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富士山(不死山)

  • 執筆者の写真: inaba
    inaba
  • 11月6日
  • 読了時間: 1分

太郎(or太陽の塔)からの禅の公案として、700万年後の未来の人類をイメージしていたとき、新幹線から富士山(不死山)が顔を見せた。不思議な雲と共に。 


人間は、いづれ雲や山のような存在物に溶け込んでいく、有機物と無機物との区別は一時的なもの、この世がそもそも仮の宿(「常世(とこよ)」に対する「現世(うつしよ)」)、と考えていたのは、ほんの100年前くらいのコモンセンス(共通感覚)。


雲には水として、山には菌が分解した養分として、霊は山に帰り祖先として。死者は、土に還り、天に昇り、循環の環そのものとなる。

人間は山や水、自然へと変化することで、過去・現在・未来という「とき」を結び、生類や自然という「いのち」も結び、壮大な円環を結ぶ。しめ縄のように、しっかりと。


そんな時代の記憶は、今でも神話や物語が、コトバという乗り物で遠い太鼓のように語りかけていること。


悠久の過去への眼差しと、未来へのヴィジョンこそが、【現在】を変容させる。


「芸術は呪術だ」


太郎の祈りは、次世代に託された。



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