top of page

イメージは、どこへ行くのだろう――浅間国際フォトフェスティバル「After the Image」を歩いて

  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

浅間国際フォトフェスティバル2026 PHOTO MIYOTAへ行った。毎年足を運んでいる。御代田は軽井沢のすぐお隣。

今年のテーマは、「After the Image――イメージのその後」。


写真は、シャッターを切った瞬間に完成するのだろうか。展示を歩きながら、そんなことが頭に浮かんだ。


写真は、ある瞬間を切り取るものだと思われている。しかし実際には、その瞬間から写真の長い旅が始まる。誰かに見られ、記憶され、忘れられ、別の時代に発見される。複製され、加工され、ときには本来とは違う意味を与えられる。

そう考えると、写真とは「過去を保存するもの」というより、過去から未来へ送り出された、小さな舟のようなものなのかもしれない。





今回、とりわけ印象に残ったのが石橋英之の《Trails》だった。


石橋は、古典写真技法と現代のテクノロジーを行き来しながら、アーカイブやファウンドフォト、物質そのものへの実験を通して、現実と想像の境界にイメージを立ち上げる作家だ。

そこでは写真は、透明な「窓」ではない。物質であり、痕跡であり、時間そのものでもある。


私たちは写真を見ると、つい「何が写っているのか」を探そうとする。しかし石橋の作品を前にすると、それ以前に「見るとは何だろう」と問い返される。写真とは世界を説明するものではなく、世界がそれほど簡単には説明できないことを示すものでもあるのだ。


ヘンリエッテ・サブロー・エベセンの《Growing Up》も忘れがたい。


1994年デンマーク生まれ。医学博士としての教育を受けながら独学で写真を学び、現在はコペンハーゲンを拠点に、科学と芸術の交差点を探究している。鏡や反射によって現実をずらし、身体、知覚、アイデンティティ、人間の精神を問い直す。

医学も写真も、「見る」という行為から始まる。

けれども、医学が見えるものを分類し、名前を与えようとするのに対して、芸術はむしろ、見えていると思っていた世界を揺らす。


同じ身体を前にしても、医学が「これは何か」と問うのなら、芸術は「あなたには、これはどう見えるのか」と問いかける。その二つの眼差しのあいだに、人間という存在の豊かさがあるように思った。


エーフィックの《After Walker Evans 2》は、その「見ること」そのものを、AI時代へと押し広げている。


2022年に三井所高成と佐藤史崇によって結成されたユニットである。今回の作品では、ウォーカー・エヴァンスの写真、それを複写したシェリー・レヴィーンの作品、さらに生成AIによって生み出されたイメージという系譜をたどりながら、「オリジナルとは何か」「作者とは誰なのか」「写真とは何をもって写真なのか」という問いを突きつける。

カメラで撮られていなくても、私たちはそれを写真だと感じるかもしれない。

だとすれば、写真の本質は「撮影」にあるのではないのかもしれない。



タイヨ・オノラト&ニコ・クレブスもまた、写真という枠を軽やかに越えていく。


ともに1979年スイス生まれ。社会や環境への関心を背景に、写真だけではなく彫刻、映像、出版などを横断しながら、私たちが無意識に抱えている風景への先入観や神話を揺さぶってきた。


写真は世界を記録する。

しかし同時に、私たちが「世界」と呼んでいるもの自体が、無数のイメージによってつくられている。





今回のフェスティバルは、その循環を鮮やかに見せてくれたように思う。

そして何より心地よかったのは、こうした写真を野外で見ることだった。





美術館の白い壁の中では、作品と世界はいったん切り離される。しかしMMoPでは違う。

木々が揺れ、雲が流れ、光が変わり、風が写真の表面を撫でていく。鳥の声が聞こえ、人が歩き、その向こうに浅間山麓の風景がある。


すると不思議なことに、作品を「見る」というより、作品と一緒にその場所に「いる」という感覚になる。


写真の背景に本物の空があり、写真に映る光の横に、いまここにある光がある。

そのとき、写真は額縁の中から少し外へ出てくる。


MMoPという場所の素晴らしさは、建築、森、空、光、人の動線が互いを邪魔せず、ひとつの大きな余白をつくっていることだと思う。作品だけを見るのではない。作品と作品の「あいだ」を歩く。その時間までもが鑑賞になる。



「After the Image」というテーマは、この場所だからこそ、より深く響いていた。






浅間国際フォトフェスティバル2026 PHOTO MIYOTA。

そして、その中にkonstの《陽画》があることを、私は少し特別な思いで見ていた。



konstは、軽井沢の福祉施設に通うクリエイターたちの表現を、商品やデザイン、さまざまな仕事へとつなげていく活動だ。

大切なのは、「障がいがある人の作品だから」という理由で価値を与えるのではないことだと思う。面白いから。美しいから。心が動くから。どうしてこんな線を描けるのだろうと思うから。

まず作品がある。そして、その作品にふさわしい対価が作り手へと還っていく。これは福祉という枠組みを超えて、これからの社会にとって、とても大切な問いを含んでいる。



人間の価値とは何によって決まるのか。

芸術は、その問いに対して、能力や効率とはまったく違う尺度を差し出してくれる。

医療も福祉も、ともすると「できないこと」に目を向ける。けれど芸術は、その人にしかないものを見る。

その人にしか引けない線。その人にしか選べない色。その人にしか見えていない世界。

これからの医療や福祉に必要なのも、そういう眼差しなのではないだろうか。


病気を治すだけではなく、その人の中にまだ存在している力を見つけること。欠けているものを補うだけではなく、すでにそこにあるものに光を当てること。


芸術、福祉、医療は、別々の領域に見える。

けれども根のところでは、同じことをしているのかもしれない。

まだ名前のついていないものを見ること。その人の中にある可能性を見つけること。そして、それを未来へ手渡すこと。


写真もまた、そうなのだと思う。

シャッターを切った瞬間に終わるのではない。


誰かがそれを見る。何かを感じる。その人の中で小さな変化が起こる。そして、その変化がまた誰かへ渡っていく。


イメージの「その後」とは、作品の未来だけを意味するのではない。

イメージを受け取った私たち自身の、その後なのだ。


MMoPを歩き終え、もう一度、浅間の空を見上げた。風が木々を揺らしていた。

写真の外側にも世界があり、写真を見たあとにも世界は続いている。

芸術が人の見方を少し変え、福祉がその人にしかない力を社会へつなぎ、医療がその人の中に残されている生命の可能性を支える。


そんな三つの営みが、これからもっと自然に響きあっていけばいい。

一枚の写真から始まった小さな変化が、人から人へ、場所から場所へと伝わり、いつか社会の風景そのものを変えていく。

「After the Image」。イメージのその後には、まだ私たちが見たことのない未来がある。



子どもも、写真空間に触発されて、遊ぶように自然に写真を撮っていた。




浅間国際フォトフェスティバル2026 PHOTO MIYOTAは、2026年8月1日(土)- 9月27日(日)(休館日:火曜日)まで行われていますので、ぜひ避暑の流れでどうぞ!


浅間国際フォトフェスティバル2026 PHOTO MIYOTA

会期 2026年8月1日(土)- 9月27日(日)

休館日 火曜日(8月11日、9月22日は臨時営業)

時間10:00 - 17:00

チケット:1,500円

会場MMoP(モップ)

*その他、町内各所にて展示(エコールみよた、ゴカラボ、西軽井沢第二公民館、御代田町役場)

住所 〒389-0207 長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1794-1

アクセス 電車でのアクセス:東京駅よりJR北陸新幹線「軽井沢駅」にて下車(約60分)、しなの鉄道に乗り換え 「御代田駅」下車(約20分)。御代田駅からMMoPまで徒歩約10分

公式サイト https://asamaphotofes.jp/


コメント


© All right reserved TOSHIRO INABA

bottom of page