上田わっしょい 上田映劇 サマーウォーズ
- inaba
- 8月1日
- 読了時間: 3分
上田わっしょいに行く。
長野県上田市で毎年7月最終土曜日に行われる夏祭。
上田駅前の商店街を全て封鎖し、市民が練り歩きながら踊る。
長野には、「長野びんずる」(1971年~)、「上田わっしょい」(1972年~)、「松本ぼんぼん」(1975年~)などのお祭りがあり、かなり盛り上がる。
熊本でも、1000年以上の歴史をもつ藤崎八旛宮の例大祭があり、加藤清正時代(秀吉の朝鮮出兵)から続けられているお祭りなだけに、動物の扱いや、掛け声NG(ぼした祭り)、など、色々と批判を受けている。が、夏の熱狂を生み出す祭りは、形態を変えながらも、ずっと生き続けるだろうと思う。
自分は自然エネルギーが高い地としての聖地や温泉を人生のテーマにしているが、自然エネルギーだけではなく、人間のエネルギーの場としての「祭り」も重要な要素であると思う。
自然と人間のエネルギーが高まり爆発する場で、誰もが命の底にあるエネルギーの源に気づく。また今日も明日も、元気に朗らかにご機嫌に生きて行こうと思えるから。
祭りは狂乱の夜。



翌朝は、上田映劇にサマーウォーズを見に行った。


海野町商店街などの同じ場所は、夜が明けて朝になるとゴミ一つない。より清浄な空間になっていたのは、日本人の宗教心の表れだと思った。

まるで能舞台のようだ。
何もない舞台がある。そこで生者と死者が入り混じって舞台が演じられる。演者はすべて消え、また何もない舞台へと戻っていく。空(クウ)ではじまり、空(クウ)で終わる。
「一期は夢よ ただ狂え」『閑吟集』
上田映劇での「サマーウォーズ」(2009年、監督:細田守)。
このアニメは上田市が作ったのでは?と思うほど、長野県上田の風景があらゆる場面で出て来る。
細田守監督は、妻の実家がある上田市を訪れた際、「日本の原風景」を感じ取ったと。それだけ、ノスタルジーに訴える風景の力が上田にはあると思う。真田家もこの辺り。
「上田わっしょい」の翌日には、開館100周年!を迎える老舗映画館「上田映劇」で、無料のサマーウォーズの上映会がある。



上田映劇は、1917年(大正6年)に開館し、2011年に一度閉館を迎えたが、2017年からコミュニティシネマとして定期上映を再開した。館内もタイムスリップしたような空間で、この場所で多くの人が夢の世界を旅したと思うと、空間のしつらえにぐっとくる。若い人たちが、こうしたローカルな映画館に集うようになればいいなぁ、とも。




「サマーウォーズ」(2009年)は、16年前の映画とは思えないほど、きわめて現代的なテーマで、素晴らしかった。
AIのシステム化が極まった世界と、旧来の人と人との直接的なつながりとが、時に対立的に、時に調和的に描かれて行く。
大家族を束ねる陣内栄おばあちゃんの
「一番いけないのは、おなかが空いていることと、独りでいることだから。」
という遺言は、心に響いた。
簡潔に真理を突いている。
「ひとり」も、「一人」か「独り」かで意味が違う。「一人」はただの人数を示しているだけだが、「独り」は関係性を失い、居場所を失った「独り」。コロナ禍でも、社会的に大きな問題として顕在化してきたのが、まさにこの「Loneliness(孤立・孤独)」の問題だったのだと思う。
ネット世界のゲームの対比で花札が重要なシーンで出てきた。花札もやってみたいな、と思ったのは、かつての将棋指しだった血が騒いだから。
「サマーウォーズ」は、とにかく心に響く素晴らしいアニメ。
見た後も家族内で、どこがよかったか、と何周かに渡り話し続けた。今も余韻が残る。
全体も細部もすべてが素晴らしい作品。
