横尾忠則現代美術館:大横尾辞苑
- 3月4日
- 読了時間: 3分
神戸に行ったら必ず寄るのが横尾忠則現代美術館。

いまは「大横尾辞苑」という展示が開かれている。
ひらがな45文字(あ~を)、アルファベット26文字(A~Z)に対応した横尾作品が展示されている。図録も面白くて思わず購入。
横尾さんの多様で広範で森羅万象を扱う作品群を見ていると、自分の中にある開かれていない扉が開かれ続けるようで、心が動き続ける。自分の心の中で起きている現象には名前をつけることができない。心が動く、としか形容できないもの。



展示の「あ」は「アストラル体」から始まる。どれだけの人が神智学やシュタイナーを読み、「アストラル体」のことを知っているだろうか、と思うと、美術館が霊学としても機能しているから面白い。
横尾さんとアトリエで話すときは、こうした話が随所に織り込まれるので、横尾ファンとしては基礎教養と言っていいものでもあるけれど。ただ、大事なものは名前ではなくて、名前が指し示す実態のほう。論語読みの論語知らず、にならないように。


「見えないものを見る」のが芸術である、と言うのは簡単だが、横尾さんはさらに「見えるものを見えなくする」芸術としてもY字路を描いていたりもするから一筋縄ではいかない。
実際、「霊性が付与されたものが芸術」であるとすると、アンディウォーホールは「芸術から霊性を抜き取った作品群」として創作を続けた人でもあり、作品を観ているときに「霊性」というものを考えざるを得ない。霊性を考えることは、禅問答のように答えのない問い。だからこそ横尾さんは未完にこだわる。完成は閉じられるが、未完は開かれるから。完成は作者で閉じられるが、未完は鑑賞者に委ねられ、見ている側が鏡のように問われる。
横尾さんの絵画やデザインを見ていると、見えるもの、見えないもの、そして見えるもの、見えないもの・・・聞こえるもの、聞こえないもの、聞こえるもの、聞こえないもの・・・というように、無限のエコー(反響音)のように何層もの奥の構造が見えてくる。



それは神社における「奥宮(おくみや)」に似ている。本殿から離れた山奥や、境内のより奥深い場所に鎮座する社殿にこそ、神様の「荒御魂(あらみたま)」が祀られる神聖な空間が鎮座していて、「奥宮(おくみや)」での儀式に参加しているような神妙な心持ちになる。
横尾さんの作品を観るたびに、どういう回路でこの作品群がこの世に産み落とされているのか不思議でならないけれど、そんなことよりも、自分は「自由」という人間にとって最も重要なテーマを美術館の中で体験として学んでいるとも思う。
どんな時代でも自由であること。精神の自由を常に獲得して、誰にも自由を奪われないこと。
これは簡単なようで難しく。
自由をこそ、私はどんな時代でも大切にしたい。
芸術は自由の聖なる空間だ。



横尾忠則現代美術館
大横尾辞苑
2026.1.31 sat. - 2026.5.6 wed.
大横尾辞苑は、ひらがな45文字(あ〜を)、およびアルファベット26文字(A〜Z)にそれぞれ対応する、横尾忠則の作品世界に関連する用語を選び、それらにちなんだ作品や資料から構成した、「辞書」仕立ての展覧会です。
横尾忠則は様々な事象に興味を抱く、まさに博覧強記の人です。森羅万象あらゆるものを貪欲に作品のモチーフにする姿勢は、ある意味「百科全書」的といえるかもしれません。今回選定した用語は、必然的にその興味を反映したものとなりました。横尾の人生を彩るエピソードや、交友関係を反映したものもあれば、科学のみでは捉えきれない精神世界や、死の問題に関するものも数多く収録されています。
この「辞書」が、横尾忠則の作品世界をより深く知るだけでなく、我々がより深く、豊かな人生を送るささやかな一助となれば幸いです。
個人的に買った横尾さんの本。
どの本もすべて面白い~。







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