桂諷會「源平屋島合戦」@国立能楽堂
文化は心の食事。心の食事は1日に最低3度、と心がけている自分としては、土日はいい食時間になる。
土曜は国立能楽堂に能を見に行った。 桂諷會の「源平屋島合戦」。
●能「屋島 大事/奈須与市語」はシテが長山桂三さん。
アイ(屋島ノ浦人)の野村萬斎さんの語りは、手に汗握る素晴らしい語り芸で鳥肌たった。
後シテの長山桂三さんは源義経の亡霊。義経はスーパースター過ぎるのか、能で義経がシテ(主役)というのはほとんどない(屋島だけ?)。
義経は、日本史の中ではそれほど大怨霊化はしていない、ということか?
兄である頼朝に追われる身になった義経は、戦の天才ではあったが、政治の天才ではなく、そこが兄の頼朝に追われる羽目になったから、日本史では自業自得、因果応報、とされているのかもしれない。
そのシテを支える小鼓の大倉源次郎さん(先日、富士山の日月倶楽部でご一緒させていただいた)と、大鼓の亀井広忠さん。二人の天才の火花散る鼓の対峙はすさまじいものだった。
獣の雄たけびのようにも聞こえる声と音を出す大鼓の亀井広忠さんに対して、その気迫に押されないように、それでいて気品と艶のある音を出し続ける小鼓の大倉源次郎さんとの共演は、きっとシテの長山桂三さんに鬼気迫る空間を作り上げていただろう。
源平最大の決戦である屋島の合戦が、いままさにここで繰り広げられているような熱演にしびれた。
●狂言「二人大名」は野村万作さん。
円熟味ある芸。当時の価値観を顛倒させ、かなりラジカルな批判になっているのだが、それを笑いというベールで大きく包み込んでいるので、不快な気持ちがそぎ落とされる。こういうのこそ、まさに芸の究みだろうなぁ。
最後は、 ●能「菊慈童」。
1週間前、実はこの能をそっくりそのまま夢に見たものだから、驚いた。
というのも、寝る直前に、妻が自分の枕をまたいだ。特に悪意もなく。ただ、自分にはそれが古代の呪術のように感じられて妻に注意した。その数分後には眠りに落ちたが、その時に見た夢が「菊慈童」そのものだったのだ。
この能は、中国、周の時代に、王の寵愛を受けていたものの「枕をまたいだ罪」で流罪・追放となった少年(菊慈童)が、山奥で菊の葉に法華経の経文を書き、そこから滴る雫を飲んだ不老不死となり、700歳になって生きつづけた精霊のような存在と出会う能だから。
自分の無意識が夢を介してシナプスを作り出して、夢という舞台で「菊慈童」を見せられた。ただ、枕をまたいだ、というだけで追放された(殺された?)児童は、菊という植物と仏教のご加護を受けて、地球が尽きるまで生き続ける精霊となった。
この不思議な能は、主役の「菊慈童」が延々と舞を舞う。
それはブレイクダンスとかヒップホップとか、そういう踊りではなく、異界と異界の鍵穴のねじを巻くような舞(旋回)の連続で、何かその舞を見ているだけで、異界のドアが開き、鍵が閉められるような不思議な体験をするのだ。
とまあ、こういう面白い演目を3つも見させていただいて、やはり能はいいなぁ、と改めて思う週末だった。