山形ビエンナーレ2020、無事に閉幕しました。

山形ビエンナーレ2020、無事に閉幕しました。


今後もアーカイブ配信は見れるものもありますが、音楽関係はいろいろな著作権の問題もあり、限定公開になるかもしれません。早めにご覧いただき、「全体性を取り戻す」きっかけとして、気力や体力が充実するような、いのちよびさまされる機会になれば、と思っています。






今回のビエンナーレは、コロナ禍の中でどのように「伝えるのか」ということを主眼に置きました。インターネット配信を主軸にしたことはその一つで、他にも現地で新聞を配布したり、ローカル放送でのTVやラジオなど、あらゆるメディアを横断しながらチャレンジした、側面があります。「伝える」原点に立ち返りながら。



チャレンジには、必ずリスクが伴います。成功することがベストですが、表面的に失敗する場合もあります(ただ、長期的に見ていくと、失敗か成功か、ということは、誰にもジャッジできません)。

失敗も含めて次の糧にしていく大きな視点を持ち続けないと、チャレンジは生まれません。


今、社会は基盤から大きく揺らいでいます。

こういう時には、偏見なき若ものたちがチャレンジできるよう、挑戦を補い合うように周囲がサポートして支え合いながら、より大きな視点でよりよい社会へと共に歩んでいく時期ではないかと思うのです。


生きててもしょうがない、生きてても辛いだけだ、もうどこにも逃げ場がない・・・と、もし思う人がいれば、そのことを個人の資質として追い込んでいく社会は病んでいます。社会全体の歪みが個人にふりかかっていると受け止め、社会や場のあり方を創造的に変化させていくことが必要不可欠です。

毎年2万人から3万人が自殺で命を絶っていく社会は、病んでいると思います。そして、その中に多くの若者がいる、ということにも、自分は常にショックを受けます。


有名人や著名人の訃報をきっかけにして、わたしたちの生きている場が何か決定的なものを失い損われているのではないか、と、我が事として受け止め、お互いができる範囲で贈与し合う社会に向かいたいです。自分で命を絶っていく人が多くいる社会は、その社会自体が病んでいます。個人に責任はありません。感受性が鋭い人たち、責任感や正義感の強い人たちがが犠牲になっているだけです。



どんな人でも、生きることをくじかれることはあります。生きる気力が一瞬にして奪われてしまうことは誰にでも起こりえます。そうしたときでも、生きたいと魂が強く向かう方向へと自由に向かっていい社会をわたしたちが整備していかないと、本当に何のためにわたしたちが生きているのか、よく分からない社会になってしまいます。多くの人が、好きでもないことをして、させられて、愚痴を言い合っています。

そうではなく、あなたの魂や命が呼びかける方向へ、歩みを進めてください。








山形ビエンナーレが、医療と芸術の間に通路をつなぐことで、「いのち」を共有し合える場をつくる一つの可能性になれればと思っています。

枠やカテゴリーに決してはまらず、魂が求める方向へと。自由に生きている人たちの生きざまを見て、いのちが呼びさまされる場になればいいなと思います。


魂は聖域です。

芸術は、その聖域を守っているものであると思います。

その聖域を守り、共にいのちの可能性を追求し合える場こそが、いま求められています。

特定のレッテルやラベルではなく、子どものように、日々を迷いなく生き切っていく姿にこそ、わたしたちは原人間の風景を垣間見ているはずです。


山形ビエンナーレで蒔かれた種が、少しずつ芽吹いていくことを強く求めています。

種子は、適切な土壌と水、適切な太陽の光があれば、自然に芽吹いてきます。土壌が汚染されているのならば、いまは土壌整備こそが、緊急で切迫した課題でしょう。








岡本太郎が70年前に書いた文章があります。

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岡本太郎『アヴァンギャルド藝術』(1950年)


【この書を希望と信頼をもって 若き日本の藝術家たちに捧ぐ】


アヴァンギャルド藝術は、もはや是非の問題ではない。

ここを通らずに明日の藝術はあり得ない。

回避せず、この偉大な二十世紀の業績を乗り越える。

それこそ眞の藝術創造でありこれからのアヴァンギャルドである。

足踏みは、瞬時も許されない。

先端的課題に正面から挑み、革命的に飛躍しなければならない。

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彼は、藝術と生活と生きることと創造することを分けず、一体のものとして考えていた人物だと思います。

太郎さんは、1950年という戦後に、何を思い、この文章を刻んだのでしょうか。


その意味で、彼が思う「先端的課題に正面から挑み、革命的に飛躍しなければならない。」という宿題は、この時代にバトンを渡されていると、自分は思っています。














2020年9月に開催された山形ビエンナーレは、本当に多くの方々の協力の元、実施できました。


自分は芸術監督という立場でしたが、自分がやったことは0.01%ほどの些細なもので、大きな方向性を指し示しただけです。


現場で表に裏に、働いてくれた多くの方の思いが、光のように重なって実現しています。

コロナ禍で大変な中、多くの企業や財団の方が運営資金を寄付していただきました。お米一粒に百姓さんの汗と涙と喜びが入っていることと同じように、1円の中にもあらゆる人の思いが入っていると思い、本当に感謝しております。


大河の一滴として、山形ビエンナーレに参加できたことを誇りに思い、感謝の思いしかありません。ありがとうございました。


山形ビエンナーレ2020は、多くの種を大地に蒔きながら、土の中でしばし眠りの時期に入ります。

芽吹くタイミングを見計らないながら、種は個性に応じたタイミングで芽吹き、開花し、果実を実らせていくと思います。もちろん、散った後は大地を潤し、次の循環のサイクルの準備へと。


そうした全体性のダイナミズムをこそ、今後も楽しみにしていてください!








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