【地球の音楽を聴く――長湯温泉「ラムネ温泉館」】
大分県・長湯温泉にある「ラムネ温泉館」へ。


ここで出会う炭酸泉は、ただ湯に浸かるというより、地球の呼吸の中に身体を預けるような体験だ。
ぬるめの湯にゆっくりと身体を沈める。
しばらくすると、皮膚の表面が無数の小さな気泡で覆われていく。腕にも、胸にも、脚にも、あらゆる場所に銀色の泡がびっしりと付着する。
炭酸泉に含まれる二酸化炭素は、皮膚から吸収されることで末梢の血管を拡張し、血流を促す。湯温が低くても、次第に身体の内側から温かく感じられることは人体の神秘だ。
ここで身体に働きかけているのは、「泡そのもの」ではない。
温泉水に分子として溶けている遊離二酸化炭素、すなわちCO₂である。
CO₂は皮膚の表面から濃度差に従ってゆっくりと拡散し、皮膚組織や毛細血管側へ移行する。局所ではCO₂の増加に伴ってpHがわずかに低下し、皮膚の血管が拡張する。その結果、皮膚血流が増える。湯温が低くても、次第に身体の内側から温かさを感じるようになる。 つまり、「炭酸泉が身体に入る」という表現は、完全な比喩ではない。
ただし、泡がそのまま血管へ入り込むわけでも、炭酸水が全身に蓄積するわけでもない。
湯に溶けたCO₂分子の一部が皮膚を通過し、主として末梢循環に働きかけ、血液に入ったものは最終的に肺から呼気として排出されていく。
皮膚は、身体を外界から遮断する壁であると同時に、地球と身体が静かに物質を交換する窓だ。
けれど、炭酸泉のすごさは医学的な作用だけでは語り尽くせない。
湯の中で耳を澄ませると、気泡が耳もとで、「ぱち、ぱち、ぱち」と弾けている。 それは、遠い雨音のようでもあり、小さな焚き火のようでもあり、地中から届く微かなモールス信号のようでもある。 人工的な音楽ではない。
水と鉱物と二酸化炭素が奏でる地球の音楽。
私たちは普段、地面を歩いていても、地球そのものの音を聴くことはほとんどない。
ラムネの湯では耳を湯につけた瞬間、人間の時間よりもはるかに長い、地下水と岩石の時間に触れることができる。 耳には地球の音楽。 皮膚には地球との呼吸。
長湯の炭酸泉は、私たちの身体が世界に対して完全に閉じられているのではなく、皮膚という境界を通して今も地球とつながっていることを教えてくれる。
ぬるい炭酸泉にじっくり浸かり、その後に温かい湯へ移る。そこは洞窟のような母体のような空間だ。この温冷の往復が実に気持ちいい。
熱で広がった身体が、ぬるい炭酸泉の中で静かに落ち着いていく。心拍や呼吸、自律神経のリズムまで自然にほどけていく。激しい温冷刺激ではなく、身体と対話しながら行き来できるやさしい温冷浴である。
野外の空間は開放的で、空が大きく見える。空の向こうは宇宙の果てまでつながっている。
閉じ込められる感覚がなく、身体だけでなく視線まで遠くへ伸びていく。
湯に浸かりながら、皮膚は炭酸の泡を感じ、耳は地球の音を聴き、目は空と建築を眺める。全身の感覚が、ゆっくりと開かれていく。
そして、この体験を決定的に特別なものにしているのが、建築家・藤森照信さんの建築だ。
焼杉の黒、漆喰の白、屋根を飾る松。素朴で原始的でありながら、どこか童話的でユーモラスでもある。現実の温浴施設というより、地中から突然現れた小さな生命体、あるいは別世界へ通じる入口のようだ。不思議の国のアリス。



藤森建築には、建物を見る者の「創造性」を刺激すると同時に、眠っていた「想像性」を呼び覚ます力がある。
扉をくぐるとき、私たちは単に浴室へ入るのではない。日常の常識が少しだけ緩む「異界」へ入っていく。 温泉とは本来そういう場所なのかもしれない。
衣服を脱ぎ、社会的な役割を脱ぎ、時間の速度を落とす。大地から湧いた水に身体を浸し、自分もまた自然の一部だったことを思い出す。
ラムネ温泉館は、炭酸泉という自然の力と藤森建築という人間の想像力とが出会う場所だった。
皮膚には無数の泡。 耳にはぱちぱちと弾ける地球の音楽。 頭上には広い空。
宇宙や地球という遥かなる世界に生きている。生かされているという実感。
温泉は「地球がつくった病院」であると同時に、私たちの感覚と想像力を蘇らせる、地球がつくった芸術館でもあるのだ。




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