分かりきれない人と、生きていく。―湯河原「山田太一の仕事部屋」を訪ねて
湯河原町役場に用事があり、湯河原町立図書館に新しく開かれた常設展「山田太一の仕事部屋」を訪ねた。




机と椅子、書棚、直筆の原稿。少年時代を過ごした湯河原の記憶を描いた地図。作品から何かを受け取った人たちの言葉。書斎を眺めていると、山田さんが長い時間をかけて見つめていた「人間」が、こちらへ静かに近づいてくるようだった。
山田太一さんは、人間をよく理解した作家だった。しかし、その理解の深さは、人を分かったつもりにならないところにあったのではないか。
学歴、職業、年齢、家族関係。医療であれば、病名や検査値。どれも大切な手がかりだ。しかし、それらを集めても、一人の人間を言い尽くすことはできない。その人が何を恥じ、何を守り、どんな記憶に支えられて生きてきたのか。説明の先に、まだ広い世界がある。
『ふぞろいの林檎たち』は1983年。
学歴への引け目を抱えた若者たちを、山田さんは単純に「実は優秀だった人たち」に変えて救わない。
社会に高く評価されなくても、その人生には、すでに描かれるに値する重さがある。
「ふぞろい」を、整えるべき欠点にしなかった。ここに山田さんの深さがあると思う。
しかも、人々を美化しない。彼らにも虚栄心があり、他人を傷つけ、相手の気持ちを取り違える。傷ついている人が、いつも優しいわけではない。欠点と魅力をきれいに分けられない人間を、その厄介さごと描く。それが、人間への敬意だったのだろう。
この眼差しは、ケアの現場にも深く通じる。



回復や自立は大切だ。しかし、目標へ近づけたときだけ、その人の生を肯定しているとしたら、近づけない日々はどこへ置かれるのだろう。よくならない今日にも、笑い、腹を立て、誰かを思う時間がある。その時間にも、かけがえのなさがある。
弱い立場にある人にも怒る権利がある。扱いにくいままでいる権利がある。感謝や従順さを、支援を受ける条件にしてはならない。
助けてほしい。けれど、すべてを決められたくはない。分かってほしい。けれど、簡単に分かったと言われたくはない。
その矛盾は、私自身のなかにもある。
山田さんは、家族であることと、互いを理解していることの間にある距離も描いた。
近いからこそ、知っていると思い込む。愛しているからこそ、相手のためという言葉で、自分の望む方向へ導こうとする。
他者を思いどおりにはできない。その限界を認める成熟が、ケアには必要なのだと思う。相手がこちらの期待から離れても、その人への関心を失わずにいられるか。
そして、『異人たちとの夏』。大学生時代に読んだ。
妻子と別れた脚本家が、幼いころに亡くした父母にそっくりな夫婦と出会う。もう戻れないはずの食卓で、懐かしい団欒が始まる。
会えなくなっても、その人との関係が心のなかで終わるわけではない。山田さんは、幻想という形式によって、その切実さに姿と声を与えた。


大人として役割や責任を背負う人にも、再び誰かの子どもとして迎えられたい瞬間がある。何ができるかを問われず、ただ来たことを喜ばれる。その感覚は、生きる足場になる。
ただし、懐かしさは安全な慰めではない。過去へ戻りたいという願いは、人を温めると同時に、いまを生きる力を奪うこともある。
喪失のケアも、この微妙な場所にある。忘れることを急がせず、思い出のなかにとどまる苦しさにも耳を澄ます。亡き人とのつながりを携えながら、今日を生きられる道を、ともに探す。
山田さんの台詞も、情報を伝えるだけのものではない。言葉を発したことで、その人自身にも隠しきれなくなるものがある。見栄の奥の寂しさ。怒りの奥の願い。言えなかったことが、思いがけない形でにじみ出る。
その声を聴くには、こちらの理解を何度も書き直さなければならない。
日常を愛しながら、日常に埋もれて眠らせた感覚にも問いを向ける。人を慰める力と、目覚めさせる力。その両方が、山田さんの仕事にはある。
書斎を眺めながら、人を理解することに終わりはないのだと思った。
その人を理解しきれなくても、関係を続けることはできる。
分かったと思った人に、もう一度会い直す。山田太一さんの仕事部屋から、そんなケアの原点を持ち帰った。



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