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物語と舞台の意味

  • 執筆者の写真: inaba
    inaba
  • 6月23日
  • 読了時間: 3分

小川糸さんと雑誌企画で対談することもあり、作品を集中的に読みこんでいる。



小川糸さんの「つるかめ助産院」を読みながら、彩の国さいたま芸術劇場でのアクラム・カーン『ジャングル・ブック』のダンスを見に行き、体験としては混ざりあってしまった。物事は2進法で分けられるものではなく。


小川糸さんの「つるかめ助産院」は、辛い過去を持つ女性たちが、助産院という場に集い、出産の体験を経ながら再生されて行く物語。



アクラム・カーン『ジャングル・ブック』は、気候変動で陸が海で覆われて中、人間と動物たちはどういう関係性の中で地球に生きて行くのか、そうしたことを考えさせられるシリアスな舞台。ダンスをベースにしながら映像表現などを重ねわせた現代的な表現。




こうして文学を読み、舞台芸術を見る。なぜ必要なのだろうかとふと思う。



人生は自分一人では体験できないことがほとんどだ。

だからこそ他者の視点で追体験する機会を持つことで、自分の細い体験がすこし太くなる。物事を見る時にも、表や裏、上や下、中と外。複合的で立体的な視点が生まれる。


自分の体験が乏しいことに限界を感じているからこそ、物語や舞台での体験が必要なのではなかろうか。

どんなに共感しても、相手と人生を変わってあげることはできない。それは自分が医療者として生きていていつも感じていたこと。それぞれが自分の人生を生きているし、固有の視点で世界を見ている。

ただ、そこでの「わたし」の視点が、どれだけ広く豊かになるか、寛容で受容的になるかどうかで、人生の見え方はかなり変わってくる。それはお互い様だ。



この世界に生きていると、どんな人にでも振幅の違いこそあれ希望と絶望はやってくるものだ。その波の高さや穴の深さは比較できない。


それぞれの人生の体験が異なっていて、見えてくる現実も違うからこそ、違う体験を共に感じ合おうとしてお互いが人間の深い理解に至ることができる。自分の体験の数や深さの総体で、共感し、共鳴できる範囲が拡張していくのだろう。


だからこそ、物語を読む。共感すると心は痛むし悲しい感情を味わう。

だからこそ他者の痛みが分かる人になる。共感力や共鳴力は生き方や、ひいては霊性につながる。



ひとりの人生は限界があるからこそ、どれだけ広い視点でこの世界を味わい尽くすことができるか。そこで得られた感性が、どんな時代でもあっても朗らかにご機嫌に生きて行くこととつながっているのではないのかな、とも。


物語を見る視点が得られると、日常の中にも数多くのドラマが展開されていることが身に染みてよくわかるようになる。個人レベルでも、地球レベルでも、生命レベルでも。



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