上田の夏
死者との距離が近づくお盆。 妻の実家、長野の上田へ。
背後に巨大なお山がそびえる風景は、こころの安定にもとってもいい風景だと思う。
人間や意味を超えたもの、そうした不可思議な循環の輪の存在から、贈与を受けて人間の暮らしはあるのだ、ということを体感として知るためにも。
雲も艶っぽい、いい形していたなぁ。
風穴。
天然のクーラー。
ここでも、お蚕様を育てた。
お蚕様の繭から絹糸をつくり、それが明治日本の近代化に大きな役割を果たした。
ただ、いまや蚕や絹糸、絹織物は大切にされなくなった。
ニーチェの「神は死んだ(God is dead)」は、他人事じゃないんだなぁと思う。
キリスト教での一神教の神と、日本での多神教のカミとは違う。
お蚕様にも神社があり、家では神様のように大切に扱われていたのだから。
野生ではない蚕は、生糸をつくるために人工的に改良され、もう野生では生きていけない、か弱き存在を人間の都合で作り出した責任があるからこそ、祖先は「かみさま」として大切にしたんじゃないのかな。人間の業を知るためにも感謝をするためにも。その通路として。
実際、蚕はこの世ならない存在の雰囲気を受ける。何か特殊な通路を通ってこの世にあらわれてきたように。
カイコの図鑑を読んでいると、
「交尾のあと、メスはその日の夕方から夜にかけて500個ほどのたまごをうみます。
成虫は、オスもメスも口はありますが、何も食べないまま一生をおえます。」
というくだりがあり、死を内蔵した生命という存在のかなしさが心に響くが、それは同時に存在の深さも示していると思う。
長門牧場(信州白樺高原)にも行った。
遊具とかあまり余計なものが置いてなくて、広いということを広さそのもので表現していて、それが良かったなぁ。
長野県上田市の山中にある「茶房パニ」という素敵なカフェでは(女神山ライフセンターが近くにもある)、アリシア・ベイ・ローレル(Alicia Bay Laurel)さんの3回目のライヴが8月25日にあるみたい。
素敵な自然と場所、風の流れや地のエネルギーが、気に入ったんだろう。ダイレクトにつながる人は、間の情報を介さないのでシンプルだ。ライブ、見れる人がうらやましい。
自分もアリシア・ベイ・ローレルさんの「地球の上に生きる」草思社 (1972年)のような、手書き手作り本をいつか作りたいなぁ、と思ってる。
自然が残されているところにいくと、人間以外のいろいろな生きものの声が、よく聞こえるなぁ。
生きようとしている姿は、人間と同じ。 生命の輪のひとつである、ということも、同じ。