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体内と海底@サンシャイン水族館

池袋のサンシャイン水族館。

年間フリーパスがあれば何度でも行ける。

陸上生物とはまったく異なるライフスタイルの水中生物を見ていると、海から人間もやってきたんだなぁ、としみじみ思う。 水中では陸での人間の営みを、どう感じているんだろうなぁ。

水中は、まるで動物の内臓を見ているようだった。 きっと水中生物は、内臓を見たら海の中のようだと思うのだろう。

体を裏返すと海の中になり、海を裏返すと体内になる。

エイは空を飛ぶように泳いでいて、エイのえら呼吸を見ていると、おもわず自分も息が同期した。 動き方、呼吸法、姿形は違えども、生きている者同士、いろいろと勉強になる。

くらげを見ていて、村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を思い出しながら見ている人も、自分以外にひとりらいはいるかなぁ、と思う。

「ねじまき鳥クロニクル」が好きすぎて、血肉化しすぎていて、いつもリアル世界と重なりだす。 現実を夢のように生きて、夢を現実にように生きていると。

ーーーーーーーーーーーーー 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」より 「でもね、さっきじっとクラゲを見ているうちに、私はふとこう思ったの。私たちがこうして目にしている光景というのは、世界のほんの一部にすぎないんだってね。 私たちは習慣的にこれが世界だと思っているわけだけど、本当はそうじゃないの。 本当の世界はもっと暗くて深いところにあるし、その大半がクラゲみたいなもので占められているのよ。 私たちはそれを忘れてしまっているだけなのよ。そう思わない?  地球の表面の三分の二は海だし、私たちが肉眼で見ることのできるのは海面と言うただの皮膚にすぎないのよ。その皮膚の下に本当にどんなものがあるのか、私たちはほとんど何も知らない」

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水族館にて、どんな生き物もどんな環境でも必死で生きていることに直面すると、あらためて自分も日々を必死で生きなきゃな、と思う。

ーーーーーーーーーーー 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」より 「自分がいつか死んでしまうんだとわかっているからこそ、人は自分がここにこうして生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないのかな。」

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水族館を出た後の池袋サンシャインの吹き抜けで、山野楽器の音楽サークルのひとたちが合唱をしていた。

声をあわせる、という単純な行為は、音楽の根源にあるとても大切なものを含んでいると思った。純粋な声の力は、心を揺さぶるものがある。

ステージの奥には、都市のニューロンのような配電盤があって、これもひとつの人工生命だなぁ、と思う。 人間もこうして互いの体に電流が流れるように、電気的交流をしているんだろう。

合唱を聞きながらぼんやり配電盤を見ていて『羊をめぐる冒険』の一節が突然頭に浮かんだ。 深海の生物を長時間見ていたので、深いイメージが活性化されたのだろう。

ーーーーーーーーーーー 村上春樹『羊をめぐる冒険』 「ここでのおいらの役目は繋げることだよ。 ほら、配電盤みたいににね、いろんなものを繋げるんだよ。 ここは結び目なんだ。

だからおいらが繋げていくんだ。 ばらばらになっちまわないようにね、ちゃんと、しっかり繋げておくんだ。 それがおいらの役目だよ。 配電盤。繋げるんだ。 あんたが求め、手に入れたものを、おいらが繋げるんだ。」

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