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生きることの意味と命

December 1, 2017

ひさしぶりに白川静先生の著作を読み直しているが、いろいろとImaginationかきたてられる。
漢字って、まさにイメージ言語だ。


ことばには、空間も時間もない。
ことばを文字として形象化することで、空間を持ち持続するものとなる。

 

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サイは、祝詞を入れる器である。

 

 

サイの中にある祈りは、その器の中で、人に知られることなく保たれることによって機能する。

その機能を維持するために、器を守ることが必要とされた。

 

それでサイの上に、大きな方形の干(たて)を置いてこれを守る。
それが古である。

固のもとの字であるが、機能が久しく持続されることを古という。

 

祈りを硬固にとじこめることによって、祈るという行為が完結するのである。

 

 

 

 

白川静『中国古代の民俗』

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古と祈りとの関連性は面白い。

 

衣」があらためて人間の魂と深く関係していること(おそらく肉体を覆う境界の役割を果たすものだからだろう)。だからこそ、死でいのちを送る儀式(「たまよばひ」:招魂)のときにも重要であった、というのは発見だった。

 

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衣は身を包むものであり、魂のありどでもあった。
衣は上衣の衣襟のところを示す象形字である。

 


白川静『漢字の世界2』
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死者にはまず新衣を加える。
新衣をもって屍を包むのは、魂の復活を祈るものである。

死亡を卒という。
その字の形は、衣のむねのえりもとを締めて、
くくる形である。
おそらく魂の脱出を防ぐためであろう。

 


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哀哭の儀礼は、この衣に寄せて行われた。
そこに、死者の霊が移ったとされるからである。

哀は衣中にサイを加えた形である。
サイは祝告して、
霊の回帰をねがう儀礼であった。
哭はその祝告をならべて、犬姓を添えたもので器と同じ系統に属する。

 


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哀哭が終わると、
復、すなわち「たまよばひ」の儀礼をする。
死者の服を屋上に持ち上がって掲げ、衣で死者の霊を招きながら、
「ああ、某よ、復(かえ)れ」と
三たび大声で呼ぶのである。
衣は霊のよりつくところであった。
屋上での復の礼が終わると、その衣をまた死者の上にかける。
霊がもどってきたという、
模擬的儀礼である。

「たまよばひ」は招魂ともいう。

 

白川静『中国古代の文化』
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あらゆるものは生命の連続の中に生きる。
その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか。
そこに生きることの意味があるといえよう。


生とは自然的生である。細胞の活動に支えられるものには、すべて生がある。
自然的生の中では、生きることの意味は問われていない。
その意味を問うものは命(めい)にほかならない。
命ははじめ令とかかれた。

 

礼冠を着けた人が跪いて、しずかに神の啓示を受けている。
その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの神意であった。

 

のちにはサイを添えるが、その祈りに対して与えられる神意が命である。
生きることの意味は、この命を自覚することによって与えられる。
いわゆる天命である。

 

当為として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちにすでに存するものであった。

 

 

 

白川静『漢字百話』

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生きることの意味と命との関連。

いろいろと考えさせられる。

 

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