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NHK出版 学びのきほん 「役に立つ古典」(安田登)、「ブッダが教える愉快な生き方」(藤田一照)

August 12, 2019

NHK出版 学びのきほんの安田登先生「役に立つ古典」面白いなぁ!

 

古事記、論語、奥の細道、中庸、の古典での、安田先生ならではの読みが楽しめる。値段も670円でリーズナブル。

 

 

 

ちょうど今、響いたのは、孔子の『論語』での話。

 

 

 

孔子は紀元前500年ごろの人で、「論語」は孔子の死後400年後に作られた。
400年!という開きはかなり大きい。

 

だから、「論語」の中には、孔子が生きていた時代にはなかったはずの漢字が使われている。だから、孔子の喪とのイメージはなんだったのか?漢字から孔子の原イメージをさかのぼろうという試み。

 

 

有名な「四十而不惑(四十にして惑わず)」という言葉がある。
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子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。

 

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず
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ちょうど自分も40歳なので、よくこの言葉を考えていた。
一般的には「不惑」、惑わない、という意味だ、と。

 

ただ、孔子の時代に、「惑」という漢字はなくて、
実は「不惑」ではなく「不或」が原義で正しいとのこと。

 

では「不或」の意味は何か?


それは、「四十にして区切らない」という意味。


つまり、「自分を限定せずもっと可能性を広げ、チャレンジしなさい」という意味とのことだ。

 

40歳で悩まない、惑わない、という意味ではなく、
むしろ、40歳になったら、自分の経験を一度すてて新しいことにチャレンジしろ、という意味らしい。

ちょうど40歳の今の自分の背中を押すようで、心に響いた。

 

 

 


他にも、「温故知新」の意味。
「温故」は、既存の知識(故)を、ぐつぐつ煮て温める。
「温故知新」は、元々は「温故而知新」で、「温故」と「知新」の間に、「而」という漢字がある。
この「而」は、奥深くで見えないうちに何かが変化する魔術的な時間のこと。
発酵の時間を経て「知新」が現れる。

「温故知新」とは、既存の知識を発酵させていると、新しい視点が突如として現れる。そうした精神作用が「知」ということらしい。

 

 

他にもたくさん面白い話があって、大いに勉強になった。
最近、広尾での安田先生の寺子屋にも行けてないし、いい刺激!

 

 

藤田 一照さんの「ブッダが教える愉快な生き方」も同時発売で、「愉快に生きること」。これは今自分が芸術とはなぜ必要なのか、でいつも感じていること。

 

 


たとえば、子どもは水たまりを見ると、そこに飛び込んで遊ぶ。どんな少しの時間も無駄にせず、生きる時間を目いっぱい楽しんで生きている。

そういうことを思い出すのが、芸術の力じゃないのかなぁ。

自分は、「あたま」の理屈の世界ではなくて、もっと深い「こころ」や「からだ」や「いのち」の働きの中にこそ、芸術の大切さを見ているし、そのことはブッダの生きざまと同じだよ、と言っているのが一照さんの本かなぁ、と思う。

 

 

ぜひ読んでみてください!(^^

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