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素粋居 石の神さま ミシャグジ 後戸の宿神 能楽

  • 4 日前
  • 読了時間: 3分

アクアイグニス別邸となる、湯の山温泉の「素粋居」という宿泊施設もご厚意で見せていただいた。


自然素材をテーマにした12棟の独立したヴィラがあり、8つの素材(木、石、土、鉄、漆喰、和紙、漆、硝子)がそれぞれテーマになっている。


1棟ごとに建築家やクリエイターが異なり、間取りやインテリア、アート作品に至るまで、ひとつとして同じ部屋はなく、さらに源泉かけ流し露天風呂まで作られていて、パラダイスそのもの!








 陶芸家・内田鋼一さんのプロデュースのようですが、アンティークや現代のアートのバランスが素晴らしかった。


贅沢したいとき、家族連れでお子さんに気にせず室内の露天風呂で湯治したい方には、お薦め。


すぐ近くのアクアイグニス片岡温泉のお風呂への送迎もありです。(ルフロのミネラルミスト浴は別料金ですが)




この写真は、石の部屋。

石の神様のように鎮座されている!






地元・三重県産の「菰野石(こものいし)」の巨石とのことで、菰野石は伊勢神宮の玉砂利にも使われている質の高い石。


石の神さまと言えば、コノハナノサクヤビメの姉である石長比売(イワナガヒメ)は強さや永遠を象徴する女神でもあるし、「石神(しゃくじん・いしがみ)」は、日本の民間信仰で石や石器を神の依代として祀る土着的な信仰。「しゃくじ」「ミシャグジ」「おしゃもじ様」など、地域によって多様な呼び名がある。






「しゃくじ」と言えば、「諏訪の古層」に眠る土着の神としての「ミシャグジ信仰」は、中沢新一『精霊の王』(講談社)で日本の精神史における「古層の神」としてエキサイティングな紹介がされていた。



私が理解している範囲。


ミシャグジは国家以前の「古層の神」であり、神社・宗教が誕生する前(縄文時代)からの野生の精霊(スピリット)。


中世芸能の神である「宿神」や、能の「翁」と根底でつながる存在で、国家の秩序から排除された芸能民たちが、この「古層の神」を密かに守り続けてきた。

寺院の本尊の背後(後戸)に祀られる摩多羅神(またらじん)などの「秘神」の正体もミシャグジ的精霊で、それが芸術や芸能における爆発的な創造力の源泉になっている。




ミシャグジは特定の形を持たず、石、木、蛇、あるいは空間そのものに宿る流動的な生命力の象徴でもある。


芸能や芸術は「異界のエネルギーをこの世に引き込む装置」で、芸能民は、宿神(=シャグジ的精霊)を自らの身体に宿らせることで、神がかりの人智を超えた表現を行う。


能の最重要演目『翁』で舞われる老人の姿こそ、宿神の具現化。宇宙の生命力そのものが人の形を借りて現れたもの。




世阿弥は、宿神の持つ「荒ぶるエネルギー(狂気)」を、洗練された美や幽玄へ昇華させた人物。それが能楽という芸能となった。




能を見るときにも、整った表側を見るだけではなく、「花」を咲かせるための裏打ちされたエネルギー源としての宿神のエネルギーを重ね合わせる。表と裏、光と闇。

「闇の力」を「光の表現」へと昇華させることこそが芸術の極意なのだろう。


光(表の秩序)が強ければ強いほど、その裏にある闇(後戸の宿神)の重要性が増す。


芸術家は、意識的に(or無意識に)、「後戸」を開けることでミシャグジ的なカオスを現代に呼び戻し、硬直した社会に新しい風を吹き込もうとしている、とも言える。



国家や権力が管理する「表の宗教」ではなく、民衆や漂泊の民が守り続けた「裏の神(宿神)」こそが、日本文化の最も創造的な部分(能、茶の湯、庭園など)を支えてきた、という主張は、とても腑に落ちるものがある。諏訪を訪れ、石の神様を見るたびに、そうした思いが溢れてくるのでした。



部屋の中に巨石があるだけで、こうしたイマジネーションを活性化させてくれるのも、芸術の術とも言えるかもしれません。



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