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東田直樹『ありがとうは僕の耳にこだまする』

映画公開もきっかけに、東田直樹さんの『ありがとうは僕の耳にこだまする』角川学芸出版 (2014/11/20)を再読しました。





『ありがとうは僕の耳にこだまする』では、東田さんの詩がつづられています。

詩のスタイルは、東田さんの本質がより強く出ていると感じました。

コトバが論理でつながっているというより、命のリズムでつながっているような詩を書かれます。



あとがきに、東田さんが考える言葉・コトバの説明が出てきます。


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僕にとっての言葉は、考える道具です。

誰かとコミュニケーションを取るためでも、自分をなぐさめるためのものでもありません。

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思いを言葉に置き換える作業は自分にとって、時にやさしく、時に厳しいものなのかもしれません。

なぜなら、心の中のありとあらゆるものを見直し、箱に詰められた僕の「言葉」を、順番に整理する必要があるからです。

自分がどこで何をしたいのかについて悩むより、僕はこの「言葉」の置き場に困ることの方が多いです。

それは、誰にも取られたくない宝物を、どこに隠せばいいのか迷う気持ちに似ています。

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自分も、ブログの中でコトバをつづっていますが、自分の思考のプロセスを丁寧にトレースして書いていると、よく思います。


自分が感じたこと、受け取ったこと。それを既成の概念に当てはめて満足するのではなくて、自分の中にあるコトバの世界をもう一度見直してみて、どのコトバが響きあいしっくりと腑に落ちるのか、自分自身の力で独力で探し出してみる。一人旅に出るように。そうしたプロセス自体が、楽しい。なぜなら、それは本当に旅のようなものだから。


内的対話が落ち着いていた時は、適切なコトバと出会ったことだと仮定してみる。

試しに外へ向けて発してみる。もちろん、反応があるとうれしい。

反応がないこともあるが、それは気にしない。基本的には自分の中にあるコトバの中で響きあうものを探している行為自体が、子どもに童心に帰ったようで、冒険の旅のようで楽しいもの。

ブログの作業はそういうことを繰り返しているような気がしています。




東田直樹さんは、自分の体と思いとがいつもずれていて、そのことは病気や障害とされ、変な動きをする変な人とされて、苦悩されている。

ただ、そういう身体の動きはすべて東田さんのコトバであり表現なのだ。

こちらが意味が分からない時は、むしろこちらから分かろうとして働きかけてみる。それは既に対話が始まっている証拠でもある。


僕らが日常で使っている言葉よりも、もっと深い層のコトバと対峙している東田さんの事だから、そんな深さと連動した体の素直な動きは、表層意識ではちょっと理解しにくいだけだろう。東田さんの動きは、生命リズム、宇宙が爆発しているような、そんな動きなのだと思う。



ほんとうに本当に素晴らしい詩が多く、感動しました。心揺さぶられる詩が多かったです。


特に気にいった詩をご紹介。

是非手にとってお読みください。




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「僕らの夢」


僕らは一人じゃ何も出来ない

僕らは誰も助けられない

それが

つらくて 悲しくて

生きていくのがいやになるけど

君の夢のずっと先

君の未来のすぐ側に

僕らの夢と未来がつながっていると

僕は信じたい

だから今日も歌を歌おう


明るく楽しい歌を歌おう

みんなの未来に幸せが

たくさん たくさん

来るように

誰もが生まれて良かったと

思える明日が

来るように

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「光」


誰にでも平等に

誰ででも優しく

人は そんな光になりたい

どんな時でもふりそそぎ

どんな時でもかわらない

人は そういう光になりたい

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「だから朝焼けは美しい」


暗闇からオレンジの光

すっきり明るい光

細長く帯を広げたよう


どこまでが夜で

どこからが朝

その線引きのために

朝焼けはあるのだ


夜と朝の境

その境界線はどこ?

どうして一本の線で分けられない


だんだん夜は明けていく

少しずつ 少しずつがいいのだろう

人の心に沁みこむように

時の流れをのみこむように


朝焼けが引きよせる

命を

愛を

光を


だから朝焼けは美しい


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「1%の勇気」


100%の勇気は僕にはない

けれども

1%の勇気なら 僕は持っている

それは

生き続けること

それは

死なないこと

それは神に祈ること

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「ずっと遠くに見えるもの_


僕は信じていた


ずっと遠くに見えるもの

大切なのは

未来に希望をもつ心


僕は信じていた


誰もが夢見て探すもの

必要なのは

絶対にあきらめない気持ち


誰も僕を救えなくても

きっと

僕は負けやしない


誰かが僕を待っている


ずっと遠くに見えるものは

僕自身の姿だから


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「私のコトバ」


私のコトバは死んでしまった

汚いみんなの話より

ずっと綺麗なコトバなのに


コトバを持たない人間たち

それは

古代より選ばれし者

宇宙より使わされた使者


コトバを持たない人間たちは

誰よりも自然を愛し

命を愛し

絆を愛する



私のコトバは死んでしまった

残されたものは

奇妙で

滑稽で

不可解な

声そのもの


まるで

古代人のように


私は叫ぶ

まるで

獣のように

私はうなる


コトバを持たない人間たちの思いは

言葉をあやつる人間たちの心に

いつ 届くのだろう


ありったけの力で


ありったけの力で

僕は生きる

この世界の果てを

自分の目で見るために

全てをささげて

僕は飛ぶ

どこにも逃げ場などつくらずに

大空をまっすぐに

前だけを見据えて

美しい飛行は

水平線の彼方まで続くだろう

地面に足が着いた時

僕は涙するのだろうか

明日の自分を心配するのだろうか


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「この手の中につかめるもの」


まるで

蝶がひらひら舞うように

僕らには居場所がない

太陽の光の中を僕らは泳ぐ

時間の感覚も場所の認識も

僕らの世界には存在しない

僕らは人間か?

ルールを教えられ

生活を管理される毎日

当り前のことが簡単にはできない

忍耐と苦痛の日々


僕らの言葉は理解されず

肉体に閉じ込められた感情

孤独と絶望に包まれ

ただ年を取る



たとえ話せなくても

みんなと同じ人間ならば

いつか心は通じるはず

緑の風と遊ぶこと

空と海を愛すること

僕らも地球の仲間であること


僕らに必要なのは

みんなの手の温もり

明日への希望を抱く

胸の高鳴り


太陽に手をかざす僕の手を

みんなの両手で包んで欲しい


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「この身を焼くまで」


僕のこの身が滅ぶまで

僕は僕と付き合う

できないこと

困ったこと

全部引き受けて


普段は聞こえないような音

いつもは見えないような物

それが分かる日が来るのだろうか


この身を焼くまで

僕は僕の中で生きる


辛い現実に涙し

恐れ 悲しむ時を重ね

どんな運命(さだめ)になろうとも


そして いつか

魂が天に帰る時

僕は知るだろう


苦しみ抜いた

ぼろぼろのこの身

この身は

僕だけの肉体では 無かった

僕は

幸せに包まれていた


父が

母が

僕を

愛してくれた

その記憶の確かさが

僕を 空へといざなう


最後は みんなと同じ空へ帰る

天の人となるために

肉体と別れるために


あんなに嫌いだった 僕の体

もう どうしようもないと思っていたのに

抜け殻になった体が

今は愛おしい


そう

僕はこの身を愛していた

僕はありのままの僕でいたかった

父や母のように

世界中の人が僕を愛してくれるなら

この身が滅ぶ前に

僕はこの肉体を

愛せるだろう


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