

「未来は、かけらから始まる。」(11/20@ハイアット セントリック 銀座 東京:ロバート キャンベル × 稲葉俊郎 × 奥山純一)
11月20日(金)、銀座で開かれる同名のイベントに、ロバート キャンベルさん、CACL代表の奥山純一さんとともに登壇します。 2026年11月2日(月)から11月20日(金)まで、ハイアット セントリック 銀座 東京にて、株式会社CACLの作品展「未来は、かけらから始まる」を開催されており、最終日のイベントです。 以前、石川県能美市でCACLを訪ねたときのことを、SNSにも書きました。能登半島地震によって壊れた九谷焼や珠洲焼、能登瓦などの「かけら」が、工房で新たな素材になっていました。そこには輪島塗の職人や障害のある人たちなど、異なる技術や経験を持つ人が集まり、手を動かしていました。 ●August 27, 2026:CACL(カクル)@石川県能美市(代表:奥山純一) 私が心を動かされたのは、壊れたものを元どおりにするだけではない、その先の営みです。 かけらに新しい役割を見つける。 そこから人の仕事が生まれ、人と人がつながり、地域に新しい文化が育っていく。 訪問したとき、私はこれを「未来の編集」と呼びたくなりました。 医師として患者さんに向き


子安温泉 褐色の湯と裸で風に触れる時間。
山田温泉、七味温泉、松川渓谷、雷滝。 高山村で水と湯をたどる旅の中で、子安温泉を訪れた。 温泉は源泉かけ流し。療養泉として開湯以来多くの人々に愛され続ける名湯。レアなのは「含よう素泉」で、⾧野県でも子安温泉と長野市の川中島温泉テルメDOMEの2か所しかない。) 高山村の温泉郷を巡ると、近い場所にありながら湯の個性が驚くほど違う。 山田の透明な湯 七味の白濁した湯 そして子安の褐色 子安温泉は、含よう素-ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉。 七味で見た硫酸塩を主体とする湯とは、化学的な骨格も異なる。 今回見つけた2014年の分析書には、源泉温度35.9℃、pH6.8。そして、源泉の外観は「ほとんど無色透明」と記されていた。それなのに、浴槽では褐色になる。 この違いが面白い。 分析書には、鉄〈Ⅱ〉が8.2 mg/kg含まれている。地下では水に溶けていた鉄が、地上で空気に触れ、酸化して微細な沈殿になる。その変化が、湯の黄褐色や茶褐色を生んでいる可能性が高い。 透明な水が、地上で色を持つ。 松川で見た赤褐色の河床も思い出した。川と浴槽では条件が違うけれど


本が本を呼び人と人をつないでいく。10月8日(木)朝日新聞朝刊
本日、10月8日(木)の朝日新聞朝刊に、私の著書『いのちを呼びさますもの ―ひとのこころとからだ―』(アノニマ・スタジオ)をご紹介いただきました。 今回の掲載は、アノニマ・スタジオが昨年刊行した『読書のススメ』という企画が、朝日新聞に転載されたものです。 本を選んでくださったのは、ウェルカムグループ代表の横川正紀さん。 横川さんは、DEAN & DELUCAをはじめ、食、暮らし、デザイン、街づくりなど、さまざまな領域を横断しながら、日本に新しいライフスタイルや文化を根付かせてこられた方です。 単に商品やサービスを提供するのではなく、その背景にある思想や美意識、日々の暮らしを豊かにする文化そのものを育ててこられた。その姿勢には、以前から深く共感し、敬意を抱いていました。 そんな横川さんが、数ある本の中から私の本を選んでくださったことは、何よりもうれしく、感動的な出来事でした。 新聞には、こんな言葉が添えられています。 「人の体は約60兆個という途方もない細胞の集合体だそうだ。この本は生まれてから当たり前のように思ってきた自分の体に向き合うきっかけを


雷滝で水の風景の内側へ。
山田温泉、七味温泉と、松川の流域にある湯を訪ねる中で、雷滝にも立ち寄った。 長野県高山村、松川渓谷にある「裏見の滝」。 名前の通り、滝の裏側から流れ落ちる水を見ることができる。 滝の裏に入れることに、まず驚く。 滝が目の前を覆う水の幕になる。その向こうに岩や木々が見える。風景を見ていたはずなのに、いつの間にか、その風景の内側に立っていた。 圧倒的な水量だった。 絶え間なく落ちる水と、身体にまで響いてくる轟音。「雷滝」という名が、耳だけでなく、全身で分かる。 さらに印象に残ったのは、空気中を飛び交う水粒子だった。細かな水滴が光を受け、流れ、舞い、こちらへ届く。水は川や滝の中だけにあるのではなく、空気の中にも広がっている。周囲の空間そのものが、水のエネルギーで満ちているように感じた。 それは、落下する水が持つ力が、音や風や飛沫へと姿を変え、身体に届いてくる体験だった。 水には、いろいろなものを洗い流す圧倒的な力がある。 岩を削り、砂を運び、長い時間をかけて谷をつくる。その水の前に立つと、頭の中で繰り返していた考えも、日常の細かな気がかりも、しばらく遠


七味温泉「紅葉館」―山を下りても、温泉は身体に残っていた
軽井沢から菅平高原を抜け、車で約2時間。 長野県北東部、須坂市や小布施町の東側に位置する高山村の七味温泉へ向かった。(高山村役場に用事があったもので) 高山村は、里の集落から群馬県との県境をなす山々へと広がる村。その山あいを流れる松川に沿って、個性の異なる温泉が点在している。先日訪れた山田温泉も、この同じ流域にある。 山田温泉よりさらに上流へ、松川渓谷の奥へと入っていくと、七味温泉にたどり着く。 県境の山々の向こうには、万座や草津の温泉地がある。 信州の谷を奥へ奥へと進みながら、群馬の火山と温泉の世界にも近づいていたのだと思うと土地のつながりが面白い。 軽井沢から約2時間という距離なのに、ずいぶん遠くへ来た気がした。 谷が深くなり、日常の気配が少しずつ遠ざかる。温泉に入る前から身体の時間が変わっていくようだった。 七味温泉には、かつて「日本秘湯を守る会」の会員宿(七味温泉の渓山亭)もあったという。ここで感じる秘湯らしさは、道のりの先で、山と湯がつくる時間に身を置くことにあるのかもしれない。 七味温泉「紅葉館」の日帰り温泉を訪問(日帰り入浴は午前1


読むことは、生きること 米原万里『打ちのめされるようなすごい本』
ロシア文学への興味が深まり、その言葉や文化に通じた米原万里(1950-2006)の書評を読んでみたくなった。 ゴルバチョフやエリツィンからも厚い信頼を寄せられたロシア語通訳者である。言葉を通して人と人、文化と文化をつないできた彼女は、どのように本を読むのだろう。その関心から手に取った一冊だった。 まず、題名がいい。『打ちのめされるようなすごい本』。整えられた批評の言葉になる前の、思わず口からこぼれたような、生の言葉だ。本に出会い、心身を揺さぶられた驚きがそのまま伝わってくる。「すごい」という日常の言葉が、これほど強く響く題名も珍しい。 本書には、多彩な書評とともにがんとの格闘を綴った読書日記が収められている。読み進めて驚いたのは、読むことと生きることが、分かちがたく一体となっていることだった。 文学や歴史、言語をめぐる文章のなかに、時折、がんの治療法や医療情報が差し込まれる。そのたびに、読書の世界を自在に行き来していた言葉が、著者自身の身体へと引き戻される。いま何を信じ、どの治療を選ぶのか。情報を読むという行為に、自分の命がかかっている。その切迫


社会福祉法人チハヤ会設立60周年記念イベント:「「治る」からはじめるこれからの場づくり」
「治る」からはじめる、これからの場づくり。 10月16日(金)、群馬県みどり市で開催される社会福祉法人チハヤ会の設立60周年記念イベントに登壇します。 1日目のテーマは「にじみあってつながる地域のかたちとは」。私は、福祉・医療・芸術が出会うことで、地域にどんな「治る場」をつくれるのかをお話ししたいと思っています。 病院で治療を受ける時間も大切です。同時に、人が誰かと出会い、表現し、役割を持ち、自分の居場所を感じられることも、生きる力に深く関わっています。これまで私が医療や福祉、芸術の現場を行き来しながら考え、実践してきたことを、具体的な経験からお伝えできればと思います。 このテーマには、私自身の学びもつながっています。私は東京藝術大学の藝大DOOR・8期生です。 藝大DOORは、藝大生と社会人がともに「ケア×アート」を学び、多様な人が共に生きる社会を考えるプログラム。異なる経験を持つ人たちと学ぶ中で、芸術が人と人の間に新しい関係をつくる可能性を、改めて感じました。 当日は、東京藝術大学の伊藤達矢さんも登壇し、「文化的処方」をテーマに基調講演をされ


10/13『「道」とウェルビーイング』前野隆司 × 稲葉俊郎 × 針谷和昌(Online)
「道」とウェルビーイング。 久しぶりに、対話の場をひらきます。 茶道、武道、芸道など、日本で受け継がれてきた「道」。一つの所作を繰り返しながら、呼吸を感じ、相手の動きに応え、少しずつ自分の身体の使い方が変わっていく。伝統芸能や「道」には、過去の技を守るだけでなく、未来の身体をひらく可能性が満ちていると思います。 これまでも私は、さまざまな分野の第一人者をお招きし、医学や芸術、身体、そして「生きること」をめぐる対話の場を主催してきました。一人の知識だけではたどり着けないところへ、異なる経験を持つ人たちの言葉が重なることで進んでいける。その面白さを、久しぶりに皆さんと味わいたくなりました。 2017-2019年頃に慶応大学で主催していました。 第1回 道の学校は、2017/2/28の藤平信一さん(心身統一合氣道会会長)+佐々木隆道氏さN(プロラグビー選手)でした。 いま、私たち家族全員で取り組めることを、ということで、藤平信一さんの心身統一合氣道会で、合氣道を学んでいるご縁の不思議があります。 今回は、まずオンラインから再開します。...


トルストイ『人は何で生きるか』 愛を訳し愛を生きる
トルストイの『人は何で生きるか』を、北御門二郎の訳で読んだ。 映画『ドライブ・マイ・カー』をきっかけに移動中はチェーホフを読み直すようになり、ロシア文学に興味が向かった。そうして、トルストイやドストエフスキーを、学生時代以来20年ぶりに再読している。2024年からライフスタイルを大きく変えたおかげで、時間も心にも余裕ができてきたのだろう、と思う。多忙な時は本を読む時間がとれなかった。心の余裕と本の時間とは相関関係にある。もちろん本を読まなくても死ぬことはない。ただ、体だけではなく心にも栄養を行き渡らせるためには、芸術や読書の体験が深い心の支えになるのだ。 cf.●September 25, 2026 声の残る車、降りられない劇場 『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021) 靴職人のシモンは、寒さの中に取り残された見知らぬ男を家へ連れ帰る。自分たちの暮らしにも余裕はない。妻は初め、その男を迎えることに腹を立てる。それでも食べ物を分け、居場所をつくる。その小さな出来事から、物語は「人は何によって生きているのか」という大きな問いへ進んでいく。.


『フリーダ ~愛と痛みを生きた肖像~』フリーダは自分の人生を自分の手で描く。
カルラ・グティエレス監督のドキュメンタリー『フリーダ ~愛と痛みを生きた肖像~』を観た。 フリーダ・カーロの絵が好きだ。 武蔵野大学ウェルビーイング学部の「ウェルビーイングアート特論」の講義を担当した。健康と芸術、医療と芸術との関りを語るアーティストの一人でフリーダ・カーロを扱った。 彼女のオリジナル映画がAmazonPrimeで観れたのは驚きだった。 写真、絵、日記、手紙が重なり、すでに知っているつもりだった画家が、初めて自分の声で語り始めるように感じられた。 フリーダ・カーロは幼い頃にポリオを患い、18歳のときにはバスと路面電車の衝突事故で重傷を負った。その後も何度も手術を受け、装具をつけ、長い時間を痛みとともに生きた。事故は一度の出来事として終わらず、身体の動き方や、これから生きる時間のすべてに影響し続けたのだと思う。 《壊れた円柱》では、裂けた身体の中に折れた柱が立ち、全身に釘が刺さる。 医学なら痛みの場所や強さを尋ねる。けれども、あの絵が見せるのは、痛みを抱えた身体で世界を生きるとはどういうことか、という経験そのものだ。...