町の未来は湯のように地下から湧いてくる 竹田市・長湯温泉にて
首藤勝次さんに案内してもらいながら竹田市・長湯温泉を歩いた。勝次さんが長年育ててきたものは、単なる観光地ではないと感じた。
「この土地をどんな場所として未来へ手渡すのか」という明確なVisionがあった。

長湯の炭酸泉をただ珍しい泉質として売り出すのではない。
温泉を中心に、建築、医療、芸術、食、農業、歴史、景観、そして人々の暮らしを結び直す。
温泉を「入浴場」から、健康と文化と共同体を支える社会の仕組みへ育てていく。足元の小さな源泉を見つめながら、その視野ははるか遠い未来に届いている。
優れたまちづくりには、人と人、場所と記憶、古いものと新しいものを、自由自在に「つなぐ」人が必要なのだと思う。勝次さんはまさにそのような存在なのだろう。
地域の内と外をつなぎ、行政と住民をつなぎ、温泉と医学をつなぎ、日本とドイツをつなぎ、さらに一見関係のなさそうな建築や美術、書物までを温泉の周囲へと集めていく。つなぐとは、単に仲介することではない。異なるものの間に、「まだ誰にも見えていなかった関係を発見すること」なのだ。



空き家対策にも少し心が動くような洒落た名前を与える。
空き家を「客室」や「滞在の場」として活用し、温泉街全体をひとつのホテルと見立てる「分散型ホテル(アルベルゴ・ディフーゾ)」の仕組みを応用している。
すると、空き家は、「人口減少が残した負の遺産」ではなくなる。旅人を迎える部屋になり、新しい暮らしの入口になり、町にもう一度物語を呼び込む余白になる。




名前を変えることは、「ものの見方を変えること」だ。私が大切にしていることでもある。『温泉は地球の病院』も、『マインド風呂ネス』も、そうした試みの一環。
Language is Magic。
日本の天才言語学者であり哲学者でもある井筒俊彦は、1951年に『Language and Magic』という先駆的な英文著作を発表している。彼は言語の本質を単なる記号や伝達ツールではなく、世界(現実)を立ち上げ、変容させる「呪術的・魔術的な力」を持ったものとして捉えていた。
そして、まちづくりは一人の英雄だけでは成り立たない。
道を掃く人、花を育てる人、建物を修繕する人、川を守る人、訪れた人に声をかける人・・・。表には名前の出ない「縁の下の力持ち」が無数に存在するからこそ、コミュニティは生きた身体のように働く。
長湯の美しい景観も偶然そこに残っているのではない。それを美しいと感じ、守ろうとする無数の人の手と眼差しによって日々つくり直されている。
町には効率や経済合理性だけでなく、美意識こそが必要なのだと思う。
何を建てるかと同じくらい、何を建てないか。何を新しくするかと同じくらい何を古いまま残すか。看板の大きさ、素材の手触り、建物と山や川との距離。そこには土地全体を一つの作品として見る、高い審美眼が求められる。
長湯の町歩きが楽しいのは、その眼差しが随所に感じられるからだろう。
道は車を速く通すためだけのものではない。人間が歩き、立ち止まり、誰かと出会い、風や匂いを感じるための場所でもある。歩く速度になると、車窓からは見えなかった水の流れや石の表情、路地の奥の生活、遠くの山の稜線が現れてくる。町は「通過する風景」から、「読み解く風景」へと変わる。



道沿いに置かれた詩や俳句の碑もいい。
山頭火『宿まで かまきり ついてきたか』

文字は風景に、もう一つの時間を重ねる。目の前の山や川に、かつてそれを見た人の心が加わり、現実の風景の奥に別の風景が立ち上がる。詩は説明ではない。人間の無意識に近い場所へ働きかけ、想像力の扉を静かに開くものだ。
私自身、山形ビエンナーレ2024の芸術監督でも、意識だけでは届かない場所へ触れるために「無意識」に近い言葉を使った。土地の未来をつくるのは人の心の深い場所に、憧れや誇りを呼び覚ます言葉や物語もまた町を動かす力になる。
Language is Magic、なのだ。
長湯を象徴する「かに湯」の前を通った。
川辺にたたずむ伝説の露天風呂に身を置くと、時間の層を遡り、昔の湯治場へタイムスリップしたような感覚になる。



石の間から炭酸泉がぷくぷくと湧き出す姿を「かに」に見立てた、昔の人の想像力もなんとも愉快だ。
自然現象を測定し分析する科学の眼差しと、それを「蟹の姿」として見る詩的な眼差し。その二つは対立しない。むしろ両方があることで、温泉は単なる地下水ではなく、土地の記憶と物語を宿した存在になる。
長湯温泉には、湯だけではなく、未来を信じるための温度がある。
よい町とは、完成された町ではないのだろう。土地の価値を知り、人をつなぎ、名もなき仕事を尊び、美しさを守りながら、次の物語を受け入れる余白がある町だ。
首藤勝次さんたちが育ててきたのは、温泉地への憧れと、そこに暮らす人々の誇りである。
それは、地中深くから湧き続ける炭酸泉のように、目には見えない場所から町全体を静かに支えている。
町の未来は、湯のように地下から湧いてくるのだ。

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