

水平線と同じ目線で湯に浸かる。@HOTEL SEAMORE「三段の湯」
和歌山県。南紀白浜のHOTEL SEAMORE(ホテルシーモア)、「三段の湯」へ。 こちらにはまだ泊まったことがなく、海を望む足湯(これまた絶景!)をいつも堪能させてもらっていました(足湯は温泉ではないらしい?)。 今回は、温泉の調査・分析の機会に、初めてHOTEL SEAMOREの中にある「三段の湯」に入らせていただきました。 これが、想像以上にすばらしかった。 崎の湯でも感じた、海と同じ目線になるような感覚。 湯面の向こうに海が続き、その先に水平線がある。景色を眺めているうちに、自分もその風景の一部になっていくようでした。ちょうど夕焼けが目に溶け込んでそれはそれは美しく。 「三段の湯」というだけあって三段階の深さがあり、深いところは120cmの立ち湯。 ホテル公式では、行幸源泉を使った源泉かけ流しと案内されています。 泉質は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。塩化物泉の保温性と、炭酸水素塩泉の皮膚の清浄作用という、二つの特徴をあわせもつ泉質です。 立ち湯に浸かりながら、温泉の歴史にも思いを巡らせました。 かつて有馬の共同浴場には、深さが約1


田沢温泉と古代東山道。1300年を超える祈りの風景。道は人を運び湯はいのちを癒やす。
長野県青木村の田沢温泉「有乳湯」に入った帰り道、偶然、古びた一本の道標に出会った。 「歴史の道 東山道」 その隣には、「豊受皇大神宮を経て保福寺峠に至る」と刻まれている。 思いがけず、古代日本の歴史と出会った気がした。 東山道(とうさんどう)は、奈良時代の律令国家が整備した七つの主要な道の一つ。都から近江、美濃、信濃を経て、上野、下野、陸奥へとつながる国家の大動脈だった。 この道を通って、役人や兵士、防人、物資や情報が行き交った。都の文化や仏教もまた、こうした交通網を通じて地方へと広がっていった。 青木村の西には、標高1345メートルの保福寺峠がある。古代の東山道はこの峠を越え、青木村にあったと考えられる浦野駅へと続いていた。 峠越えは、決して容易な旅ではなかっただろう。 『万葉集』には、信濃の新しく開かれた道で、切り株に足を傷つけないようにと、旅立つ人を気遣う歌が残されている。 国家にとって道は、統治のための仕組みだった。しかし、道を歩く一人ひとりにとっては、出会いと別れ、希望と不安、疲労と祈りの場所でもあったはずだ。 そして、ここからが興味深


田沢温泉「有乳湯」はいのちを育む湯、暮らしを支える湯。
長野大学での講義帰りに、長野県青木村、田沢温泉の共同浴場「有乳湯(うちゆ)」へ立ち寄った。 山あいの坂道を上ると、木造旅館が並ぶ懐かしい温泉街が現れる。まるで時間の流れが変わったような、静かな場所。 田沢温泉は、修験道の開祖・役行者(役小角)が開いたと伝わる古湯。修験道とは、山に入り自然の力に触れながら心身を鍛え、いのちの根源と向き合う日本独自の修行文化でもある。 そして「有乳湯」という不思議な名前。 ここには、山姥が湯治をして金太郎を産んだという不思議な伝説が残る。古くから子宝の湯、母乳の出がよくなる湯として、女性たちに親しまれてきた。 この伝承には大切な知恵が宿っているように思う。 出産、授乳、育児。女性の身体が大きく変化する時期に、休息できる場所があること。 母親自身もまた、いたわられ、支えられる存在であること。 いのちを育む人もまた、誰かに育まれる必要がある。 そんな優しさが「有乳湯」という名前には込められている気がする。 そして、何よりお湯が素晴らしい。 ぬるい湯が、最高なのだ。 2025年の分析表では、源泉温度39.8℃、pH9.45


温泉水に入り時間をほどく 下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」
下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」。 inadani seesのイベントで伊那へ向かう途中、ドライブ湯治がてら、諏訪に立ち寄った。 道中で湯に浸かり、移動の時間を、ドライブ中にも温泉心地で運転するために。 「菅野温泉(すげのおんせん)」の創業は明治19年。今年で140年になる。 明治、大正、昭和、平成、令和。 街の景色も、人の暮らしも変わるなかで、ここでは幾世代もの人が湯に浸かってきた。この懐かしさは、意匠だけではつくれない。無数の時間が重なって、空間の肌触りになっている。湯に身体を沈めるとき、私たちはその長い時間にも包まれる。 諏訪の温泉に入るたび、水の力が強い、と感じる。 ただ温度が高いというだけではない。湯から上がっても、一日中身体のどこかで水の余韻が鳴り響く。身体の奥まで届いた何かが、ゆっくりと響いているような感覚がある。もちろん、「水のエネルギー」は医学的な測定値ではないけれど、温度や成分の数字だけでは言い尽くせない体験を、身体は確かに受け取っている。 菅野温泉の分析表を読むと、その湯の輪郭が見えてくる。 泉質は「ナトリウム・カルシウ


火と水。そのぬくもりを誰がつくるのか。「湯〜トピアみどモスパ」(群馬県みどり市)
チハヤ会60週イベントもあり、群馬県みどり市の「湯〜トピアみどモスパ」を訪ねました(2026年5月にグランドオープンしたばかり!)。 温泉の魅力は、さまざまなところにあります。泉質や肌触り、土地の歴史・・・。あらゆることが、その温泉の記憶になります。 今回、心に残ったのは、お湯を温める「火」のことでした。 温泉の本質は『火と水』です。 地球の熱と、地中をめぐる水。 その出会いが、私たちの身体を包むお湯になります。 そして、『火〈カ〉+水〈ミ〉=カミ』でもあり、いのちを支える自然への畏敬を込めて、カミ、という言葉がある。それは温泉(火の水)として顕現しています。 ここでは、その『火』に、福祉と林業をつなぐ人の営みがメラメラと宿っていました。 温泉を温める薪をつくっているのは、今年60周年を迎える社会福祉法人チハヤ会のみなさんです。 福祉と芸術をはじめ、多彩な活動を育んできたチハヤ会については、あらためて詳しく紹介したいと思います。 地域の間伐材や未利用の木材が「木の駅」に集まり、チハヤ会の「MAKIT〈マキット〉」の仕事を通して薪になる。 福祉施設


松本・浅間温泉「湯々庵 枇杷(びわ)の湯」
松本・浅間温泉の「湯々庵 枇杷の湯」。 時間の漏斗、その奥へ。湯に沈めば、殿様の身体。 軽井沢から松本へ。 この道のりが好きだ。 軽井沢を出て、浅間山の気配を背中に感じながら西へ向かう。佐久の広い空を抜け、山あいへ入り、峠を越えていく。高原の光、遠く重なる山の稜線、収穫を待つ田畑、小さな集落。車窓の風景が少しずつ変わるたびに、自分の中の時間の速度まで変わっていくように感じる。 そして途中、鹿教湯温泉を通る。ここは、素通りするのがなかなか難しい。 鹿に導かれて湯を発見したという伝説を持ち、古くから湯治場として人々の身体を受け止めてきた場所。山あいへ入り、鹿教湯の文字が見えてくるだけで、「ちょっとだけ入っていこうか」という誘惑が生まれる。 ●September 10, 2026: 味噌ジェラート@鹿教湯温泉(イズミヤ ジェラート) ●September 9, 2026:「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」&坂本龍一さん ●July 8, 2026:大塩温泉@丸子(まるこ)温泉郷 ●July 7, 2026:高梨共同浴場@鹿教湯温泉


子安温泉 褐色の湯と裸で風に触れる時間。
山田温泉、七味温泉、松川渓谷、雷滝。 高山村で水と湯をたどる旅の中で、子安温泉を訪れた。 温泉は源泉かけ流し。療養泉として開湯以来多くの人々に愛され続ける名湯。レアなのは「含よう素泉」で、⾧野県でも子安温泉と長野市の川中島温泉テルメDOMEの2か所しかない。) 高山村の温泉郷を巡ると、近い場所にありながら湯の個性が驚くほど違う。 山田の透明な湯 七味の白濁した湯 そして子安の褐色 子安温泉は、含よう素-ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉。 七味で見た硫酸塩を主体とする湯とは、化学的な骨格も異なる。 今回見つけた2014年の分析書には、源泉温度35.9℃、pH6.8。そして、源泉の外観は「ほとんど無色透明」と記されていた。それなのに、浴槽では褐色になる。 この違いが面白い。 分析書には、鉄〈Ⅱ〉が8.2 mg/kg含まれている。地下では水に溶けていた鉄が、地上で空気に触れ、酸化して微細な沈殿になる。その変化が、湯の黄褐色や茶褐色を生んでいる可能性が高い。 透明な水が、地上で色を持つ。 松川で見た赤褐色の河床も思い出した。川と浴槽では条件が違うけれど


七味温泉「紅葉館」―山を下りても、温泉は身体に残っていた
軽井沢から菅平高原を抜け、車で約2時間。 長野県北東部、須坂市や小布施町の東側に位置する高山村の七味温泉へ向かった。(高山村役場に用事があったもので) 高山村は、里の集落から群馬県との県境をなす山々へと広がる村。その山あいを流れる松川に沿って、個性の異なる温泉が点在している。先日訪れた山田温泉も、この同じ流域にある。 山田温泉よりさらに上流へ、松川渓谷の奥へと入っていくと、七味温泉にたどり着く。 県境の山々の向こうには、万座や草津の温泉地がある。 信州の谷を奥へ奥へと進みながら、群馬の火山と温泉の世界にも近づいていたのだと思うと土地のつながりが面白い。 軽井沢から約2時間という距離なのに、ずいぶん遠くへ来た気がした。 谷が深くなり、日常の気配が少しずつ遠ざかる。温泉に入る前から身体の時間が変わっていくようだった。 七味温泉には、かつて「日本秘湯を守る会」の会員宿(七味温泉の渓山亭)もあったという。ここで感じる秘湯らしさは、道のりの先で、山と湯がつくる時間に身を置くことにあるのかもしれない。 七味温泉「紅葉館」の日帰り温泉を訪問(日帰り入浴は午前1


11/6-11/8「あたらしい湯治のカタチ―芯から、ゆるめる三日間」@湯河原「上野屋」
11月、湯河原で「あたらしい湯治」を一緒に楽しみませんか? 11月6日(金)から8日(日)まで、湯河原で開かれる「あたらしい湯治のカタチ」に参加します。今回、私がとても楽しみにしているのが、国登録有形文化財の宿「上野屋」に泊まり、2泊3日を過ごせることです。 上野屋さんは、湯河原の温泉場に長く息づいてきた湯宿。大正時代の別館、昭和初期の木造4階建ての本館や玄関棟が大切に使われています。廊下を歩き、階段を上り、窓の外に湯河原の景色を眺める。建物の中で過ごす時間そのものが、日常とは違う速度へと私たちを誘ってくれるように感じます。 そして、何よりお湯が素晴らしい。私にとって上野屋さんは、湯河原の中でも特に好きな温泉の一つです。 敷地内の自家源泉から湧く湯は、ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉。塩化物と硫酸塩の両方に特徴を持つ、弱アルカリ性の温泉です。 泉質を学び、その日の自分の身体で湯の温かさや肌ざわりを確かめる。 この宿に泊まり、朝も夜も湯と建物をゆっくり味わえること自体が、貴重な体験だと思います。 1日目|日常を離れ、心身をほどく...


月は東洋と西洋のあいだに昇る 竹田で考えた瀧廉太郎と山田耕筰
瀧廉太郎は12歳から14歳までを長湯温泉の竹田で過ごした。 少年時代に岡城跡で遊んだ記憶がのちの『荒城の月』に結びついたと伝えられている。 「春高楼の花の宴」と歌われた場所にすでに人はいない。城は滅び、栄華も消え、ただ月だけが、昔と変わらず石垣を照らしている。 そこには、日本文化が長く見つめてきた「無常(Mujo)」の感覚がある。 『平家物語』の盛者必衰、西行の月、芭蕉の古池。日本の芸術は、永遠に残るものだけを美しいとしたのではなく、すべては移ろい、やがて失われるという事実の中に美を見いだしてきた。 吉田兼好は『徒然草』に、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と記した。美は満開という完成の中だけにあるのではない。咲く前の梢にも、散りしおれた庭にもある。桜が美しいのは、咲いた瞬間から散り始めているからだ。 『荒城の月』にもまた、失われゆくものの中に永遠を見る、日本の無常の美学が流れている。 しかし、その旋律を形づくる器は西洋音楽だった。 瀧廉太郎は、西洋の音階や拍節、和声の考え方を学びながら、そこへ日本語の呼吸、日本の風景、日本人が抱いて