生きるための形―草間彌生が描き続けたもの(NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』)
「命がけで描く」ということ。
NHKスペシャル『水玉の女王 草間彌生の全力疾走』を見た。初回放送日が2012年。当時も見たおぼろげな記憶はある。
改めて、圧倒された。

作品そのものにも、もちろん圧倒されるのだが、それ以上に心を動かされたのは、草間彌生という一人の人間が、本当に命がけで絵を描いている姿だった。
「命がけ」という言葉は、芸術家について時々使われる。しかし草間さんの場合、それは比喩ではないように感じた。描く。描く。また描く。キャンバスを埋め尽くしても、次のキャンバスへ向かう。
83歳の身体で、世界的な名声のただ中にいながら、制作の現場には驚くほど華やかさがない。そこにいるのは、ただ、描かなければ生きていけない一人の人間だった。
そして、私が最も胸を打たれたのは、草間さんが自分の孤独や不安をまったく格好よく見せようとしないことだった。不安になり、孤独になり、怖くなると、近くの病院の「自分の部屋」へ戻る。病院が自分の自宅になっていて、自分の自宅が病院になっている。病院の中に自分の居場所を求め、不安がおさまるまで、そこにいる。この姿が忘れられない。
世界中の美術館が彼女を求め、作品には巨額の値がつき、世界的ブランドが彼女と仕事をする。
その一方で、一人になれば不安になる。そして不安になれば、自分が安心できる場所へ戻っていく。そこに虚勢がない。
「私は世界的芸術家だから大丈夫だ」とは言わない。怖いときには、怖い。不安なときには、不安である。一人では難しいときには、人のいる場所へ戻る。
この正直さに、私は深い敬意を覚えた。
医療の世界では、しばしば「自立」が健康の目標になる。誰にも依存せずに生活することは大切だ。
しかし、人間の健康は本当に「誰にも頼らないこと」なのだろうか。
私はむしろ草間さんの姿に、別の健康の形を見る。
不安にならないことが健康なのではなく、不安になったとき自分を安全な場所へ連れていけること。一人で耐え続けることではなく、「今の私は、一人では危うい」と身体が知らせてきたとき、その声を無視しないこと。
これは「弱さ」ではない。
私はむしろ、自分という生命を壊さずに生き延びるために、草間さんが長い時間をかけて身につけた知恵だろうと思った。生きるための術(わざ)。
健康とは、揺れないことではない。揺れたあとに戻ってこられることだ。
健康な自己とは、硬い壁のような自己ではない。開くことと閉じることができ、世界とつながり、そして再び自分へ戻ってこられる柔軟な自己なのだと思う。
草間さんの生きざまから教えられた。
そして、もう一つ。
草間さんの作品は単純に「病から生まれた芸術」というものを超えている。幻視や不安や孤独があり、それは事実として尊重すべきだ。
しかし、「病気だったから水玉を描いた」「症状が芸術になった」と説明してしまえば、草間彌生という人間も芸術も、あまりに小さくしてしまう。
草間さんが凄いのは、自分にやってきた不安や幻視や孤独を、そのまま自分の内部に閉じ込めなかったことだ。描いて、反復し、増殖させた。
一つの点を打ち、また一つ、もう一つ・・・。すべては「一点」からはじまる。
一人の人間の内側にあったものが、キャンバスを越え、部屋を越え、美術館を越え、世界中の人々がその中へ入ることのできる「場」になった。
一個の点は孤独だったが、一万個の点が小宇宙になった。
孤独を克服したのではない。孤独を抱えたまま、生きる形へ変えた。
医療が「苦痛を取り除くこと」を目指す営みだとすれば、芸術にはもう一つの可能性がある。「取り除くことのできないものを抱えて生きられる形へ変えること」だ。
草間彌生の水玉を見ながら、私はそんなことを思う。
怖くなれば帰る。不安なら人のいる場所へ行く。おさまるまで待つ。
そして、また描く。描いて描いて描き続ける。
世界がどれほど彼女を称賛しても、その営みは最後まで変わらなかった。
それは「病と闘った芸術家」という物語より、もっと深く、もっと人間的だ。
弱さを消さずに生きる。孤独を隠さずに世界とつながる。
そして、痛みを痛みのまま世界へ返さず、作品へと変える。
草間彌生という人の強さは、弱さがなかったことではない。
弱さも不安も孤独も、自分の生命から追放しなかったことだ。
そして、それらすべてを連れてキャンバスの前へ戻っていったこと。
その姿に、医療者として、そして一人の人間として、深い敬意を感じた。
生きることと描くことが一つになった。
そのことに、ただ圧倒された
草間彌生は、苦しみを消して生きたのではない。
苦しみとともに、それでも生命が動き続けられる「形」をつくった。
そして、その「形」を私たちは芸術と呼んでいるのだろう。


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