【連載第8回】コロナの「こわさ」を乗り越えて生命維持をしていくために、アートは必要不可欠(2020.11.17)

【連載第8回】ハーバー・ビジネス・オンライン。

コロナの「こわさ」を乗り越えて生命維持をしていくために、アートは必要不可欠(2020.11.17)

https://hbol.jp/232358



という記事です。

お時間あるとき、およみください。






目次では

●「融合する」「つながる」心の働きを重視する東洋的思考

●「いのち」というフィロソフィー(哲学)を共有するために、文化や芸術は何ができるか

●深い人間関係の守りがある場の中でこそ、「こわさ」を乗り越えて行くことができる

・・・・

となっていますが、『深い人間関係の守り』の場の創造こそが、いま求められていると思います。


自分が「医療」や「アート」の枠を超えて取り組みたいのは、そうしたことです。

そうした場をこそ、次世代に手渡せれば、と。





「融合する」「つながる」心の働きを重視する東洋的思考

近代の西洋においては、モノやヒトを「区別する」感覚が大切にされました。「区別」に努力が払われ、その感覚を洗練していくことが重要と考えられてきました。例えば、自と他、心と体、人間とその他の生きもの、など、あらゆるものが二分法で「区別」されていきます。


その結果、あらゆるものの輪郭が明確に区別されていくことで、それらを元に自然科学の体系が生まれてきました。ただ、これに対して東洋的思考は西洋とは逆の方向へと発展していきました。日常で区別されているものをむしろ区別せずに「全体として」見ることを大切にしてきたのです。


つまり、「融合する」「つながる」心の働きを重視しているとも言えます。自と他、生命と非生命など、存在するものを区別しない方向へと心の動きを推し進めていくことで、すべての事象を「存在」としか言いようのない、名前も付けることができない場所で考えていく共通の基盤を大切にしてきました。


名前を付けることができないため、その有様は「無」や「空」、「混沌」や「道(タオ)」などと仮に呼ばれてきました。ここで誤解してほしくないことは、西洋と東洋との優劣を主張したいのではなく、そうして逆方向に成長した巨大な独立峰が同時に存在していることこそが重要だ、ということです。


わたしたちの心は、「区別」し、「分離」する働きも持っていますが、同時に「融合」し、「つながる」働きも持っています。どちらの心の働きを重視して突き詰めていったかで、西洋と東洋とは異なる文化を作ってきたと言えるのではないでしょうか。


個と個は、バラバラに独立に存在していて、契約によって関係性を結ぶ、という考え方もあります。一方、すべては「存在」の「混沌」から生まれてきたひとつながりのものであり、それぞれの関係性は本来分けることはできないものだ、という考え方もあります。


「いのち」というフィロソフィー(哲学)を共有するために、文化や芸術は何ができるか

【連載第6回】「大林宣彦監督が、人生をかけてこの世界に伝えようとしていたものとは」の中で紹介しましたが、ドイツ政府はコロナ禍の中で「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と呼びかけ、アーティストの支援をはじめました。自分も「アーティスト(アート)は必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と思っています。ただ、必要不可欠で生命維持に必要なのは、アーティストだけでもなく、医療者だけでもなく、関係性を持って存在しているわたしたちの全体性の基盤なのだろうということです。底を支える全体性の基盤がしっかりと機能してはじめて、医療もアートも存在できるし、役割を果たせる、ということが大事なのではないでしょうか。


コロナ禍の中で社会基盤が揺らいでいる今、わたしたちが行う必要があることは「いのち」というフィロソフィー(哲学)を共有する場が必要だと思います。そのときに文化や芸術は、その場に対して何を贈与できるのか、ということが問われています。


深い人間関係の守りがある場の中でこそ、「こわさ」を乗り越えて行くことができる


人間は生きていてこそ、喜怒哀楽といった感情や情緒を感じながら生きていくことができます。人生には喜びや楽しみだけではなく、怒りや哀しみもあります。喜怒哀楽、いろいろな感情があり、成長していくためには自分のものとして統合してゆかねばなりません。

そして、あまりにも悲しく苦しい体験には圧倒されてしまうものです。深く傷つけられてしまうことはあっても、自分のものとして取り込んでいくことは難しいものです。ただ、否定的な感情体験が少ないと深みのある大人になりにくく、逆に傷が深い体験になりすぎると成長のプロセスが歪まされてしまいます。


生命の危機を感じるような「こわい」「おそろしい」危険な体験は、うまく守られた場の中で行われてこそ、はじめて自分のものになるのです。

わたしたちは、「こわさ」の感情を味わいつつ、深い人間関係の守りがある場の中で安心しながら自分のものへとしていくことができます。芸術やアートには、そうした「守り」を提供する方法としても存在しているのではないだろうかと思います。


未知のウイルスは確かに「こわい」ものですが、深い人間関係の守りがある場の中でこそ、わたしたちは乗り越えて行くことができるはずです。そうした社会基盤を同時に構築していくことも、今求められているのではないかと思います。

© All right reserved TOSHIRO INABA