『未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ: 横尾忠則自伝』
横尾忠則さんの自伝『未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ』を読んだ。
すごい本だ。言葉にしようとすると、一つには絞れない。

三島由紀夫、ジョンとヨーコ、アンディ・ウォーホール、サルバドール・ダリ・・。20世紀という時代そのものをつくった伝説的な人たちが、次々と登場する。
けれども不思議なのは、彼らが「偉人」として登場しないことだ。
横尾さんの人生の中に、ごく自然に現れる。会って、話して、食事をして、仕事をして、ときには喧嘩をし、笑い、別れる。歴史上の人物たちが、歴史前の生身の人間としてそこにいる。その距離感がすごい。
それは、横尾さん自身が彼らを必要以上に神格化しないからなのだと思う。相手がジョン・レノンでもアンディ・ウォーホールでもサルバドール・ダリでも、一人の人間として見ている。
そして同時に、自分自身のことも神格化しない。格好悪いこと、怖かったこと、嫉妬も、迷いも、病気も、死への恐怖も、ありのままを書く。
不思議な出来事に遭遇すれば、「こんなことが起きた」と、そのまま書く。
その徹底した正直さが、この本の大きな魅力だと思った。

一般論として、自伝というものは人生を完成した物語へ編集してしまう。
しかし、横尾さんは、人生を完成させない。分からないものを、分からないまま置いておく。偶然は偶然として、謎は謎として。そこに安易な説明を与えない。だからこそ、この自伝には奇妙なほど「生きている時間」が流れている。
そして驚かされるのが、その記憶力と記述力だ。長年、膨大な日記を書き続けてきたからなのだろうか。何十年も前の出来事が、昨日のことのように立ち上がってくる。
ただ、それは単純に記憶力の問題ではなく、世界をそれだけ細かく見てきた、ということだ。
世界から届いてくるものを、取りこぼさず受け取ってきたからだ。
だから横尾さんの人生では、一見何でもない出来事が、後になって別の出来事と響き合う。偶然と必然。生と死。芸術と病。身体と宇宙。現実と夢。此岸と彼岸・・・。普通なら別々の箱に入れてしまうものが、横尾忠則という一人の人間の中では、すべてつながっている。
とりわけ圧倒されたのは、この自伝の射程が「芸術家の物語」をはるかに超えて、精神世界へと開かれていることだった。UFO、神秘体験、インド、死、予言、偶然の一致、夢、霊的な出来事。
近代社会は、こうしたものをしばしば「非合理」として世界の外側へ追いやってきた。しかし人間の生は合理的に説明できるものだけではない。
横尾さんは、そうした人間存在の奥にある不可思議な領域を切り捨てない。
むしろ、その「分からなさ」を抱えたまま生きている。
そこに僕は、横尾忠則という芸術家の途方もない大きさと包容力を感じる。
横尾さんの作品には、なぜこれほど生と死が同居しているのか。なぜ過去と未来、俗と聖、エロスと死、日常と宇宙が、一枚の画面の中で平然と共存できるのか。この自伝を読むと、その理由が少しだけ分かる気がした。
横尾さんにとって、それらは最初から別々のものではなかったのだ。
人生そのものが、まさに証明している。
「未完で生まれて、未完で生きて、未完で死ぬ。」
人間は、いつ完成するのだろう。医療の世界にいると、「正常」「回復」「治癒」といった言葉を使う。けれど人間には、本当に完成形などあるのだろうか。生老病死により、身体も心も変わり、病気になり、老いて死んでいく。誰かと出会うが別れる。昨日まで信じていたものが崩れるが、また別の世界が開いてくる。
生命とは、完成へ向かう運動ではなく、最後まで変わり続ける運動だとすれば、「未完」とは不完全という意味ではなく、「まだ変わることができる」ということだ。昨日までの自分を裏切ることができる。世界を初めて見ることができる。
横尾忠則という人は、そのことを、作品だけではなく人生そのもので実践してきた人なのだと思う。デザイナーから画家へ。日本からニューヨークへ、インドへ、世界中へ。現実から夢へ。生から死へ。そしてまた、死から生へ。
何度も境界を越えながら、それでもどこにも到着しない。
だから、横尾忠則はいつまでも若い。
世界に対して「もう分かった」と言わない人は、老いないのだと思う。
その驚きが、世界との間に新しい回路を開き続ける。
横尾忠則という人の途方もない創造力の源泉は、才能以前に、この世界に驚き続ける能力、感動する能力なのではないだろうかとも思う。
人生は、分からないものだらけだ。偶然に導かれ、寄り道しながら、変化し続ける。そして、最後まで未完のままでいく。
横尾忠則という一人の芸術家の人生を通して、そんな巨大な肯定を受け取った。
これは自伝であると同時に、20世紀という時代の証言であり、芸術論であり、身体論であり、死生観の書であり、そして何より、「人間とは何か」という問いを最後まで閉じない本なのだと思う。
完成しないから、人生は続く。
分からないから、世界は面白い。
そして死ぬ瞬間にもなお、何かが描きかけで、何かが言いかけで、何かを知りたがっている。
そんなふうに生きることができたなら。
「未完」という言葉が、これほど力強く、自由で、生命への愛に満ちた言葉であることを教えてもらう。
いつも感動をありがとうございます。
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