草間彌生さんへ 一つの水玉は、宇宙へひらかれている
草間彌生さんが亡くなった。
けれども、不思議なことに、草間さんの死を「いなくなった」と感じることが、私にはどうしても難しい。
草間さんの作品を思い浮かべるからだろう。
一つの水玉がある。百、千、万・・・。点は増殖し、壁を越え、身体を越え、部屋を越え、やがてこちら側へまでやってくる。
鏡の中では、一つの像が二つになり、十になり、百になり、その向こうへ、さらに向こうへと続いていく。
草間彌生という人は、生涯をかけて「一人の人間は、どこまで一人なのか」という問いを描き続けた芸術家だったのではないか。

私はいま書いている『生命を見るための芸術』(特に出版社のあてはありません)という本で、草間彌生について一章を書いた。
その章につけた問いは、
「『私』は、どこまでが私なのか」
というものだった。
草間さんの作品には、水玉があり網目があり鏡がある。そこには無限がある。
そこでは「私」の輪郭が、増殖し、揺らぎ、溶けていく。
面白いことに、自己を消そうとすればするほど、そこには誰にも似ていない、圧倒的な「草間彌生」が立ち上がってくる。水玉を見れば、草間彌生だと分かる。
自己を消すことを生涯の主題にした人が、20世紀から21世紀にかけて、最も強烈な「自己」を持った芸術家の一人になった。
この逆説こそ、草間彌生という芸術家の核心だったのではないだろうか。


草間さんは、幼少期から幻視や幻聴などに苦しみ、それらの経験と制作との関係について自ら語ってきた。
けれども私は、草間さんの作品を「病から生まれた芸術」とだけ説明したくない。
医師として患者さんと向き合ってきたからこそ、なおさらそう思う。
診断は必要である。しかし、診断名はその人の全体ではない。
病気は、人間の一部であって、人間そのものではない。
草間さんが成し遂げたことの凄さは、個人的な苦痛や恐怖を、そのまま苦痛や恐怖として閉じ込めなかったことにある。彼女は、それを反復し、増殖させて描いた。
空間へ放った。
そして、自分だけの経験だったものを、誰もが入ることのできる世界へ変えてしまった。
一個の点は、ただの点である。
しかし、一万個の点は、もう点ではなく、それは「場」になる。
一人の人間の内側で起きていたことが、作品となり、作品が他者の身体を包み込み、他者の知覚を変えていく。
私的な経験が、公共的な世界へ移っていく。
私はそこに、芸術という営みの最も根源的な力を見る。

草間さんの《Infinity Nets》を見ていると、中心が分からなくなる。
どこが主人公で、どこが背景なのか。
一つ一つの網目は違うのに、全体として巨大な一枚の網になる。
私たちは普段、自分を世界の中心に置いて生きている。
しかし草間さんの網の前に立っていると、ふと、その前提が揺らぐ。
私は世界の中心なのだろうか。
それとも、
私は、この巨大な世界をつくっている一つの網目なのだろうか。
水玉も同じである。
一つの水玉は、一つの個体に見える。しかし点は、孤立して存在しているわけではない。
人間の身体もそうだ。
私たちは皮膚によって世界と隔てられているように見えるが、呼吸するたびに世界を身体へ取り込み、食べ、飲み、光を浴び、微生物と共生し、誰かの声を聞き、誰かに触れられながら生きている。
生命とは、閉じたものではない。
境界を持ちながら、世界へ開いている。
一人でありながら、一人だけでは存在できない。
草間さんの水玉は、その生命の不思議を、理屈ではなく視覚によって教えてくれる。
だから私は、草間さんの「自己消滅」という言葉を、単なる自己否定とは思わない。
「私なんてなくなればいい」ということではない。
むしろ、
「私は、私だけではない」
という発見だったのではないか。
固定された自己の輪郭がほどけて、より大きな世界へ接続していく。
草間さん自身は孤独という言葉を何度も使った。
けれども、その孤独は閉鎖へは向かわなかった。
孤独だからこそ、彼女は点を打った。そうして孤独な一点は、いつしか無数の点と結ばれ、宇宙になった。
これは、とても大切なことだと思う。
孤独の反対は、孤独でなくなることではない。
孤独なまま、世界とつながることなのかもしれない。
草間彌生は、誰とも同じにならなかった。誰にも迎合しなかった。
徹底的に一人でありながら、その一人から生まれた作品が、国籍も世代も言語も越えて、世界中の人々を包み込んだ。
だから、草間彌生の芸術を「自己表現」という言葉だけで説明するのも、少し違う気がする。
自己表現から、自己超越へ。
自分を深く掘れば掘るほど、自分だけの問題ではなくなっていく。
一人の恐怖が、人間の恐怖になる。
一人の孤独が、人類の孤独になる。
一人の祈りが、世界への祈りになる。
私的なものが普遍へ開いていく。
そして晩年、そこにますますはっきりと現れた言葉が、
「愛」
だった。
草間彌生美術館は、彼女が最後まで「愛による世界の救済」という信念を貫いたと伝えている。(YAYOI KUSAMA MUSEUM 草間彌生美術館)
これは、晩年になって突然現れた思想ではない。
1960年代のニューヨークでも、彼女は反戦運動のなかで愛による暴力の終焉を訴えていた。草間彌生美術館も、その長い制作の軌跡を「世界平和と人間愛」という言葉で位置づけている。
つまり、彼女にとって芸術は、単に美しいものをつくることではなかった。
生き延びる方法であり、世界とつながる方法であり、そして最後には、世界を救おうとする方法だった。
もちろん、芸術が戦争をただちに止めるわけではない。
それでも人間は、絵を描く。
なぜなのだろう。
草間彌生という97年の生涯を眺めていると、その答えの一つが見える気がする。
芸術とは、世界から受け取った痛みを、そのまま世界へ返さないために人間が発明したものなのかもしれない。
恐怖を恐怖のまま返さない。
孤独を孤独のまま返さない。
怒りを怒りのまま返さない。
そこに色を与え、形を与え、反復し、増殖させ、誰かが入ることのできる世界へと変えていく。
そして最後には、愛として世界へ返す。
草間彌生は、その変換を97年間続けた人だった。
だから私は、草間さんの死を、あまり悲しい言葉だけで送りたくない。
彼女なら、悲しみだけに閉じ込められることを望まない気がする。
私が書いている本の中で、草間彌生の章は、こんな場所へたどり着いた。
「私は一人です。でも、ひとりだけでは私になれない。」
これは草間さんの言葉ではない。
草間さんの作品を見続けた末に、私の中に生まれた言葉である。
一つの生命は、一つの点である。けれども、点は消えない。
誰かの記憶の中に、作品の中に、身体の中に残る。
そして別の点とつながり、網になり、また新しい世界をつくっていく。
草間彌生という一つの巨大な水玉が、肉体としての生を終えた。
しかし、その点から広がった網は、もう世界中に張り巡らされている。
これは「自己消滅」なのだろうか。
あるいは、彼女が生涯描き続けてきた、もう一つの無限の始まりなのだろうか。
草間さん。
あなたは一人だった。
そして、決して一人ではなかった。
あなたが打ち続けた無数の点の中に、いまや私たちもいる。
だからこれからは、私たちが次の点を打つ番なのだと思う。
孤独を、孤独のまま終わらせないために。
痛みを、痛みのまま世界へ返さないために。
そして、違うままの一人一人が、それでも一つの宇宙をつくるために。
あなたが生涯をかけて信じたように、
愛によって世界を救済するために。
草間彌生さん。
長い長い制作の日々を、本当にありがとうございました。
あなたの水玉は、これからも増え続けます。

(写真は、草間彌生さんの作品を常設展示している松本市美術館です)
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