「違うままで、一つである」―横尾忠則と霊性の芸術
更新日:9月1日
横尾忠則の作品を前にすると、いつも不思議な感覚に襲われる。
なぜなら、そこにはあまりにも多くのものがあるからだ。
聖なるものと俗なるもの。生と死。エロスと宗教。夢と現実。幼年期の記憶と大衆文化。神話と広告。宇宙と身体。日本とアメリカ・・・・
普通なら、同じ場所には置かれないはずのものが、横尾の画面では何の断りもなく並んでいる。
しかも不思議なのは、それらが単なる混乱には見えないことである。むしろ、ばらばらであるはずのものが、一枚の画面の中で奇妙な必然を持って共存している。互いに溶け合っているわけではない。違いは残っている。それでも、すべてが同じ世界の中にいる。
この横尾忠則独特の感覚を、私は長いあいだ「異質なものの調和」と考えていた。しかし、本当に「調和」という言葉が適切なのだろうか、とも思っていた。
横尾が巧みに異質なものを結びつけているのではなく、私たちの側が、もともと一つの世界に存在していたものを、後から「異質」と呼び分けているだけなのではないか。横尾の作品を見つめていると、そんな疑いが生まれてくる。
そして、そのことを考えるうえで、どうしても立ち返りたくなる人物がいる。三島由紀夫である。
「何という無礼な芸術であろう」
1966年、横尾忠則の初個展を見た三島は、若き横尾の作品を評して、あの有名な言葉を書いた。
「何という無礼な芸術であろう。このエチケットのなさ!」
横尾作品の極彩色の奥に「やりきれない暗さ」を見て、そのさらに底に「何かしら厳粛なもの」があることを、三島は早くも感じ取っていた。
この文章は、のちに1968年の『横尾忠則遺作集』の序文にも収められた。


横尾忠則氏の作品には、全く、われわれ日本人の内部にあるやりきれないものが全部露呈していて、人を怒らせ、怖がらせる。何という低俗のきわみの色彩であろう。招魂社の見世物の看板の色彩の土俗性と、アメリカン・ポップアートのコカコーラの赤い入れ物の色彩との間にひそむ、そのおそろしい類縁性が、われわれの内部にあって、どうしてもわれわれが見たくないというものを、爆発させてしまう。何という無礼な芸術であろう。このエチケットのなさ!
しかし、これらの明るい色彩に包まれたやりきれない暗さの底には何かしら厳粛なものがある。サーカスの綱渡りの少女のスパンコールをはりつけたパンティーに感じられるような、あるいはエロティックな厳粛さ。われわれの故郷である宇宙は、このように歯をむき出して、人を威嚇しているのである。
横尾氏の作品を、狂人の芸術から救っているのは、彼の、外部への関心である。この諷刺の即物性、世俗に対する残酷な扱いには、彼の内部世界の濃厚な発条(ばね)が働いている。そこには、内部へ内部へと折れ込む狂人の世界とは別に、ひとつの広大な、嘲笑された世界が横たわっている。この広野が、彼の作品を最終的に健康なものにしているのだ。
それにしても、われわれの住んでいる日本という国のふしぎな地図を、彼が今後いかに国際的になっても、決して手離さないことを私は望んでいる。
三島由紀夫
三島の慧眼は、横尾の表面的な奇抜さだけに向けられたものではなかった。
三島はさらに、横尾の作品を閉ざされた狂気から救っているのは、彼の「外部への関心」であるという趣旨のことを書いている。
これは、その後の横尾の仕事を知る私たちから見ると、驚くほど予言的な指摘である。
しかし三島が横尾に残した言葉は、それだけではなかった。
横尾は『原郷の森』などで、三島から渡された重要な言葉を回想している。
「タテ糸が芸術だとすると横糸が礼節だ。その二つの交点に霊性が宿る。」
「地上的な作品なら無礼でもよいが、天に評価される作品にはそこに霊性が宿らなければならない」と三島は語ったという。
この二つの言葉を並べてみると、奇妙である。
一方では「このエチケットのなさ!」と無礼を指摘する。
他方では「礼節」がなければ霊性は生まれない、と説く。
しかし横尾忠則のその後六十年に及ぶ制作を振り返ると、この二つは決して矛盾していない
ように思えてくる。
むしろ、この二つの言葉の「あいだ」にこそ、横尾芸術の本質があるのではないだろうか。
世界を分けるエチケット
エチケットとは何だろう。
礼儀作法という日常的な意味を離れて考えるならば、エチケットとは、ある意味で「境界を守ること」である。
近代社会は、世界を分類することによって巨大な秩序を作ってきた。分類することによって、私たちは世界を理解できる。
しかし分類には、もう一つの作用がある。分けることで、本来つながっていたものが見えなくなる。横尾は、最初からこの境界をあまり信用しなかった。
1960年代のポスターには、旭日旗、日の丸、裸体、髑髏、漫画、写真、富士山、神社、見世物小屋、アメリカ的消費文化、エロス、死が、ほとんど無差別に流れ込んでくる。横尾の仕事が「ポップ」と呼ばれながら、アメリカのポップアートだけでは説明しきれないのは、そのためだろう。

そこには戦後日本の大衆文化だけでなく、もっと古い日本がある。
祭り、見世物、土俗、宗教、死者、猥雑さ、祝祭。
日本の祭礼を考えてみれば、聖と俗はもともとそれほどきれいには分かれていない。
神を迎えながら、人は酒を飲み、踊り、騒ぐ。死者を迎える行事が、鮮やかな色彩に包まれることもある。鎮魂と祝祭が同じ場所に存在する。
横尾の極彩色もまた、そのような「祭礼性」を帯びている。
だから、明るいのに暗い。俗悪なのに厳粛である。
三島はそのことを、横尾の初個展の時点ですでに感じ取っていたのではないだろうか。
「調和」ではなく「交差」
横尾芸術について、「異質なものをコラージュする」と説明されることがあるが、それだけでは横尾の画面にある不思議な一体感を説明できない。なぜなら「異質なものを組み合わせる」という説明には、それらが最初から別々だったという前提があるからだ。
ここで、三島の「縦糸と横糸」という比喩が重要になってくる。
織物を考えてみれば、縦糸と横糸は、同じ方向には走らない。むしろ互いに異なる方向へ走る。同じものになろうともしない。しかし、違う方向へ走る二本の糸が交差することで、初めて一枚の布が生まれる。
横尾の画面も、それに似ている。生と死の違いは消えない。宗教とエロスも、聖と俗も、同一化されない。異物は異物のまま残っている。それでも、同じ画面を織ることができる。だから横尾芸術を説明する言葉として、「調和」よりも「交差」の方がふさわしいのではないだろうか。
調和という言葉には、対立が最終的には美しく解消されるという響きがある。
横尾はもっと騒々しく、不穏であり、矛盾している。死と笑いが同居し、恐怖とユーモアが隣り合う。それらは和解しない。
ただ、同じ場所に存在するが、その交点に生じる何かを、三島は「霊性」と呼んだのではないだろうか。
礼節とは、他者を消さないことである
そう考えると、「礼節」という言葉も違って見えてくる。礼節とは単なるマナーではない。
もっと根源的には、「自分とは違うものを、違うまま存在させること」なのではないだろうか。
他者を自分と同じものにしない。理解できないものを、理解したつもりにならない。異質なものを、自分の論理へ回収し尽くさない。分からないものを分からないまま、それでもその前に居続ける。その態度を「礼」と呼ぶことができる。
そう考えれば、横尾忠則ほど深い意味で「礼節」のある芸術家も珍しいという逆説的な結論にたどり着く。
表面的には、横尾は無礼である。ジャンルを壊し、美術と広告を混ぜ、死もエロスも俗悪さも、遠慮なく描く。
しかし、深いところでは、横尾は驚くほど何も排除しない。美しいものや高尚なものだけを選ばないし、生や若さだけを肯定しない。死さえ排除しない。
だから横尾の無礼は、単なる破壊ではなかった。
境界を壊すことで、それまで境界の外へ追いやられていたものを、もう一度世界へ招き入れる。
ここに横尾の「無礼」と「礼節」が接続する。
外部からやって来るもの
三島が早くから指摘した横尾の「外部への関心」は、この意味で決定的に重要である。横尾は、自分の内面だけを描いてきた芸術家ではない。むしろ、猛烈に外を見る。雑誌、映画、広告、演劇、故郷、音楽、海外・・・あらゆる外部を見る。そして、外から来るものを猛烈な勢いで自分の中へ入れてしまう。三島由紀夫、寺山修司、土方巽、唐十郎・・・といった同時代の表現者たちとの交錯も、その一部である。
しかし彼らを「影響関係」という言葉だけで整理してしまうと、横尾の場合は少し違う気がする。横尾は影響を受け、それを自分の様式へ吸収して消してしまうのではない。異物を異物のまま内部へ残しているのだ。
だから横尾という人間自体が、巨大なコラージュのようになっていく。
ここでも三島の比喩を使えば、横尾自身が一本の縦糸であり、世界から無数の横糸がやって来るのである。そして横尾の仕事は、その交差を拒まないことだった。
インド――天と地の境界
1970年代、そこへ大きな一本の横糸が入ってくる。 インドである。
横尾は1974年以降、繰り返しインドを訪れた。インドとの出会いを単純に「精神世界への傾倒」とまとめるべきではないだろう。むしろ横尾がそれ以前から作品の中で直感的に行っていたことと、インドで経験した世界とのあいだに共鳴があったと考えた方がいい。生者と死者。人間と動物。聖なるものと日常。身体と宗教。商売と神。それらが、日本の近代都市ほど厳密には隔離されていない世界。

ここで三島の「地上的な作品」と「天に評価される作品」という言葉を思い出すと、面白い逆転が起こる。
横尾は地上を捨てて天へ向かったのではない。
むしろ、地上そのものの中に天を見つけていったのではないだろうか。
俗悪を捨てて聖なるものへ向かうのではなく、俗悪の内部に聖性を見いだす。
身体を捨てて精神へ行くのではなく、身体の内部に宇宙を見る。
死を克服して生へ行くのではなく、死の内部に生を見る。
横尾において霊性とは、地上を超越することではなく、地上を徹底して見つめた先に現れるものだったのではないか。
『遺作集』――自分を死なせること
そう考えると、1968年にまだ若い横尾が自らの作品集を『横尾忠則遺作集』と名づけたことも、奇妙な予言のように見えてくる。生きている若者が、自分の「遺作集」を出す。もちろん逆説であり、挑発でもある。しかし横尾のその後の人生を見ると、別の意味が見えてくる。
横尾は、自分自身を何度も死なせてきた。成功した自分を捨てる。評価された様式を捨てる。昨日までの横尾忠則を捨てる。そして別の横尾忠則が現れる。
横尾にとって、死は創造の反対ではない。
死そのものが創造の方法なのである。
この構造が最も劇的に現れたのが、1980年代初頭の「画家宣言」だった。
「横尾忠則」を捨てる
1980年、ニューヨーク近代美術館でピカソ展を見た経験を重要な契機として、横尾はグラフィックデザインから絵画へ大きく軸足を移していく。
すでに横尾忠則という名前は、国際的にも知られたグラフィックデザイナーの名前になっていた。普通ならそれを守り、成功した技法を洗練させ、「横尾忠則らしさ」を確立させていく。それがプロフェッショナルの「エチケット」であるとすれば、横尾はそれをいとも簡単に壊した。
ここでも三島の声が聞こえる。「このエチケットのなさ!」
しかし、このとき横尾が壊したのは芸術とデザインの境界だけではなかった。もっと深いものだった。
自分自身と、自分自身との境界である。
「私はこういう人間である」「これが私のスタイルである」 人間は年齢を重ねるほど、そうした自己像を強固にしていく。
自己像は私たちを安定させる。しかし同時に、それは自分を縛り閉じ込める檻にもなる。
横尾は、その檻を何度も壊してきた。
その意味で横尾の芸術史は、様式の発展史というより、自己解体の歴史として読むことができる。
そして自己を解体するたびに、外部が入ってくる余地が生まれるのだ。
Y字路――分かれることと、つながっていること
2000年頃から展開される「Y字路」は、横尾芸術の本質が風景そのものになったシリーズのように思える。
故郷・西脇で、少年時代に通った模型店がなくなっていることを知り、その跡地を夜に撮影したことから始まった。写真に現れたのは、懐かしい記憶の場所というより、フラッシュによって闇から突然浮かび上がった、見知らぬ分岐点だった。

Y字路とは、一本の道が二つに分かれる場所である。右か左か。生か死か。過去か未来か。普通なら「選択」の象徴として読むことができる。
しかし、横尾のY字路を見ていると、別のことに気づく。
右の道も左の道も、同じ一枚の絵の中にあり、二つに分かれているが、分離してはいない。そして何より、二本の道は同じ一点から生まれている。
ここに横尾芸術の本質が風景化されているように思う。
「違うままで、一つである。」
しかも、三島の縦糸と横糸という言葉を重ねれば、Y字路で本当に重要なのは、右の道でも左の道でもないのかもしれない。
二つが出会い、そして分かれていく、その一点である。
三島が霊性は二本の糸の「交点」に宿ると言ったように、横尾のY字路にもまた、世界が二つへ分かれながら同時に一つである、不思議な一点があるのだ。
光の底の闇、闇の底の光
さらに興味深いのは、光と闇である。1966年、三島は横尾の極彩色の奥に「やりきれない暗さ」を見た。つまり、光の底に闇があった。ところがY字路では、その関係が反転する。夜の暗闇にフラッシュが焚かれ、そこから世界が浮かび上がる。今度は、闇の底から光が生まれる。
若い横尾の作品では、生の極彩色の奥に死が潜んでいた。
Y字路では、死のような闇から世界がもう一度生まれてくる。生から死へ。死から生へ。一方向ではない円環として。
ここまで来ると、横尾芸術の中心テーマを単に「死」と呼ぶことにも違和感が生まれる。
横尾が描いてきたのは死ではないし、かといって生だけでもない。
生と死が絶えず互いの内部へ入り込み、入れ替わっていく生命そのものなのではないだろうか。
老い――身体という他者
そして晩年の横尾忠則を考えるとき、避けて通れないものがある。老いである。
老いることによって、身体は少しずつ自分の意志だけでは動かなくなる。眼、耳、手、足腰。そして、病。
身体は「私の所有物」ではなく、私の内部に存在する一人の他者のようになる。ここで横尾は、その身体を無理に若い身体へ戻そうとするだけではなく、身体の変化そのものを制作へ迎え入れてきた。思い通りにならない線や予定していなかった筆触。偶然や不自由。それを失敗として排除しない。身体の声として受け取る。


これは、三島の言葉を使えば、身体への礼節と呼べるのではないだろうか。
自分の身体さえ完全には支配しない。身体を自分の命令に従わせるだけではなく、身体が何をしようとしているのかを聞く。すると、「私が身体を使って絵を描く」という構図が、「身体が私を通して絵を描く」へと反転する。
さらに進めば、世界が横尾の身体を通して絵になっていくとさえ言える。
ここでは、作者と作品という最後の境界まで曖昧になってくる。
『原郷の森』――死者の声を聞く
2022年の『原郷の森』は、この問題を考えるうえで象徴的な作品である。そこでは、現実と虚構の境界が消え、生者と死者の境界が消え、時代の境界が消える。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソ、デュシャン、北斎、三島由紀夫、黒澤明・・・・、古今東西の死者たちが同じ「森」へやって来て、主人公Yと語り合う。

ここで重要なのは、横尾が死者を単なる引用素材として扱っていないことである。
死者にもう一度、声を与える。そして、その声を聞く。
考えてみれば、礼節とは、聞くことなのかもしれない。
自分の声だけで世界を埋め尽くさずに他者の声を聞く。
他者の声は、死者でもあり、過去でもあり、世界の声でもある。
横尾忠則という一本の縦糸を、無数の横糸が横切っていく。
『原郷の森』とは、そう考えれば巨大な「横糸の森」である。
そして、その無数の交点に、三島のいう霊性が宿る。
霊性は、天上にあるのではない
では、三島のいう「霊性」とは何なのだろう。この言葉を宗教的な意味だけで捉える必要はないと思う。神仏を描けば霊性が生まれるわけではない。宇宙を描けば霊的になるわけでもない。
横尾の六十年を見ていると、霊性とは「何を描いたか」ではなく、「どのように世界と関係したか」に宿るもののように思えてくる。
自分とは異なるものを排除しない。支配しない。同一化しない。違うまま迎え入れる。そのとき、自己と他者の「あいだ」に何かが生まれる。
だから、三島は霊性が芸術という縦糸そのものに宿るとは言わなかったのではないか。礼節という横糸そのものに宿るとも言わなかった。交点に宿ると言った。これは非常に重要なことだと思う。
霊性とは「もの」ではない。関係なのである。
作者と作品のあいだ。自己と他者のあいだ。身体と世界のあいだ。生と死のあいだ。過去と現在のあいだ。天と地のあいだ。
異なるものが、異なるまま出会う。その「あいだ」に立ち上がるものこそが霊性なのではないだろうか。
「すべては一つ」では足りない
ここで、最初の問いへ戻る。
横尾の作品では、なぜ異質なものが一枚の画面に存在できるのだろう。
「横尾は異質なものを調和させるのが上手だから」では足りない。
「本当はすべて一つだから」という回答も安易な気がする。
「すべては一つ」という言葉は美しい。しかし同時に危険でもある。
一つであることを強調しすぎれば、差異が消えてしまうからである。
私とあなたは違うし、生者と死者は違う。
横尾作品の魅力は、その違いを消してしまわないことにある。
髑髏は花になって消えてしまうのではなく、髑髏は髑髏のまま花の隣にいる。
死は生に吸収されずに、死は死のまま生と同じ画面に存在する。
だから横尾芸術の核心を「すべては一つ」と呼ぶよりも、私はこう言いたい。
「違うままで、一つである。」
一つであることと、違うことは矛盾しない。むしろ違うからこそ、関係が生まれる。違うからこそ、交点が生まれる。
縦糸と横糸が同じ方向へ走れば、布は織れない。違う方向へ走るから、一枚の布になる。
無礼の奥にある礼
ここまで来ると、三島が横尾に残した二つの言葉は、つながってくる。
「何という無礼な芸術であろう。このエチケットのなさ!」
そして、「タテ糸が芸術だとすると横糸が礼節だ。その二つの交点に霊性が宿る。」
横尾は確かに無礼だった。芸術の境界に対して、既成のジャンルに対して、美術史に対して無礼だった。自分自身のスタイルに対してさえ無礼だった。
しかし、存在そのものに対しては、驚くほど礼節を持っていた。あらゆるものを追放しなかった。
つまり横尾は、境界に対しては無礼であり、存在に対しては礼節を持っていた。
この逆説こそ、横尾忠則という芸術家を理解するための重要な鍵なのではないだろうか。
世界そのものが横尾を通って描かれる
表現者にとって、芸術が自己表現である場合は多い。
しかし、六十年以上に及ぶ制作を見ていると、「自己表現」という言葉では収まりきらなくなる。
世界からイメージがやって来る。記憶や死者や偶然がやって来る。過去の作品が次の作品を呼んでくる。
横尾は、それらを完全には統御しない。受け取り、応答し、また描く。すると制作は、「横尾が世界を描く」という一方向の行為ではなくなる。世界が横尾へ入り、横尾が作品を生み、その作品が横尾へ返り、また次の作品が生まれる。そうした永遠の今としての循環である。
どこまでが横尾で、どこからが世界なのか、境界が分からなくなる。
横尾が世界を描いているのではなく、世界そのものが横尾を通って自分自身を描いていると考えたくなる。
それは「作者が消える」ということではない。横尾という固有の縦糸は、最後まである。
しかしその縦糸は、無数の横糸が通過できるほど開かれている。
その開かれた交点に、作品が生まれるのだ。
三島が見た「厳粛なもの」
1966年、三島は横尾の極彩色の底に「何かしら厳粛なもの」を感じた。当時、その正体を死と考えることもできただろう。横尾作品には、早くから死のイメージが付きまとっていた。しかし、六十年後の地点から振り返るならば、私はその「厳粛なもの」を、もう少し大きな言葉で捉えたい。
それは、生命である。
ただし、死の反対としての生命ではない。死を内部に含んだ生命である。
生まれ、変化し、壊れ、死ぬ。そして別のものになる。身体も、文化も、芸術も、その運動の中にある。
横尾の画面が異様な生命力を持つのは、死を排除していないからだ。死を含んでいるから、生が強い。闇を含んでいるから、色彩が眩しい。異物を含んでいるから、世界が動き続ける。
横尾が描いてきたものを一つ挙げるなら、それは「生命」なのかもしれない。
しかし横尾は生命という対象を描いてきたのではない。
描くことそのものを、生命の運動へ近づけてきた。
その点にこそ、横尾芸術の霊性がある。
違うままで、一つである
私たちは世界を分けて生きている。私とあなた。心と身体。人間と自然。生と死。聖と俗。正常と異常。芸術と生活。分けることは必要である。境界がなければ、社会も科学も成立しない。
しかし、境界を現実そのものだと思い込んだ瞬間、私たちは世界のもう一つの姿を見失う。
生命は、境界を越えている。
身体は外界から空気を吸い、水を飲み、食物を取り込み、微生物と共生しながら存在する。生きている身体の内部では、細胞が生まれ、同時に死んでいる。過去の記憶が現在を作り、現在の経験が過去の意味を書き換える。世界は、私たちが引いた境界線ほどきれいには分かれていない。
横尾忠則の画面は、そのことを思い出させる。
ただし、横尾は境界を消して、すべてを同じものにしてしまうのではない。そこが重要である。違いを残す。異物を異物のまま残す。そして、その違うもの同士が同じ一枚の世界に存在できる場所をつくる。
だから横尾忠則の芸術とは、無礼によって境界を壊し、礼節によって異なるものを迎え入れ、その交点に霊性を生じさせる芸術とも言える。
三島由紀夫は、若き横尾に「縦糸」と「横糸」という比喩を渡した。
横尾忠則という一本の縦糸。そこへ六十年以上にわたり、世界から無数の横糸がやって来た。横尾は、それらを一本の糸に撚り合わせて同じものにすることはなかった。
違う糸は違う色のまま残し、交差させ、一枚の布を織った。その布は完成しない。新しい横糸が来るたびに、また織られていく。
三島が「霊性」と呼んだものは、もしかすると、その完成しない織物の無数の交点に宿っているのかもしれない。
横尾忠則が六十年以上をかけて織り続けてきたもの。それは一枚の絵画でも、一つの様式でも、一人の芸術家の「世界観」でもない。
あらゆる異物が異なるまま織り込まれていく、一枚の巨大な生命の布なのではないだろうか。
だから横尾忠則の作品を前にすると、私たちは不思議な感覚に襲われる。あまりにも多くのものがある。ばらばらで、矛盾し、騒々しい。明るくて暗い。生きていて死んでいる。それなのに、一枚である。
横尾忠則の芸術が六十年以上かけて私たちに示してきたのは、もしかすると、とても単純で、同時にとても難しいことなのかもしれない。
一つになるために、同じになる必要はない。違いを消す必要もない。何かを否定し、追放する必要もない。
違うものが、違うまま出会うこと。
そして、その「あいだ」に生まれるものに耳を澄ますこと。
それこそが礼節であり、その交点に立ち上がるものこそ「霊性」ではないだろうか。
横尾忠則の芸術とは、違うままで、一つであることの可能性を、描き続ける芸術なのである。


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