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身体はまだ私たちの知らない可能性を持っている(『古武術で体を整える』(宝島社))

9月21日
読了時間: 4分

甲野善紀先生から『古武術で体を整える』(宝島社)という本を贈呈いただき、「年齢は身体能力を奪わない」という原稿を読んだ。この本は実際の身体の動きの写真が多く学びになる本だった。身体教育家・林久仁則さん、ひもトレの小関勲さんの記事も学びがある。





甲野先生は、77歳となった今も、新しい技が生まれ続けているという。

心に残ったのは、

「今でも、ではなく、今だからできることがあります。」

という一節だった。


甲野先生が見つめているのは過去の身体との比較ではない。「今の身体だからこそ、何が可能なのか」という問いだ。

もちろん加齢で筋力や反応速度、持久力は変化するだろう。しかし、身体能力は筋力や速さだけではない。重心の移動、力を抜くこと、全身の連動、相手との距離、気配を察すること。

経験で深まる感覚や、若い頃には気づけなかった身体の使い方がある。

年齢はある能力を低下させる一方で、別の能力を育てる可能性を持っている。


甲野先生は、武術を「対抗の原理」ではなく、「対応の技術」と語る。

相手に勝とうとして力をぶつければ、こちらの動きは相手に伝わり、互いの身体は衝突する。

しかし、その瞬間の相手と状況に応じて身体が働けば、無理に力を出さなくても、思いがけない動きが生まれる。


床を強く蹴って動こうとすると、その予備動作を相手に察知される。そこで、蹴る、ためる、構えるといった「動きの前の動き」を消していく。すると相手がこちらの動きを意識する前に、すでに身体が動いている。

甲野先生は、それを「身体を消す」と表現する。


これは魔法ではない。私たちの意識が「自分が身体を動かしている」と思う、その手前で、身体全体が環境や他者に応答しているということなのだと思う。

身体にはその瞬間の環境や相手に応じて、全体として答えを生み出す知性がある。



甲野先生が大切にしているのは、「興味」と「必然性」だ。

身体を変えるのは、「運動しなければならない」という義務だけではない。本当に知りたい、試してみたい、今ここで動かなければならない・・そうした切実さが生まれたとき、身体は普段とは違う能力を現すことがある。

だから、身体を深めることは、特別な達人だけに許された道ではなく、誰にでも開かれているものだ。


立つこと。歩くこと。座ること。手を伸ばすこと。呼吸すること。人と向き合うこと。

日常の一つひとつが、自分の身体を知り直す入口になる。


医師として、私は西洋医学を学び、その大きな恩恵を受けてきた。西洋医学は身体を臓器、細胞、神経、筋肉へと分け、その構造と機能を明らかにし、多くの命を救ってきた。

ただ、身体を細かく分け、数値化し、客観化するほど、そこからこぼれ落ちるものもある。検査値には現れない感覚。相手に触れた瞬間の全身の応答。意識する前に起こる動き。身体の変化によって、過去の記憶や人への感情まで変わること。


甲野先生は、そうした簡単には説明できない現象を、分からないからと切り捨てない。不思議なものを、不思議なまま受け止め、実際に何が起きたのかを身体に問い続ける。

分からないことを分かったことにせずに観察し続けるという、科学本来の態度ではないかと思う。


西洋医学の枠を超えるとは、西洋医学を否定することではない。その知を大切にしながら、まだ説明できていない生命の現象に対して、医学の側を開いておくことだ。



そして、AIが急速に進化する時代だからこそ、身体に戻る意味はさらに大きくなるのだろう。

AIは膨大な情報を処理し、未来を予測する。しかし、人間は情報だけでできているのではない。

環境に触れ、他者の気配を感じ、記憶や感情を抱えながら、身体全体で世界に応答している。

身体を探究することは、単に健康や運動能力を高めることではなく、「人間とは何か」を問い直すことでもある。


年齢を重ねることはこれまでとは違う扉が、静かに開いていくことなのかもしれない。

身体は、私たちが知っているよりもはるかに深い。

そして身体は、何歳になっても、こちらが本気で問いかける限り、まだ知らない答えを返してくれる。


だからこそ、私はいまも体のこと、命のこと、どんなに学んでも学びつくせないことばかりだと感じている。


古くから伝わる漢詩「偶成」に、こうある。

「少年老い易く、学成り難し。

 一寸の光陰、軽んずべからず。」

学びが容易には成らないからこそ、人は生涯を通して問い続けることができる。

身体という尽きることのない未知に驚き、自分の中にまだ眠る可能性を訪ね続けることができる。

老いは、それまで見えなかった生命の奥行きへと入っていく、もう一つの始まりなのだと思う。



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