな曲線、繰り返される梁、内と外が緩やかにつながる開放的な空間。人の身体を水辺へ、温泉へ、自然へと静かに導く。 館内のバーデゾーンは水着で利用する広い温泉空間になっている(だから写真もOK)。 湯の中を歩きながら、浮力で関節への負担を減らし身体を動かすことができる。歩行訓練や運動療法につながる空間だ。 歩行浴の通路から横へ突き出した浴槽へ進むと、目の前に芹川の流れが現れる。湯に浸かりながら川を見る。意識は水の流れとともに外へ開かれていく。 一方、内湯は水着を脱いで入る、通常の温泉である。 こちらでは湯そのものに集中できる。歩く場所と休む場所。その両方が一つの施設の中に丁寧に用意されていることが、クアパーク長湯の大きな魅力だ。 そして、長湯の湯を知るには、地球の時間まで遡る必要がある。 九重の山々に降った雨は地下へ浸透し、深部から上昇してくるマグマ性のCO₂と出会う。炭酸を含んだ水は火山岩と反応し、マグネシウムやカルシウムなどを溶かし込みなが


「私もまた、チッソだった」――緒方正人さんが問い続けている〈いのち〉のこと
今日、2026年9月12日の朝日新聞を開いて、緒方正人さんのインタビューに目が止まった。 大きく書かれていた。「死んだ父の仇討ち 行政と闘ったが 水俣病の本質とは」 そして、もう一つ。「逃れ難い経済の檻 悪の因子 自分にも 考え続ける責任」 緒方正人さんの思想に触れるたび、私は思う。 この人のすごさは、「水俣病について深く考えた」というだけではない。 考えるという行為そのものを、途中で反転させてしまったことにある。 父を水俣病で亡くし、自らも患者となった緒方さんにとって、チッソは文字通り「父の仇」だった。だから闘った。チッソを問い、行政を問い、国家を問うた。 ところが問い続けているうちに、奇妙なことが起こる。 「責任者は誰なのか」と追いかけても、その最後に、責任を引き受ける一人の人間がいない。あるのは会社であり、行政であり、国家であり、制度であり、システムだった。 緒方さんは、その経験について『チッソは私であった』で、責任主体としての人間がどこにも見つからなかったこと、そしてその問いがついには「私という存在」そのものの根拠を揺さぶったと記している


生きるための形―草間彌生が描き続けたもの(NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』)
「命がけで描く」ということ。 NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』を見た。初回放送日が2012年。当時も見たおぼろげな記憶はある。 改めて、圧倒された。 *NHK One 作品そのものにも、もちろん圧倒されるのだが、それ以上に心を動かされたのは、草間彌生という一人の人間が、本当に命がけで絵を描いている姿だった。 「命がけ」という言葉は、芸術家について時々使われる。しかし草間さんの場合、それは比喩ではないように感じた。描く。描く。また描く。キャンバスを埋め尽くしても、次のキャンバスへ向かう。 83歳の身体で、世界的な名声のただ中にいながら、制作の現場には驚くほど華やかさがない。そこにいるのは、ただ、描かなければ生きていけない一人の人間だった。 そして、私が最も胸を打たれたのは、草間さんが自分の孤独や不安をまったく格好よく見せようとしないことだった。不安になり、孤独になり、怖くなると、近くの病院の「自分の部屋」へ戻る。病院が自分の自宅になっていて、自分の自宅が病院になっている。病院の中に自分の居場所を求め、不安がおさまるまで、そこにいる


湯気と光のなかに二百年の時間「ただ、熱い湯に、ずんぶり。」@山田温泉・大湯(高山村)
山田温泉「大湯」(長野県高山村)。 これまで数多くの共同浴場に入ってきたけれど、ここは間違いなく、私の好きな共同浴場の一つになった。 山田温泉は、松川渓谷へ向かう途中にある小さな温泉地だ。 小布施(この土地も素晴らしい)から松川に沿って山へ入っていくと、蕨温泉、子安温泉、山田温泉、さらに松川渓谷温泉、五色温泉、七味温泉、そして標高1500mを超える奥山田温泉へと続く。 わずかな距離で、湯の色も泉質も風景も変わる。まるで地球内部を、川に沿って遡っていくような温泉郷なのだ。 小布施町から山側へ車で20分ほどで山田温泉(高山村)があり、温泉街の中心に「大湯」がある。「中心に共同浴場がある」という町のつくりが、まずいい。 昔の温泉街では、湯は旅館の付属施設ではなかった。 人々が湯のまわりに集まり、宿ができ、店ができ、道が生まれ、町になった。 つまり、温泉が町をつくった。 ・・・・・ 大湯の中へ入る。 まず目を奪われるのが、木、木、木! 浴槽だけではない。床も壁も窓枠も木でつくられ、身体全体が木造建築の内部に包まれる。 昔ながらの板張りの洗い場と総ヒノキの


味噌ジェラート@鹿教湯温泉(イズミヤ ジェラート)
1982年の鹿教湯温泉「’82 マイコン・イン」のことを書いた。古い湯治場に、まだ誰も見たことのない「未来」を持ち込もうとした不思議で魅力的な試み。 →●「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」&坂本龍一さん 当時のチラシを見つけた場所は、鹿教湯温泉で9月12日(土) にオープンする「イズミヤ ジェラート」。廃業した巨大な「いづみや旅館 鹿教湯温泉」の再生事業。まず1階から。今後は素泊まりも稼働していくらしい。 イズミヤ ジェラートオープン前にご好意で食べさせていただいたが、これが実においしい! 今回いただいて驚いたのが、味噌ジェラートだった。 その味噌をつくっているのが、鹿教湯から近い丸子の大桂商店。ここがまた、とても素晴らしいお味噌屋さんなのです。我が家は、自分で作った手作り味噌と大桂商店の味噌とのマリアージュで食べているほど(小諸の山吹味噌も買います)。自分の腸内細菌は、長野の微生物でできてます。 大桂商店の創業は文政4年、1821年。200年以上にわたって丸子で味噌を造り続けている。原料は大豆、米、塩という、ごくシンプルなもの。麹室で麹蓋を


「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」&坂本龍一さん
鹿教湯温泉に行き、古いポスターを見つけて驚いた。 1982年、鹿教湯温泉で開催された「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」。 そこに写っていたのは、若き日の坂本龍一だった(かっこいい!)。 温泉と坂本龍一。湯治場とマイコン。 一見すると、まったく結びつかない。 でも少し調べてみると、このポスターの中には、1980年代という時代そのものが凝縮されていた。 鹿教湯温泉は、古くから湯治と療養の土地として知られてきた場所だ。身体を休、病を癒す。しばらく日常を離れ、自分の身体を土地に預ける。 温泉とは、単にお湯に入る場所ではなく、もともと「滞在しながら身体と生活を組み替える場所」だった。 そんな鹿教湯が1982年、未来の象徴であった「マイコン」を温泉地へ持ち込んだ。 「マイコン・イン」は、子どもたちにコンピュータに触れてもらう、いわば滞在型の学びの試みだったという。そして、その広告の顔として登場したのが坂本龍一だった。 当時の坂本龍一はYMOの活動を通じて、シンセサイザーやコンピュータ、電子音を駆使し、誰よりも鮮やかに「未来の音」を鳴らしていた。...


身体性から、自分の「根」を見つめる。——10月17日、伊那へ
10月17日(土)、長野県伊那市の inadani sees で、半日の講座を開催します。 テーマは、「身体性から自分の根を見つめる」です。 私たちは日々、たくさんのことを「頭」で考えています。自分とは何者なのか。 けれども、自分という存在の「根」は、頭だけで探しても、なかなか見つからないものなのかもしれません。 植物が、目に見えない土の中へ根を伸ばしているように、人間にもまた、思考より深いところに自分を支えている場所があります。それが、身体です。 呼吸、鼓動、姿勢、歩くこと、触れること。疲れや心地よさ、言葉になる前の小さな違和感。 身体は、私たちが「分かる」よりもずっと前から、世界を感じています。 今回は、「身体について知る」というよりも、身体を通して、自分自身へ帰っていく時間にしたいと思っています。 そして、このテーマを考える場所として、伊那はとてもふさわしい場所です。 会場となる inadani sees は、森を中心に、人と自然、地域、文化、仕事、学びをつなぎ直す活動を続けている素晴らしい方々がつくっている場所です。 彼らがつくる 『se