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「Noism0 / Noism1 「円環」 金森穣 近藤良平 Triple Bill」@彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 に、「Noism0 / Noism1 「円環」 金森穣 近藤良平 Triple Bill」を見に行った。






Noismの結成20周年ということもあり、記念碑的な作品だった。


歴史の長いNoismは、それだけ多くの方が巣立っている。「過ぎゆく時の中で」という作品は、多くのダンサーを見てきた時の旅人が、瞬間瞬間に全力で踊り続けたダンサーを回想するように身体を通過させていき、そうした通過したダンサーの魂がそれぞれの命の中に入り込んでいることを感じさせるような作品だった。


「宙づりの庭」という作品では、記憶の空間の中に入り込むようにして、四季を巡るようにダンサーたちの魂が交わりあい離れあい、お互いを鏡のようにしてひとつの空間に収斂し凝縮していく。Noismの高い美意識が神聖幾何学のように美しかった。



近藤良平さんがNoism1のメンバーに踊ってもらった作品「にんげんしかく」は、Noismの肉体を究極まで追求した作品と全く異なり、異世界に巻き込まれる作品。


段ボールの中で動くダンサーは、四角い段ボールに身体の表情が浮き上がっていた。そして、あらゆる異質なものが玉手箱のように飛び出てきては融合して不思議な調和を奏でる、天才にしか創れない異次元な作品であった。意味不明な言葉を話すダンサーは、頭で考えるのではなく、体で感じろ、と言わんばかりで、言葉により言葉の世界を煙に巻きながら、言葉から離れることを促すかのようで。



3つの作品にも通底していたのは、無常であり、同時に「かなしさ」の感情であったように思えた。


Noismの作品からは、人が出会い別れることの「かなしみ」を、近藤良平さん作の「にんげんしかく」は、子どもが大人になるときの「かなしみ」を感じた。無垢で無邪気な子ども時代、ただ遊び続けることで日々が無限ループのように続く。ただ、子どもが大人になるとき、ただ遊び続ける日々から卒業しなければいけない。社会的な役割を担うことは、子どものように遊ぶ日から遠ざかることだ。ひとりひとり、子どもの世界を抜け出て大人の世界へと入っていく。最後に自分が残る。自分も大人の世界を通過していかなければならない。その時にしか感じられない「かなしみ」を、良平さんの奇想天外なダンスから感じたのは不思議なことだった。



良質なダンスは、AI時代でも永遠に生き残り続ける。血が通う人間と人間との深い通路で身体で交感しあう何か。


色々とInspirationを受ける素晴らしい公演だった。



Noismと近藤良平さんという両極のダンスの世界が、一つの作品として公演の中で統合されていて、脳みそがグラグラと揺らされた。


ダンサーの全身全霊で踊るさまを見ながら、自分も懸命に真摯に生きていかなければいけない、と、感じさせてくれるものだった。ダンサーは肉体を通して生きることの切実さを、強く訴えかけてくれる存在だ。それはお説教ではない。感じるものだ。だからこそ、生きている誰もが定期的にダンスは見に行くべきだと思う。生きる証としてのダンスを。頭で理解できなくてもいい。何かを感じさえすれば。自分の奥深くにある名前をつけることができない、何かがひきずりだされてくるはずだから。



●「Noism0 / Noism1 「円環」 金森穣 近藤良平 Triple Bill」

【埼玉】彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉


2025年2月7日(金)19:00(終演予定時刻 20:55)

2月8日(土)17:00(終演予定時刻 18:55)

2月9日(日)15:00(終演予定時刻 16:55)





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