温泉水に入り時間をほどく 下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」
下諏訪「菅野温泉(すげのおんせん)」。
inadani seesのイベントで伊那へ向かう途中、ドライブ湯治がてら、諏訪に立ち寄った。
道中で湯に浸かり、移動の時間を、ドライブ中にも温泉心地で運転するために。
「菅野温泉(すげのおんせん)」の創業は明治19年。今年で140年になる。
明治、大正、昭和、平成、令和。
街の景色も、人の暮らしも変わるなかで、ここでは幾世代もの人が湯に浸かってきた。この懐かしさは、意匠だけではつくれない。無数の時間が重なって、空間の肌触りになっている。湯に身体を沈めるとき、私たちはその長い時間にも包まれる。

諏訪の温泉に入るたび、水の力が強い、と感じる。
ただ温度が高いというだけではない。湯から上がっても、一日中身体のどこかで水の余韻が鳴り響く。身体の奥まで届いた何かが、ゆっくりと響いているような感覚がある。もちろん、「水のエネルギー」は医学的な測定値ではないけれど、温度や成分の数字だけでは言い尽くせない体験を、身体は確かに受け取っている。
菅野温泉の分析表を読むと、その湯の輪郭が見えてくる。
泉質は「ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉」。源泉温度56.8℃、pH8.69。低張性・アルカリ性・高温泉である。
硫酸イオン481.7mg/kg、ナトリウム226.9mg/kg、塩化物イオン185.4mg/kg、カルシウム83.2mg/kg。硫酸塩を主役に、塩化物とカルシウムが重なる。昔の呼び方でいえば、芒硝泉や石膏泉の性格に、食塩泉の要素が加わった湯だ。
溶存物質は約1.08g/kg。濃厚な塩の湯ではなく、比較的淡い組成である。透明な見た目の中に、地中を旅してきた水の履歴が溶けている。
温泉医学では、硫酸塩泉や塩化物泉の浴用の適応として、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症などが挙げられる。
アルカリ性も、この湯の特徴の一つ。
そして、菅野温泉では、湯と同じくらい空間に心を動かされる。
このレトロな佇まいは、どうだろう? 作者がいるようでいない。どれほど巧みに真似しようとしてもつくれない気がする。当時の人が思い描いた豊かさや清潔さ、楽しさ。その時代の気分が形になり、幾人もの暮らしを受け止めながら今日まで残ってきた。シンプルイズベスト。


昔のテレビドラマの中に、ふと入り込んでしまったようだ。
扉のこちらと向こうで、流れている時間の速さが違う。何ともいえない、時空のねじれがある。
湯治には、「身体の時間調整」という意味もある。
時計や通知に急かされるうちに、呼吸も、食事も、休息も、外から与えられた速度になってしまう。そんな身体を湯に沈める。湯気を眺め、湯の音を聴き、ただ温まる。
過去のゆったりした時間へさかのぼることで、身体が自分の歩幅を思い出す。懐かしさもまた湯治の一部。
諏訪には、手頃な料金で入れる、地元の人のための公衆浴場がいくつもある。温泉が特別な日の贅沢にとどまらず、暮らしの中に息づいている。仕事帰りに、家事の合間に、人と顔を合わせながら身体を温める。その文化が、なんとも素晴らしい。
諏訪大社という聖地があり、諏訪湖という巨大な水がめがある。膨大な水が、ただそこにある。
その存在だけで、この土地の空気や、人の感じ方に、大きな影響、重力、磁場を与えている。湖の水、地中の水、湯として湧く水。諏訪では、水が風景の奥行きになっている。空間の重し。
数え切れない人がここで一日の疲れをほどき、明日へ戻っていったのだろう。
その時間を受け止め続けてきた場所。
諏訪湖にたたえられた水と、地の底から湧く温泉。
その水がたどってきた道は、同じではないのかもしれない。けれど、どちらも、この諏訪土地の水と地球の時間を映している。
湖面に空が映る。湯には地中の温もりが宿る。
そのあいだに身を置くと、私の身体もまた、水の巡りの一部なのだと感じる。
諏訪をあとにしても、ハンドルを握る私の中で諏訪の水の時間がゆっくりと流れていた。
※成分値は掲示の2019年分析表より。
※浴槽内は撮影不可のため、浴槽写真は「諏訪地方観光連盟」Webよりお借りしました。

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