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ヨコハマラウンド動画、渡辺真也監督との対談

August 12, 2017

お知らせ二つです。

動画とテキスト。

 

5/28の『ヨコハマトリエンナーレ2017 公開対話シリーズ』
 島とオルタナティブ: 歴史・社会、医療、アート
  ●マップオフィス(アーティスト)
  ●稲葉俊郎(医師)
  ●吉見俊哉 (社会学)
  ●三木あき子(ディレクター)
こちら、当日の動画が公開されているようです。
ご興味ある人は是非どうぞー。

 

■ヨコハマトリエンナーレ2017|公開対話シリーズ「ヨコハマラウンド」ラウンド3<島とオルタナティブ: 歴史・社会、医療、アート>

 


ちなみに、この会の後に自分が書いたブログ記載はこちらです。
→●May 30, 2017 島と海と海底火山、星


ヨコハマトリエンナーレは、8月4日(金)から11月5日(日)まで、 横浜美術館や横浜赤レンガ倉庫1号館などで開幕中です!
 

 

 

渡辺真也さんの映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』という素晴らしい映画があります。

→〇映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』プレミアム上映会(2016-12-24)(旧ブログ『吾』より)

 

その映画での上映後、渡辺監督とのトークショーというのがあり、そこで話した内容のログが起こされています。もしご興味ある方は是非。

→●映画『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』上映後トーク No.5(ゲスト:稲葉俊郎 / 2017年01月24日 @ 渋谷アップリンク)
 


宇治野宗輝さん、鶴岡真弓さん、畠山直哉さん、國分功一郎さん、森村泰昌さんという錚々たるみなさんのトークのログもあり、どれも面白い。

 

 

自分のトーク内容の見出しだけ書くと、
・少しずつ自分の感覚に近い世界に戻ってくる
・知的な理解では越えられない壁
・入院と臨死体験について
・人から愛された体験の重要さ
・自分以外の死をどう受け取めるのか
・子供の時に考えたこと
・クリエイティビティとは何か?
と、なっております。

 

自分がこどものときに臨死体験をしている話が、比較的詳細に語られております。こちらを、渡辺さんが熱望されたもので・・・。かなりDeepで哲学的な話になっております。

 

 

 

 

渡辺さんとの対談より一部、抜粋。
性と死について。
ーーーーーー
話が変わりますけど、単細胞生物が多細胞生物になったのは15億年前なんですね。


単細胞生物がだいたい40億年前くらい前にできたとするとて、25億年ぐらいかけて多細胞化していったんですね。想像を絶する時間です。

 


多細胞化する前の生命の世界は、単細胞生物で一つの細胞だけで生きていますから、ずっとコピーし続けているわけなんですね。単細胞がコピー…コピー…コピー…の果てしない繰りかえしなので、ある意味では個別的な概念はないんですよ。生や死という概念自体が違うんですよね。全てが同じ情報をもって、まったく同じものですからね。
だけど、それだけでは何か不都合が出たのでしょう。

 


単細胞の世界から、多細胞化という大ジャンプが起きた時に性や死の仕組みができています。
異なったものが二つ交わり、全く新たな遺伝情報を持つ個体を作るという意味です。そこで全く別のものが生まれるわけです。コピーではないものが。


それをどんどん重ねて行くっていう世界が生命の中に生まれた。その時に初めて死という概念がでてくるわけですよ。
全てがコピーで同じものから、すべてが違うものですから。

コピーの時代は区別できなかったものが、違うものが生まれて区別できるようになった。
だから性の仕組みと、死というものはペアで生まれたような物でしょうね。


それまではコピーが全滅したらそれが死だったわけですね。消滅、全滅に近いものですね。
多細胞化して性の仕組みができてから、個別性が出て、個別の死が生まれた。そういう歴史を僕ら人間は背負っていると思うんですよ。生命の歴史の中での、時の重みのようなものを。

 


 だから、例えばあの世とか輪廻とか来世とか、人類は色々な概念(コンセプト)をつくりますね。
勿論、あの世があるかないか、という議論は大切かもしれないですけど、僕は二元論で展開される議論というのは、人間の霊性やスピリチュアリティを高める問いじゃないと思っているんですね。


そうしたあの世があるかないかとか、そういう話よりも、自分が生きる営みの中に、死をどう位置づけていくか、そういうことが大事なんだと思うんですよ。


それは二元論のように知的な理解ではないし、人ごとではない問いとして。そういう問いを経過していれば、その一つの回答として、ある人が死後の世界やあの世や輪廻を絞り出したのならいいと思うんですよね。


その人自身の神話とでも言いましょうか。生と死という一見矛盾するものが、生きる営みとしての人生の中に統合されていることが大事だと思うんです。
それは誰かのコンセプトではなく、自分自身の哲学であり人生観であり、神話のようなものだと思います。

 


そして、僕はそうした生と死にまつわる深い体験が、どんな人にもあると思っているんです。
だって、赤ちゃんは毎日生命の危機に瀕した弱い存在でありながら必死に生きていて、そうした時期を経て大人になるわけですから。
だから、単純に忘れているんですね。命がけで生き延びてきて今こうして生きている、ということを忘れているんです。

 


でも、本当は誰もが生の中に死が、死の中に生が位置づけられて生きているはずだと思うんですね。


自分が生まれる前や自分が死んだ後の連続の中で自分の生や死を位置づけていく時に、生まれ変わりや輪廻という考えが、何かしら強い説得力を持って伝わってきているのだと思います。


それは、自分の死だけではなく、自分以外の膨大な死者をどう位置付けていくか、ということでもあります。
そうした死者と生者が織りなす滔々とした命の流れがあると思いますね。

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