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松本・浅間温泉「湯々庵 枇杷(びわ)の湯」

7 日前
読了時間: 4分

松本・浅間温泉の「湯々庵 枇杷の湯」。

時間の漏斗、その奥へ。湯に沈めば、殿様の身体。



軽井沢から松本へ。

この道のりが好きだ。


軽井沢を出て、浅間山の気配を背中に感じながら西へ向かう。佐久の広い空を抜け、山あいへ入り、峠を越えていく。高原の光、遠く重なる山の稜線、収穫を待つ田畑、小さな集落。車窓の風景が少しずつ変わるたびに、自分の中の時間の速度まで変わっていくように感じる。


そして途中、鹿教湯温泉を通る。ここは、素通りするのがなかなか難しい。


鹿に導かれて湯を発見したという伝説を持ち、古くから湯治場として人々の身体を受け止めてきた場所。山あいへ入り、鹿教湯の文字が見えてくるだけで、「ちょっとだけ入っていこうか」という誘惑が生まれる。





今回は松本へ向かわなければならない。温泉を横目に、そのまま車を走らせる。しかし、後ろ髪を引かれる。


温泉地というのは不思議なもので、入った温泉だけが旅の記憶になるのではない。入らなかった温泉もまた、旅の記憶になる。

「あそこに湯がある」と身体が知りながら通り過ぎる。その小さな心残りが、次の旅の種になる。



鹿教湯を後にして、三才山トンネルを経て山を越える。

道は曲がり、標高を変え、光の角度も、植生も、空気も少しずつ変わっていく。

そして松本へ近づくと、山の向こうから大きな盆地がひらける。


遠くには北アルプスの山々。その懐に、松本という町が静かに横たわっている。


軽井沢から松本へ向かうことは、単なる東西の移動ではなく、高原から盆地へ、峠から城下町へ、鹿教湯という古い湯治場をかすめ、そして、現代から少しずつ昔の時間へ。

風景の層を一枚ずつめくりながら移動していくような感覚がある。



そんな旅で訪れたのが、

松本・浅間温泉の「湯々庵 枇杷(びわ)の湯」。

ここはいつも立ち寄る場所。露天風呂に身を委ねると時間を忘れ、湯に没頭できる。







そもそも、浅間温泉街にはいったとき、さらに時間の速度が変わる。


大きな道から一本入れば、道は急に細くなり、曲がり、坂になり、古い家や石垣が身体のすぐ近くまで迫ってくる。こうした狭い路地には、不思議な力がある。



車の速度から、人間の身体の速度へ。


視界が限定され、曲がった先が見えなくなると、意識まで現代の直線的な時間から外れていく。



まるで時間の漏斗の中を進むように、少しずつ過去へと導かれていく。



そのいちばん奥に、「御殿湯」がある。






ここは、ただの古い温泉ではない。


かつて松本城主が湯治・保養に利用した「御殿湯」の歴史を受け継ぐ場所だ。



「御殿湯」とは何だろう。

江戸時代、温泉は必ずしも万人に同じように開かれた場所ではなかった。浅間温泉には松本藩主のための御殿湯が置かれ、城主や家臣たちが身体を休める場所となった。

だからここでは、「殿様気分」で湯に入ってみるのが面白い。


松本城から奥座敷までやってきて、衣服を脱ぎ、湯に身体を沈める。

藩政や政治、人間関係という緊張から離れて、城主もまた一人の身体に戻っていたのだろう。権力者であっても、疲れる。温泉に入る瞬間だけは、身分や役割以前の「ひとつの身体」に戻る。


そう考えると御殿湯とは、殿様のための贅沢な浴場である以上に、殿様が一時的に「殿様であること」を脱ぐための場所だったのかもしれない。


浅間温泉は、刺激の比較的穏やかな単純温泉系の湯。

単純温泉とは「成分のない温泉」という意味ではなく、溶存物質量が1,000mg/kg未満で、泉温25℃以上という分類である。

温泉医学的には、こうした湯は化学成分による刺激が比較的穏やかで、身体をゆっくり預けやすい。

単純温泉の泉質別適応症には、自律神経不安定症、不眠症、うつ状態なども挙げられている。


ただ、温泉の効果は泉質だけでは決まらない。温泉療法は、湯の中のイオンだけを見るのではなく、「湯 × 温度 × 身体 × 環境 × 時間」の総体として考えた方が、本質に近いと思う。


枇杷の湯で何より印象に残ったのは、湯の成分以上に「時間」だった。


軽井沢を出て、高原を抜け、峠を越え、松本盆地へ降り、城下町から浅間温泉へ入り、細い路地のさらに奥へ進み、御殿湯で服を脱ぎ、湯に身体を沈める。

旅をしながら空間を移動していたはずなのに、気づけば時間を移動していた。


温泉には、身体を温めるだけではなく、身体を媒介にして、時間を遡る力がある。


400年前の殿様と現代の自分では、生きている世界はまったく違うけれど、疲れた身体を湯に沈め、「ああ、気持ちいい」と感じる瞬間だけはほとんど変わっていない。


御殿湯で、しばし殿様になる。それは贅沢な気分を味わうというより、社会的な肩書きをいったん脱いで、ただ一人の人間の身体へ戻ること。


軽井沢から松本へ移動した一日の終わりに、場所を旅していた自分が、いつの間にか時間を旅していた。

そんなことを思わせてくれる温泉だった。



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