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生きることの意味と命

ひさしぶりに白川静先生の著作を読み直しているが、いろいろとImaginationかきたてられる。 漢字って、まさにイメージ言語だ。

ことばには、空間も時間もない。 ことばを文字として形象化することで、空間を持ち持続するものとなる。

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サイは、祝詞を入れる器である。

サイの中にある祈りは、その器の中で、人に知られることなく保たれることによって機能する。

その機能を維持するために、器を守ることが必要とされた。

それでサイの上に、大きな方形の干(たて)を置いてこれを守る。 それが古である。

固のもとの字であるが、機能が久しく持続されることを古という。

祈りを硬固にとじこめることによって、祈るという行為が完結するのである。

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古と祈りとの関連性は面白い。

衣」があらためて人間の魂と深く関係していること(おそらく肉体を覆う境界の役割を果たすものだからだろう)。だからこそ、死でいのちを送る儀式(「たまよばひ」:招魂)のときにも重要であった、というのは発見だった。

--------- 衣は身を包むものであり、魂のありどでもあった。 衣は上衣の衣襟のところを示す象形字である。

白川静『漢字の世界2』 --------- 死者にはまず新衣を加える。 新衣をもって屍を包むのは、魂の復活を祈るものである。

死亡を卒という。 その字の形は、衣のむねのえりもとを締めて、 くくる形である。 おそらく魂の脱出を防ぐためであろう。

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哀哭の儀礼は、この衣に寄せて行われた。 そこに、死者の霊が移ったとされるからである。

哀は衣中にサイを加えた形である。 サイは祝告して、 霊の回帰をねがう儀礼であった。 哭はその祝告をならべて、犬姓を添えたもので器と同じ系統に属する。

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哀哭が終わると、 復、すなわち「たまよばひ」の儀礼をする。 死者の服を屋上に持ち上がって掲げ、衣で死者の霊を招きながら、 「ああ、某よ、復(かえ)れ」と 三たび大声で呼ぶのである。 衣は霊のよりつくところであった。 屋上での復の礼が終わると、その衣をまた死者の上にかける。 霊がもどってきたという、 模擬的儀礼である。

「たまよばひ」は招魂ともいう。

白川静『中国古代の文化』 ---------

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あらゆるものは生命の連続の中に生きる。 その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか。 そこに生きることの意味があるといえよう。

生とは自然的生である。細胞の活動に支えられるものには、すべて生がある。 自然的生の中では、生きることの意味は問われていない。 その意味を問うものは命(めい)にほかならない。 命ははじめ令とかかれた。

礼冠を着けた人が跪いて、しずかに神の啓示を受けている。 その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの神意であった。

のちにはサイを添えるが、その祈りに対して与えられる神意が命である。 生きることの意味は、この命を自覚することによって与えられる。 いわゆる天命である。

当為として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちにすでに存するものであった。

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生きることの意味と命との関連。

いろいろと考えさせられる。

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