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「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ」展(東京都現代美術館)

  • 執筆者の写真: inaba
    inaba
  • 6月12日
  • 読了時間: 2分

「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ」展(東京都現代美術館)を見た。とても面白かった!



別の宇宙に紛れ込んだような展示。

進めば進むほど迷宮となる。

まさにこの現実世界こそが迷宮。

迷宮のなかに生きて、迷いながらさまよっている。

展示空間のイメージの迷宮の中で、現実の迷宮の造形を追体験する。

人間の心が動揺し動くからこそ、

迷宮の中で人間の心も静と動を振り子のように振動する。

きっと、動物は迷宮をすり抜けるように生きている。



タイトル「而今而後」(ジコンジゴ)は、『論語』の一節から取った言葉で、

「これから先、ずっと先も」の意味。


岡崎乾二郎さんは、脳梗塞で死の淵に立った。

私が死のうとも著名人が死のうとも誰が死のうとも、この世界は迷宮のようにして果てしなく続いていく。

動物や植物や鉱物は迷宮をすり抜け、人間は迷宮の中にとらわれる。


岡崎乾二郎さんが入院中に描いた絵画もぐっとくるものがあった。

身体が不自由だからこそ生まれる絵画。全存在をかけた筆跡に人生が込められていた。書の円相のように。




小説のようなキャプションも面白く。


文章を読んだ時に喚起されるイメージを持って作品を見れば、イメージが勝手に作品に投影され、自動的に物語が生まれる。無意識は神話生成機能を持つ。観るものがイメージの海で遊び、神話の世界を遊ぶように。


例えばこの文章(I-iv-21)。

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あなたはこの水を乾かし、あるいは飲み干すだろう。けれど決して水は滅びない。水は姿を変えて移動しただけである。水は乾くことなく、水がのどの渇きを癒すのだ。と似て、私の指一本いや手足を切り落とそうと、わたしは切り落とせない。姿を変える勝手気ままが水ではなく、わたし(の赤い水、血)ではない。水の中に水の姿に関わらぬ何か、としての水の霊が宿っている(水ははじき出す波と早がってんしないように。波は音楽のようにあちこり広がり増えたり減ったりするが、水の霊は増減せず分割もされない)。わたしは水の中にあり、泳ぎ、まどりみ、そして目覚める。

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色と形しかない宇宙を旅して帰還してくるような、イメージが活性化される展示!

東京都現代美術館で7月21日まで開催中。






山形ビエンナーレ2022のときに、「おくすりてちょうをつくる」ワークショップを開催し、多くの人が暗闇で色と形で遊ぶ場をつくった。その時に生まれた作品は、無数の人の集合的無意識を通過して生まれてきた造形で、岡崎乾二郎さんが遊ぶ境地に似たものでもあった。



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