京都・柊家(ひいらぎや)。百年先へ、美しい時間を手渡す宿。
京都の老舗旅館「柊家(ひいらぎや)」を訪問。
今回は宿泊ではなかったのですが、大女将の温かいお心遣いで、特別に館内をご案内いただいた。
京都には、柊家、俵屋、炭屋、晴鴨楼など、長い歴史を持つ名旅館がある。
共通しているのは、単に豪華な宿泊施設ではなく、建築、庭、料理、器、季節、そして人の振る舞いまで含めて、日本文化を次世代へ受け継いでいること。
柊家の創業は1818年。
初代庄五郎が福井から京都へ移り、運送業や海産物商を営んだことに始まる。二代目は刀装具の技にも優れ、求められるままに人々を泊めるようになり、1861年に旅館を本業とした。
屋号は下鴨神社境内の比良木神社に由来する。邪気を祓う柊の木への信仰が、宿の名前になったという。
幕末の志士、皇族、文人墨客、そして海外の旅人たちを迎えてきた、二百年以上の歴史。


喜劇王チャールズ・チャップリンもこの宿を訪れ、茶室で抹茶を楽しんだと伝えられる。
そして、川端康成が愛した宿としても有名だ。
川端が滞在した14号室。低い廊下を抜けて部屋に入り、庭へと視線が開ける構成は、『雪国』の冒頭、トンネルを抜けた先に別世界が現れる感覚を思わせる。
部屋は決して大きくない。
しかし、障子、畳、木、光、庭の緑が絶妙に配置され、空間がどこまでも広がって感じられる。
室内と自然を切り離さず、庭を暮らしの一部として取り込む。
お風呂も同じだ。
大きな浴槽や豪華な設備がなくても、木の香り、柔らかな光、水の気配、身体を包む寸法によって、深い安らぎが生まれる。
温泉ではないが、入浴の豊かさは泉質だけで決まるものではない。
空間と身体が調和したとき、小さな浴室が大きな癒しの場になる。
まさに、空間のMagic。
さらに印象深かったのは、京都の木材や職人の技を生かし、地域の自然と文化を次世代へつなごうとする姿勢。
観光とは、訪れた人に何を提供するかだけではない。
その土地の自然や文化を、百年先にも残していけるかどうか。
百年先を見つめる観光とは、土地の未来を消費するのではなく、土地の未来を育てることなのだと思う。

柊家が大切にする「来者如帰(らいしゃにょき)」という言葉。
訪れる人が、わが家に帰ってきたようにくつろげること。

今回、大切な方からのご紹介で、宿泊客でもない私を温かく迎えてくださったことに、その精神が表れていた。
そもそも「おもてなし」とは何だろう。
高価な調度品を揃えることでも、過剰なサービスを提供することでもない。
安易な贅沢でも、表面的なラグジュアリーでもない。
人から人へ。心から心へ。
相手の存在を大切に思い、その人が安心して自分自身でいられる場所をつくること。
興味深いことに、英語の「ホスピタリティ(hospitality)」と「ホスピタル(hospital)」は、同じラテン語の hospes(客人・客人を迎える主人)につながる言葉だ。
旅人を迎えることと、病む人を迎えること。
その根底には、他者を受け入れ、守り、安心できる場所を差し出すという共通の精神がある。
病院も旅館も、本来は人間が人間を迎える場所だったのだ。
医療の現場で長く働いてきた私にとって、この語源のつながりは、とても示唆深い。
人を癒すのは、薬や治療だけではない。
その人を迎える眼差し、言葉、沈黙、空間、そして、そこに流れる時間。
柊家を訪れて、おもてなしとは何か、ケアとは何か、そして本当の豊かさとは何かを、深く考え直す時間となった。
本当のラグジュアリーとは、何かをたくさん所有することではなく、誰かに大切にされていると感じられることなのかもしれない。
そして、最も深いおもてなしとは、相手に何かを与え尽くすことではなく、その人が本来の自分に帰れるような「場」をそっと整えることなのだと思う。
大女将のお心遣いに、心より感謝申し上げます。



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