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「崎の湯」「牟婁の湯」(和歌山県白浜町)

  • 執筆者の写真: inaba
    inaba
  • 7月23日
  • 読了時間: 4分

備忘録もかねて旅(温泉)の記録を。

大大親切な島田由香さんのご案内で、和歌山の温泉を巡った。柳川舞さんも共に。



選挙報道の最中だった。

報道を見ながら、あくまでも私事、自分事として受け取ったことは(目の前に起きていることを完全に自分の責任として、自分事として受け取ってみると)、長期的なビジョンを持つこと、違う考え方の人ともいかに協力して大きな目標を実現するか、ということだった。敵同士に見える人でも、どう協力していけるか、というのが大事な時代。温泉にでも入ってすこし冷静になり、よりよい未来をイメージした。


巡った温泉は、

・南紀白浜温泉(埼の湯、牟婁の湯)

・湯の峰温泉(わたらせ温泉・川の湯温泉は通過)

・みなべ温泉

・鶴の湯温泉

・龍神温泉(田辺市)

・花園温泉(かつらぎ町)

・清水温泉(有田川町)

・えびね温泉(白浜町)

・椿温泉

・すさみ温泉(すさみ町) など。



白浜には、羽田から南紀白浜空港へ。1時間くらいで行けて時間的にはかなり近いのに、一気にリゾート雰囲気+ディープな温泉世界に行けるからすごい。


まず。

和歌山の白浜にある「崎の湯」(ナトリウム塩化物泉)。


「ほぼ海」にある野外温泉(露天というよりも)。

「崎の湯」は日本書記や万葉集にも出てくる。天智、持統天皇も温泉行幸した場所。


撮影禁止なので写真はなく、左端に写っている木造の屋根がある場所。

海の岩壁にある。波を見ながら天地一体になり入れる。


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エンタメとして入る方ははしゃいでいたが、その後、大雨となり雷鳴も轟いた。ぞろぞろと出て行くが、見知らぬディープな温泉好きたちだけが湯に残り、静かに瞑想入湯。


実際、私はレンタサイクルで来ていたので、どうせ大雨だったら服が濡れるので、風呂に入っていた方がいい、という理屈もあり。

服を着ると雨に濡れることに抵抗するが、湯船の中だと関係なく、むしろ爽快だ。


天と地、空と海と一体になる壮大な温泉タイム。39.4度とぬるめで、マインド風呂ネスに最適温。2時間弱もマインドフルネスを楽しんだ。水や海と一体化し、体がふやけるのを楽しんでほしい。



崎の湯

和歌山県西牟婁郡白浜町1668


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「牟婁の湯」。


牟婁の湯は「南紀白浜温泉」の古称で、「埼の湯」と同様に「日本書紀」や「万葉集」にも記述がみられ、斉明、天智、持統、文武の各天皇が訪れたとされる。

牟婁の湯は共同浴場なのでお洒落さには程遠い。

ただ、名湯といわれる場の温泉源泉は、こうした公衆浴場で使われているので、温泉の歴史を感じるには必ずこうした公衆浴場に入ってみる必要がある。



まず外から見た時の風格がすごい。


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浴場には大きな2つの湯船がある。

ひとつはすぐそばに湧く砿湯(まぶゆ)源泉(含硫黄ナトリウム塩化物強塩泉:中性高張性高温泉)。

もうひとつは崎の湯と同じ行幸源泉(ナトリウム塩化物泉:弱アルカリ性高張性高温泉)が引かれている。

1度に2つの異なる源泉を味わえる贅沢な浴場。



多くの人は「温泉」と言えば、どれも同じようなものだろう、と思っているが、すべて全く違うから不思議なものだ。

これは、「人間」と言えば、動物や昆虫から見ると同じようなものだが、実際には性格や気質、人格から霊格にまでかけてまるで違うことと同じ。

つまり、すべてに個性がある。


眼をつぶって、温泉の違いを感じていると、特に皮膚感覚と嗅覚が鋭くなってくるので、ミクロな感覚を磨くためにも温泉はお薦めだ。

温泉に好き嫌い、肌に合う合わないはあっても、いい悪いはないと思う。




「牟婁の湯」は、二つの源泉のうち、崎の湯と同じ行幸源泉はとにかく熱かった。ただ、温冷浴と思い、田舎の熱い銭湯と思いながら入ると、「心頭滅却すれば火もまた涼し」で、快適なものでもあった。


とにかく、この温泉は歴史がある。


牟婁の湯

和歌山県西牟婁郡白浜町1665



・・・・・・

有間皇子(ありまのみこ)は、孝徳天皇の子。皇位継承もありえながら政争に巻き込まて悲運の死を遂げた方。

彼を陥れたのは、大化の改新の立役者、中臣鎌足と中大兄皇子とされている。

有間皇子は、中大兄皇子による粛清を恐れて心の病を装い、治療のために、牟婁の湯を訪れている。

有間皇子は、斉明天皇に病気が治癒したと報告。湯のすばらしさと景色の素晴らしさもあり、牟婁の湯に行幸することを薦めた。

斉明天皇は、中大兄皇子らを引き連れて牟婁の湯へ行幸する。蘇我赤兄(そがのあかえ)に謀反をそそのかされ、だまされた有間皇子は囚われの身となる。

有間皇子は裁きを受けるため、斉明天皇が滞在する牟婁の湯に護送される。

その途中、磐代(いわしろ・みなべ町)で歌を詠んでいる。


「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」


有間皇子(ありまのみこ)は、19歳で亡くなる。

19歳の有間皇子の心中はどのようなものだっただろうか。


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みなべに詠んだ歌も美しく、その深い悲しみに共感しながら牟婁の湯に入っていたら、思わず涙が出た。

そうした鎮魂や浄化の力があるのも、温泉の素晴らしい所だ。

たましいの問題は、温泉という自然の力によって、必ず癒されるだろう。




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