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野口晴哉「治療の書」整体協会出版部(1969年)

August 31, 2019

野口晴胤(はるたね)さんの「平均化訓練」春秋社 (2019/6/21)の本を紹介したときに書いた、

野口晴哉先生の「治療の書」整体協会出版部(1969年)をご紹介。

もう50年も前の本。自分が生まれる10年前の本。でも、まったく古びていない!

 

 

 

野口晴哉先生(1911年- 1976年)は「手当て」により、色んな病を治したとされる方でもあります。その後、「整体」という形で、「体を整える」技術を作り上げました。


「治療の書」は、治療のマニュアルを書いた本ではありません。
むしろ、30年休みなく治療を続けた野口晴哉先生が、治療を捨てるに至った治療との決別の書でもあり、その深い地下水に流れる生命哲学を真っ直ぐに表現した本なのです。

 


『この三十年山口講習のため車中で過ごした二日間以外は、治療をしなかった日はなかった。元旦から大みそかまで、道場の焼けた日もその翌日も一日として休まなかった。』

とおっしゃる野口晴哉先生が治療を捨てた理由。

 

 

それは「依存関係」を生む、ことに危機感を感じたから、と書かれています。

野口晴哉先生のように現代医学で太刀打ちできない難病を治した人でも、病や痛みが「からだ」を通して伝えようとしたメッセージを本人が受け取らなければ、奇跡的な「治療」も、「困ったらあの人にお任せすれば大丈夫だ」という、治療する側・される側という「依存関係」を作り出すだけで終わってしまうのです。

 

 

それぞれの人間の人生は、それぞれの人が主役である一回限りの超大なドラマだと思いますが、他者に依存して預けてしまった人生では、その人のドラマは幕が開かずに終演を迎えてしまいます。主役が主役として出てこない、そのプロローグだけで幕が閉じます。

 

「依存関係」の落とし穴は、現代医学でも同じです。
科学という権威に依存する、大学病院という権威に依存する・・・・。

スピリチュアルに依存する、前世に依存する、宗教に依存する、修行に依存する、ボディーワークに依存する、・・・・

姿や形を変えて、色んな領域で同じことは起きていると感じます。

 

 

野口晴哉先生は、自分が自分の体を整え、自分で自分を養生していく道を切り開いていきました。
そのことにとても共感します。

 

自分は西洋医学を介して医療に携わっている一人ですが、表面的な肉体のケアだけに終始することなく、その人その人が自分の与えられた肉体、精神、魂を大切に慈しみながら育てていくお手伝いをしたいと、感じています。

 

そういうことを、未来の医学は志向していくべきではないかと、日々悩み葛藤しながら感じています。
いづれ、同じような思いを共有する同志と仕事ができれば、こんなに嬉しいことはありません。


 


野口晴哉先生の「治療の書」には、野口先生の深い生命哲学が込められていて、全てのページに線を引いてしまいそうです。
部分的な引用を拒む全体性の持つ力があります。


詳細は、ぜひとも!本を購入して読んでほしいですが(全生社のHPなどで買えます)、深く感じ入ったところを引用させてください。ごく一部です。

 

 

 


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生くる者は生くる也 死ぬ者は死ぬ也。
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出産に40週を要すること 100万年前と変わらず。
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生命の自然に順(したが)ふに於いてのみ、生くるに生くる道ある也。
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当たり前のことが当り前に行われて 当り前の気持ちでその経過を眺めている者のみ 治療ということを行える也。
良くなって喜ばず 悪くなって慌てず いつも平然として治療のこと行ひ得るに至りて治療といふことある也。
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治療とは自分が苦しんでも 人を楽にすること也。
自分の心を楽にするため、人に余分なこと行はしむることに非ず。
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同情は人を弱くしその弱きに快感あらしめ、親切は人を依りかからしめて独り立つ気力を失はしめ、慈悲は治療するものを快ならしむるも受くる者を高圧し、冷淡は人を憤らせることあるも又奮発せしめ、つき放せば倒れることあるも独り立つ機となることもある也。
補ひ庇ひ護ること必ずしも人を強くせず、飢へし人の食を奪ひ、盲人の杖を捨てしむること必ずしも不親切に非ず 
冷酷ならず心の表面のことしか見得ざる人は別として、心を感ずるすべての人はこのこと親切なることを知る也。
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治療といふこと この親切に依ってのみ行はる可き也。
それ故自分で自分を守る心ありては治療のこと行ひ得ざる也。
自分の利不利のみ考へてゐては治療のこと出来ぬ也。

慎重も親切も守る可きに守り 捨つ可きに捨て、如何なるときにもこだわることなく 常に白紙に動き 明鏡の心に生きてのみ治療のことある也。
持つべきものあらばこだはる也。
持つべきものなく こだわる可きもの無く いつも静かに息してゐること大切也。
治療のこと先づ自分を静かならしむる也。
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治療に当たるものは、常に自分の「親切に依ってのみ」行うべきであるし、こだわりなく、白紙のようにまっさらな純真な心で、明鏡の心に生きていなければいけないのでしょう。

 

「先づ自分を静かならしむる」必要がある。

人のことをするなら、まず自分の心を整えよ。それが自利利他の道。

医療も自利利他の道です。

自己満足になりおごりたかぶるのは、自分の心が未熟な証拠で、それは相手の問題ではなくあくまでも自分の問題なのでしょう。

 

 

 

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心のこと 表面に動く心をのみ見ていては判らぬ也。
その潜伏観念の動きを見る也。
その抑圧されし感情の潜伏活動を読む也。
表に現れし一の心の動きも 又その反映也。

怒る人には怒る理由既に裡にある也。
月を見て泪する人の泪する理由、月を見る前よりある也。
されば過剰な感情のうしろには性慾ある也。
病気を激しく恐怖するも、人の為せしこと激しく怒るも、その鬱散運動也。
表面のことつかまえて 頭に向かって如何に説教しても 之の恐怖去らず、その怒り解けざるはもとより也。
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治療のこと常に人を導いて強くする為に行ふ也。
生くるに溌剌と生かしむることその目的也。
病気を制すること目的に非ずして、病気をも活かして人間の溌剌と生くるに資する也。
その為に観る也。
人間の元気を発揚すべく物事を見るよう導くために観る也。
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人もともと目的なく生れたり。
生れし後、いろいろと目的立てる人あれど この目的 人の生くる為の便宜也。
生くる真の目的に非ずして、生くる目的は生くること也。
生くることの何なるか 人知らず ただ自然之を知る也。
太陽の輝くも空の蒼く見ゆるも 人何の故か知らず。
人の何の故にあるか知らず。ただ生まれたが故に生きんとする也。
生くるを全うすること大切也。
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治療のこと自然に行ふ也。
之放置に非ず。工夫に非ず。
神を以て偶し、目を以て視ず。
“官止まるを知って 而も神行かむと欲する也”
袖手傍観、自然に非ず 万物の自然に随順する也。
治療する者 治療する者としての自然の動き感ず可き也。
その息する如く治療といふこと行ふ也。
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生きる「目的」を作り出すのは、単なる便宜的なもの。
苦しい時や辛い時、そこから抜け出すために自分を説得する便宜的な方便のようなもの。

生命は、生まれたからには、生きようとする。生きようとするのが生命。生まれたということは、生きようとしているということ。
生きようとしないならば、最初から生まれてさえいないはず。
生きようと思えないのは、それは「隠されている」だけ。どこかに蓄えられているだけ。
それはたしかに目に見えない。

でも、必ずある。

なぜなら、生きているから。それが証拠。

生きようとすることを全うすることが、生きるということ。
それは天地自然から与えられた天寿を生きるということ。
生まれるという事は、壮大なドラマの幕が開いたということ。
ドラマは、終わるべき時、終わる。焦らなくていい。
それが、「生くる者は生くる也 死ぬ者は死ぬ也」ということ。

 

 

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治療するの人 乗っているバスが転覆したる時と雖も、自分を顧みる前に怪我した人なきかと無意識に思うやうにならねば、治療といふこと為す事得ざるものにして、治療したやったとか、慈悲を施したとか考へるようでは治療といふこと知らず。
自分の問題をいつも捨てきって、他人の幸せのこと想ふようになりて 治療といふこと為せる也。
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身にしみます。
相手が命がけのときは、文字通りこちらも24時間365日命がけでやりなさい、ということ。

自分もそういう思いで、1年間オンコール当番をやり続けています。


命には、命がふさわしい。

表面的な姿かたちは、あくまで便宜的なもの。

 

 


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元来、人は正直な人も親切な人も冷淡な人も丈夫な人も弱い人も無いのでありまして、自らさう認むることによってさうなってゐるだけなのであります。
それ故、治療する人は治療の目的に添ふよう相手を認めなければなりません。

相手を弱しと見、悪しと認むるようでは治療といふことはできません。
相手の裡の健康に生くる力を認め、相手の心の中に潜む善なるもの、幸せなる者を認むるようにならねば、治療するわけにはゆかないのであります。
どんな人の裡にも善はあります。幸せはあります。強くなる力はあります。健康であらうとする生命は動いてをります。
それをその如く自覚しないことから病気が治らず、不幸せになり、悪いことをするのでありまして、一旦そのことを自覚すれば、自づから人は自覚した方向に歩み出すのでありまして、このことを自覚せしむるやう認むるといふことをしなければなりません。
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良き治療家 宇宙と俱に息し 俱に動いて その息一也。
治療する者の一挙一投足 是自然の動き也。我がもとに悩む人病む人来るも 之自然の動き也
治療といふこと 我がもとに人の至り おのづから治ること也。
我に至りて治らざる者あるは 我の病む也。
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我が病むは我ある為也 我我無くしてのみ治療家たり。
治療といふこと 技によりて為すに非ず、機によりて為すに非ず。
我が息静かにして乱れざること也。
我が息 自然にして 我無き息によりて為す也。
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治療を行ふは自然也。
人が人を治すに非ず。人はその在る あるに在る也。
その在る あるに在らしむること 治療といふ也。
わが治療といふこと 斯くの如き也。
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治療といへること それを行ふに愛を必要とし 慈悲を必要とし、それを行ふに犠牲あり 悩みあり 千辛万苦して行ふ可きに非ずして、楽々悠々息し スラスラ容易に行はる可き也。
懸命になり 一心になりて 治療といふこと行へるは 治療を知らず 会さず 徹せざる者のみ。
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野口先生の生命哲学は深いです。

実践だけでもなく理論だけでもなく、その両方を疎かにせず、バランスを取り続けた茨の道を歩いた人だけが到達できるような透明で普遍的で宇宙的な世界観を感じます。

 

病は誰にでも訪れるもの。
だからこそ、この「治療の書」は誰が読んでも深い感銘を受けると思います。
特に医療に携わる人には、時間がなかろうとも、忙しい診療の合間に読んでほしい本です。

 


どんな人の中にも「健康に生くる力を認め、相手の心の中に潜む善なるもの、幸せなる者を認むる」からこそ、どんな辛いことでも、僕らはどうにかやっていけるわけです。

 

 

 

 

 

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