FM軽井沢『今こそ永遠(6回目)』 いのちは重なり

6月27日(日曜日)10:30~10:55、FM軽井沢『今こそ永遠(6回目)』をお聞きいただいた皆様、ありがとうございました。





6回目は、生死織りなすいのち、に関しての話をさせていただきました。

どんな人にも「いのち(LIFE)」はありますが、与えられたいのちをどのように捉えばいいのでしょうか。死者から託されるもの含め、いのちは生のカテゴリー内だけではなく、死のカテゴリーも含めた全体で、捉える必要があります。





自分は医療という大きな分野の中で、医者という一つの役割の仕事に従事しています。

医療職には色々な職種がありますが、その中の一つの役割として医師があります。本来はそれはヒエラルキー構造ではなく、対等の存在だと思います。

もちろん、医師が最終判断を下す場面も多いですし、最終責任をとる場面も多いわけですが、それは役割の違いであって、医療の役割としてはすべての立場が対等であると、自分は思っています。


そもそも医者になろうと思ったきっかけを考えると、2-3歳のときの幼少期の記憶にさかのぼります。


では、なぜこんな過去の記憶まで思い出したかというと、そこにも理由があります。


「いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ」アノニマ・スタジオ(2017年12月22日)

という最初の単著を書きましたが、こうした本を真剣に書いているときに、やはり自分の原点にさかのぼって書かないと、嘘になるなと思ったのですね。自分なりのしっかりした根源の場所に降りて考えたい。そのために最初の最初の最初の・・・・として、Y字路を逆向きに辿るように記憶をさかのぼっていた時、その当時の記憶にぶちあたり、思い出したんです。






深い記憶の奥底にある原体験としての内的世界を、記憶の糸を辿っていく、という行為は、やはり文章を書く、という行為があったからこそ辿りつけた場所だとも思いました。ですので、文章を書く、という行為は、自分の原点、源、初心に戻る行為にもなりますので、真剣に文章を書いてみることはどんな人にでもお薦めしたいとも思います。



3歳前後の曖昧な記憶の中で、死に近い体験をしていることを覚えています。

単著「いのちを呼びさますもの」も、冒頭はその場面から始めました。


子供のとき、ずっと病気で入院していて、普通の暮らしはほとんどできていなかったようです。ちょっとしたことですぐに病院に入院してします。

周りもこの子は長く生きられないんじゃないか、と思うほど生命力が弱弱しかったようなのです。

ウイルスや細菌や、色々な感染症を併発していて、全身の粘膜という粘膜が全部ただれてしまいました。口からご飯が食べれなくなり、病院では鼻からチューブを入れて栄養をとりながら生きていた風景を克明に覚えているんですね。病状的には死の間際を行き来していたのかもしれません。ただ、色々な偶然や恩恵が重なり、病態は上向きに向かい、無事生き返って今に至る、という経過があります。実際、小学校の低学年のときもずっと体育は休んでいるほど、弱弱しかったんですね。


ただ、だからこそ、生きているだけで十分なんだ、と思っていたことも強く覚えています。

自分はすでに死んでいた可能性もあって、生きているだけで儲けもののような人生だ、と。

家族や医療スタッフ、色んな人の力で助けられたから、自分もその恩返しをしようと思って医者になった。

助ける側・助けられる側、なぜこうした立場が違うのか。

自分はあちら側、助ける側にいけないのか、そうした記憶や葛藤、違和感をベッド上で感じていた感触が今も強く残っています。



2−3歳で病院に入院していた時を思い出すと、天井のしみの形も明確に思い出すのが不思議なことでした。

その時、僕はなぜ生き残ったのだろう、と思い出した時に、2つの主要な体験がありました。


1つ目は、看護婦さんが「あの子はなんて可哀想な子だろう」と言っていたのが聞こえてきたんですね。

僕は病気でベッドに寝て動けません。天井しか見れず病棟で横たわっています。天井のシミのパターンを見ている記憶があるんです。その看護婦さんは、「まるで死ぬために生まれてきたようじゃないか。何のためにこの子は生まれてきたんだろう。本当に可哀想な子だ」というようなことが聞こえたんですね。

その時に初めて、「自分はほんとうに可哀想な子なんだろうか」という疑問が湧いてきたのです。

可哀想、という概念が当時はよくわからなかったのだと思うのですが、少なくとも、自分は今まで一度も可哀想な子だと思ったことはなく、その言葉が醸し出す雰囲気などに当惑したんだと思います。

その時に一日葛藤しました。

自分が可哀想な子だと思えば、看護婦さんはきっと喜ぶんじゃないか、でもそれが正しいのか、と思い、また振り子のように葛藤に戻す。そうした心理的な動きを何度も何度も繰り返しました。


でも、自分はそれなりに幸せだったんです。

色々なことを自由に頭で空想していましたから、見た目よりも自由だったんです。

別に誰とも比較するわけではないですから。

その時に一晩悩みました。その結論として、自分は可哀想な子じゃないんだ。と強く決断して、自分の意思で決めたことを覚えているんですね。



まず、そうした記憶が不思議と蘇ってきました。


2つ目の記憶は家族です。

自分は小児科病棟で入院していました。ベッドの下の狭い場所に母親が寝ています。

いつ急変するか分からないですし、重症の小児科病棟は母親がずっと付き添うんですね。

当時は自分もガリガリに痩せていたらしく、両手でお腹が掴めるほどお腹周りが小さかったと聞いた覚えもあります。

自分の父親も姉も何度も何度もお見舞いに来ている光景も浮かんできました。

そうした全体的な風景の中で、自分の頭の先から足の先まで電流が走ったような体感が起きたんですね。ビリビリビリと、電気や電撃のようなものが全身を貫きました。

その時、自分は何の体験をしたかというと、「愛」と呼ばれる何かを体験として知ったのです。

つまり自分は愛されている、生きていることを求められている。

そうしたことを、突然に体験したんです。



それまでの自分は、この世もあの世も等価なもので、どちらも同じような意味合いの世界だったようなんですね。どちらにも重みづけがされず、等価なものでした。て

すべて運命に委ねていたような所があったんです。

ただ、その時に始めて自分は生きたい、生きねば、と思いました。

生きていることを求められている、と、強い自覚があり、自分は生きなければいけないと決意したんです。

そしたら少しずつ元気を取り戻し、病状も回復に向かった、そうしたぼんやりしたおぼろげな記憶があるんですね。



医療職を目指す原点をさかのぼっていったときに、そうした二つの記憶が突然、蘇ってきて、我がことながら驚きました。



その二つの記憶や体験は、自分の中でも強烈な体験でした。

つまり、自分が医療者として生きていくことと分かちがたくつながっているようなんですね。

自分の医療哲学の核に埋め込まれているんでしょう。

つまり、誰も可哀想な人間なんて誰もいない、周りが勝手に決めるものではない、と。

誰かと誰かの人生を相対化して比べることなんてできない、ということです。


そして、人間はどんな人でも必ず愛の力によって生存しているのだ、ということも強く体感しました。


人間は誰もが弱いです。

特に赤ちゃんの時や子供の時は、とにかく弱いです。圧倒的な弱者です。

だからこそ、どんな人でも、必ず誰かからの愛された体験が無い限りは生き残って生存できないのです。

人間とはそうした存在なんだ、ということが、腑に落ちたんですね。






今回のFM軽井沢でご紹介した曲は、荒井由実さんの「ひこうき雲」(収録アルバム:荒井由実『ひこうき雲』1973年)です。


この曲は、荒井由実時代のデビューアルバム『ひこうき雲』に入っている一曲目です。

このうたも「いのち」を歌う曲だと思います。


●松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)





「ひこうき雲」は、スタジオジブリの宮崎駿監督作品の映画「風立ちぬ」(2013年)の主題歌に使われました。

この映画は、堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1936年)からインスピレーションを受けています。







堀辰雄は昭和19年からは軽井沢の追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年に49歳で亡くなりました。

死因は結核とされています。

「屋根のない病院」と言われた軽井沢や追分の高原は、まさに居るだけで治癒が起きる場として選ばれていたのでしょう。



堀辰雄の小説『風立ちぬ』には「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句が出ます。この詩はポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節です。「風が吹く……生きねばならぬ」「さあ、生きようじゃないか」という強い意思を含んだ言葉が、タイトルに使われています。



荒井由実さんの「ひこうき雲」 歌詞の中には、


『白い坂道が空まで続いた

ゆらゆらかげろうがあの子を包む

誰も気づかずただひとり

あの子は昇っていく

何も恐れない そして舞い上がる』


『空に憧れて

空をかけてゆく

あの子の命はひこうき雲』


『高いあの窓で あの子は死ぬ前も

空を見ていたの 今はわからない

ほかの人には わからない

あまりにも 若すぎたと

ただ思うだけ

けれどしあわせ』


という一節が出てくるのですが、自分の子どものころの記憶と、荒井由実さんの歌詞とが強くリンクしたんですね。


「高いあの窓で あの子は死ぬ前も

空を見ていたの 今はわからない

ほかの人には わからない

あまりにも 若すぎたと

ただ思うだけ

けれどしあわせ」


最後の、『けれどしあわせ」が、自分は強く響きました。

『しあわせ』かどうか、は、客観的な尺度なんてありません。

周りからいかに「しあわせそう」と見えようとも、内実は地獄のように辛い心理状況を送っている人もいるのです。むしろ、そうして外面の顔と内面の世界が強く分離して苦悩している人も多いのです。




幼少時に、こうしてベッドサイドで「いのち」のことをかんがえていました。

この世に存在するもの、それは植物でも動物でも、どんな些細な石でも風でも水でも砂でも、全ての存在には命があって、命は、死を迎えるとこの世の全ての存在に平等に分配されていくんのではないかと思うのです。


そうして「いのち」は分配され循環していく。

「いのち」は全ての存在に平等に分配されますが、おそらく「受け取ろう」と思った人にしか受け取ることができないものだとも思います。そこには自由意思の余地が残されているのでしょう。


「いのち」を受け取るか拒否するかは、自分が決定権を持ちそれは自由で強制されないものだと思うのです。それこそが「いのち」が循環する世界における根源的な原理・原則なのではないかと。


受け取ると決めた人が「いのち」を受け取る。

だから、自分は医者になったのだ、と、思いました。

受け取ると決めたら、「いのち」は受け取ることができる。

「いのち」は光のように同じ場所に重なることができる。それはまさに光と同じなんです。


死に行く人を看取ることも同じだと思います。

死にゆく人の話をちゃんと聞き、「いのち」を受け取ると決める。

そうすれば、みんながあなたの中で重なっている。


子どもの時に、誰もがそうした体験をしているのではないかと思うのです。表層の意識では忘れているだけだと思います。

自分は文章を書くという行為の中で深い意識の底へともぐり、そうした自分の核となる場所をふと思い出しました。



「いのち」は集合的なものでもあると思います。

肉体は誰でも限界があります。それはしょうがないことです。受け入れる必要があります。

ただ、だからこそ誰かが受け取ればいいんです。

「いのち」は量ではなくて質の概念なんでしょう。

人生が長ければいい、という話ではなく、一歳であろうと二歳であろうと、完結している。

「いのち」はこちらが主体的に受け取らない限り受け取れないのだろうと思います。

わたしたちは誰かに「いのち」を託しながら、重なっていくのです。



だからこそ、人はそう簡単に死ねないのではないでしょうか。

自分一人の人生じゃないことを自覚すると、色んな人の「いのち」が重なっているとすると、複数の人生を同時に生きているようなものですから。






ラジオの最後には、宇多田ヒカルさんの「花束を君に」(4:40)(収録アルバム:宇多田ヒカル『Fantome』2016年)(作詞・作曲:宇多田ヒカル)をご紹介しました。


●宇多田ヒカル - 花束を君に




2008年にリリースされたアルバム『HEART STATION』から8年、一時活動休止期間を経た宇多田ヒカルさんが、6枚目となるアルバムを発表されたのが『Fantome』(2016年)でした。

2013年に、母親である藤圭子さんが亡くなり、3年という喪に服す時間を経て、彼女は表舞台に出てこられたのです。

この曲は、そうした母や自分の「いのち」を歌った曲だと思います。



「世界中は雨の日も

君の笑顔が僕の太陽だったよ

今は伝わらなくても

真実には変わりないさ

抱きしめてよ、たった一度

さよならの前に」




次回は、7月25日(日曜)のAM10:30-10:55です。

「今こそ永遠」は、FM軽井沢のHPからどこでも聞けますので、ぜひ次回もお聞きください!



FM軽井沢 

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