まだ知らないあなたに出会い続ける。東田直樹『自閉症の僕が、今も跳びはねる理由』(2025年)
東田直樹『自閉症の僕が、今も跳びはねる理由』(2025年)を読んだ。


13歳のときに書いた『自閉症の僕が跳びはねる理由』(2007年)の問いに、30代になった東田さんがあらためて向き合う。言葉、感覚、身体、人との関係。その文章から、外に現れる姿と、内側で生きている世界との間にある距離が見えてくる。
私は、自著『いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—』のなかでも、東田さんの言葉を引用しているし、ケアに関する講義でも東田さんの事例を紹介している。東田さんの文章には、人を理解する際の思い込みを揺さぶり、目の前の人へ向き直らせてくれる力がある。


返事がない。目が合わない。突然声を出す。じっとしていられない。・・・私たちは、目に見える行動から、その人の気持ちを推測する。しかし、その推測がどれほど限られているかをこの本は静かに教えてくれる。
東田さんには伝えたい思いがある。それでも、その場に合う言葉を口にすることが難しい。目を見ようとすると、視覚に注意を取られ話の内容が頭に残りにくくなることもある。
言葉が返ってこない時間にも、その人の経験は続いている。
こちらの理解が届いていない場所に、思いや感情がある。そのことを、私は何度も考えた。
東田さんの本を読むようになってから、自閉症の子どもと接するとき戸惑っていた場面でも、自然に関われることが増えた。
返事を急がせず、その子のペースを待つ。視線が合わなくても、話が届いている可能性を考える。行動の奥に、本人の困りごとや心地よさがあるかもしれないと想像する。そうした関わりが、自分のなかで当たり前になっていった。
もちろん、一人ひとりの感じ方は異なる。それでも、東田さんの言葉を通して、子どもに向ける私自身のまなざしが変わったのは確かだ。
身体について、東田さんは壊れたロボットの中にいるような感覚を語る。頭ではわかっていても、身体が思うように動かない。やめたい動きを止められず本人自身が困っている。
ケアには、こうした本人の経験を想像し確かめ続ける姿勢が必要なのだと思う。何に苦しみ、何を楽しみ、どんな時間を心地よく感じているのか。その人の側から世界を知ろうとすることが、関わりの出発点になる。

とりわけ心に残るのは、水のきらめきや風、木漏れ日、空についての文章の描写だ。そこには、世界の美しさを受け取る豊かな感受性がある。跳びはねる瞬間にも東田さんなりの喜びや解放感がある。そう知るだけで、同じ姿の見え方が少し変わる。
自閉症の子どもを育てる家族には、喜びとともに、疲れや不安、先の見えなさがあると思う。今日を無事に過ごすだけで精いっぱいの日もあるだろう。気持ちを知りたいのに、どうしてもわからない。そのもどかしさを、きれいな言葉で覆いたくはない。
だからこそ、東田さんの文章が心に響く。
「子どもが楽しいと感じている世界を、親も一緒に楽しむことが大切だと思います。」
成長を願うほど、できることの数に目が向く。しかし、その子がいま楽しいと感じている世界にも一緒に過ごせる時間がある。
同じ音を繰り返し聞く。水の動きを眺める。いつもの道を歩く。その子の好きなもののそばで、少し立ち止まってみる。楽しさを全部理解できなくても、ともに過ごすことから始まる関係がある。
東田さんのように言葉を紡げるようになることを、すべての子どもの希望の形にしてはいけないとも感じた。東田さん自身、こう書いている。
「僕の意見は、全ての自閉症者に当てはまるものではありません。」
その子の気持ちがわかったつもりになるのではなく、その子自身を知りたいと思う。この本は、そんな読み方を促してくれる。
今は読み取れない表情や仕草にも、これから気づけることがあるかもしれない。本人に合う表現の方法を探しながら、その小さな出会いを重ねていけたらと思う。
そして、家族の暮らしにも休息や楽しみが必要だ。子どもを大切に思う気持ちと、疲れたと感じる気持ちは同じ人のなかにあってよい。誰かに頼り、自分のための時間を持てることも、親子が安心して暮らす土台になる。
東田さんは、自分がどんな大人になれるのか不安だった子ども時代を振り返り、「大人になっても幸せに暮らせること」や、「応援してくれる人がいること」を子どもに伝えてほしいと書く。
未来を一度に見通せなくても、今日、安心できる時間をつくることはできる。子どもも家族も、支えられながら暮らしてよい。その願いを、社会で引き受けていきたい。
終わりに、東田さんはこうつづる。
「僕は花のように生きていきたいと思っています。」
目の前の子どもにも、その子自身の人生がある。好きなものがあり、心地よい時間があり、人との出会いがある。その人生を、本人とともに大切にしていきたい。
まだ知らないあなたに、これからも出会える。
わかり合えた小さな瞬間を重ねながら、関係は育っていく。この本から、私はそんな希望を受け取った。
東田直樹『自閉症の僕が、今も跳びはねる理由』の後半には、文字盤を通して自分の思いを伝えられるようになるまでの過程が、具体的に描かれている。


絵カード、絵本、文字を書くこと、プリント学習。そして文字盤へ。そこには、長い時間と、幾度もの試行錯誤があった。
私がその歩みから読み取ったのは、すでに知っていた言葉や内側にある思いを、相手に伝わる形へとつなげていく過程だ。
「言葉を覚えること」と「言葉で自分を表すこと」の間にあった距離を、少しずつ埋めていったのだと思う。
まず、言葉と世界を結びつける経験があった。
絵カードや絵本、文字の学習を通して、物・絵・音・文字の関係を学んでいく。好きな絵本や物語を繰り返し楽しむことも、その土台だった。文字盤に出会う以前から、言葉への関心や知識が育っていた。
ただ、覚えた文字や文章を再現できることと自分の気持ちを文章にすることは、同じではない。知っている言葉があっても、それを自由に使って伝えられない難しさが、本書には描かれている。
次に、発話とは別の表現の道を見つけた。
話すには、伝えたい内容を考えるだけでなく、口や声を動かし相手とのやり取りのタイミングに合わせる必要がある。東田さんにとっては、その実行が難しい。
文字盤は、目に見える場所に並んだ文字を指して言葉を組み立てる方法だ。内側の言葉を、発話とは異なる身体の動きで表せるようにした。その点が大きかったと読める。
もっとも、指すこと自体にも難しさがあった。文字盤を渡せば、すぐに自由な文章が出てきたわけではない。文字の配置や使い方を工夫し、練習を重ねていった。


そして、記憶した言葉から、自分の思いを表す言葉へと進んでいった。
初期には、質問に対して以前に覚えた言葉が出たり、一度指し始めた言葉から戻れなかったりしたという。ローマ字の文字盤では、一つの文字を手がかりに、複数の言葉の候補が浮かぶ様子も語られる。
文字盤は、完成した文章を頭の中から取り出す道具であるとともに、文字を見て、指し、相手とやり取りしながら、自分の言いたいことを探していく場にもなっていたのではないか。表現する過程そのものが、言葉を使う力を育てたように、私は感じた。
ご家族がこの歩みから受け取れる大切な視点は、表現の難しさを、その子の理解や内面の限界と決めつけないことだと思う。
返事がないと、伝わっていないのだろうかと不安になる。同じ言葉ばかり繰り返すと、その先には進めないのだろうかと心配になる。しかし、その反応だけでは、本人が何を受け取り、何に困っているかはわからない。
言葉の意味が難しいのか。問いが長すぎるのか。選択肢を覚えておくことが難しいのか。それとも、答えたいことはあっても表す動作が難しいのか・・・。どこに難しさがあるかによって、助けになる関わりは変わる。
一方で、話せない人には必ず東田さんと同じような文章が内側にある、と一律に考えることもできない。東田さん自身、こう記している。
「自閉症の人たちの特性は、一人ひとり異なります。」
文字盤は東田さんにとって大切な道になった。別の子どもには、絵や写真、身振り、道具、あるいはそれらの組み合わせが合うかもしれない。本人が理解し、選び、伝えやすい方法を、ともに探していくことが大切なのだろう。
その入り口には、本人の「好き」という強い感情が指針となっている。
好きな絵本や音、繰り返し楽しむ遊び。大人には同じことの反復に見えても、本人には、そのたびに楽しさや発見があるのかもしれない。その時間を共有することから、言葉や関係が育つこともある。
家庭でのやり取りも、正しく答える練習だけにならなくてよいと思う。「これが好き」「もう一回」「今日はいや」「休みたい」。自分の意思が相手に届き、それによって暮らしが変わる。その経験には、大きな意味がある。断ることや、やめることを伝えられるのも、自分を守る大切な力だ。
本書には、初期の身体への介助から、自分で指せるようになるまでの経過も描かれている。
支援者の働きかけと本人自身の選択を区別することは重要だ。
支える側が望む答えを補うのではなく、本人が選んだ言葉を表せるように支える。その主体が本人にあることが、コミュニケーションの核心だと思う。
そして、ご家族が「もっと練習させなければ」「自分の関わりが足りなかった」と、ご自身を責めることがないように願う。
学び方も、表現の方法も、変化の速さも、一人ひとり異なる。家族だけで担い続ける必要はない。本人をよく知る人や、コミュニケーションを支える専門職と、迷いや発見を分かち合ってよい。
昨日はわからなかった好みが、今日は少しわかった。いやだという気持ちを伝えられた。好きなものを一緒に楽しめた。そうした小さなやり取りのなかにも、本人の意思が尊重される暮らしが育っていく。
あなたは何を感じているのだろう。
どうすれば、もう少し伝えやすくなるのだろう。
その問いを、本人と、周囲の人たちとともに持ち続ける。東田さんの文字盤の学びは、まだ知らない思いに出会う道を、私たちの日常のなかにも探すよう促してくれる。

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