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「今、生きる秘訣―横尾忠則対話集」

横尾忠則さんの「今、生きる秘訣―横尾忠則対話集」光文社知恵の森文庫(1998年)を再読。

横尾忠則現代美術館と宝塚の手塚治虫記念館に行き、その時にこの対談本を思い出した。 →○神の戸としての手塚治虫先生(May 11, 2019)

対談相手も刺激的な人ばかりで相当に面白い。

・岡本太郎(二十一世紀の芸術) ・今西錦司(目に見えない世界) ・木村裕昭(病いは心のアンバランス) ・島尾敏雄(夢体験) ・加藤唐九郎(土と火の対話) ・岩渕亮順(食物で運勢が変わる) ・川島四郎(生きる秘訣) ・山手国弘(カルマからの脱出) ・手塚治虫(宇宙文明の夜明け)

******************************** <レビュー>  ぼくはどこから来て、どこへ行くのか——。 つねに時代の最先端を疾走しつづけてきた画家・横尾忠則が、「生き方」について、漫画家、小説家など、あらゆるジャンルの“達人”たちと語り合った異色対話集。 「才能なんていらない」という話から、「運勢を変える食べ物」「創作をリードする夢」の話まで、生きるエネルギーが湧く不朽の名著。(文庫版解説:河合隼雄) ********************************

■岡本太郎(二十一世紀の芸術)

横尾さんが最初に買った美術関係の本は岡本太郎の「今日の芸術」だとのこと。 そして、三島由紀夫と並んで岡本太郎も尊敬しているとのことで、うれしい。

自分も、学生時代に岡本太郎「自分の中に毒をもて」を読んで、全身に稲妻が走り、会う人会う人に伝道師のように薦めてたのを思い出します。

岡本太郎の発言は彼の生き方そのもの。 常識や偏見を捨て、無条件に自由に生きる。子供のように自由に。生き様が結果として絵や芸術になる。

それは簡単なようで難しい。 だからこそ、その生きざまを貫いた岡本太郎はかっこいいのです。

------------------------------------------- 岡本『メディテーションというと普通は、静かに想念を深めること、たとえば御釈迦様が菩提樹に座って瞑想するような、ああいうのを考えるだろう。 だけどぼくのは逆だね。もっと爆発する、命を無条件におし開いていくことが、ぼくにとってのメディテーションなんだ。 無条件にね。だから創作活動におけるという風に限定するのは、なにかピンとこないな。 全体的に、あらゆる枠を超えて生きることが、ぼくにとってはメディテーションだね。』 ------------------------------------------- 岡本『今、人間でむなしいことはみんな商売人になっていることだね。 経済っていうのは金を儲けることじゃないからね。 人間がぎりぎりの物的その他の諸条件に生きることなんだ。』 ------------------------------------------- 岡本『生きる情熱、これがぼくはメディテーションだと思うね。 無条件だし、計算ずくじゃないわけだから。』 ------------------------------------------- 岡本『人間が生きてる命に筋(すじ)というのがあると思う。 その筋を生まれた時からずっと持ち続けてる人間と、しょっちゅう変えちゃったり、状況に応じて変えてしまう、そういう人間というのがあると思うね。』 ------------------------------------------- 岡本『人生、即、闘いなんだ。 生きること、即、闘い。 すべてと闘うというといかにも勇ましいように聞こえるかもしれないけど、一番の敵は自分自身なんだ。 だから、闘うということは自分自身と闘うこと。』 ------------------------------------------- 岡本『ぼくの今、自分自身に対して闘うということは、ひとりでに湧いてくる価値観を瞬間瞬間にぶっ壊してやろうってことですよ。』 ------------------------------------------- 岡本『僕は宗教っていう言葉が嫌いなんだ。 宗教って言う言葉ができたのはずっと後のことで、宗教が生活そのものだった。』 ------------------------------------------- 岡本『自分の存在とか、人間の存在を越えたものが宗教である、信仰であると思う。 けれども、自分を乗り越えたものは実は自分自身なんだ。』 横尾『自分が宇宙の中心であるということでしょう。』 岡本『自己の中心ってことは宇宙の中心である。』 横尾『イコールですね。』 ------------------------------------------- 横尾『他人の作品とか作家を認めるということは、あまりされないですか。』 岡本『認めたら他人じゃなくて自分なんだ。一体になるわけだから。』 -------------------------------------------

●思い出の日曜美術館「私とピカソ 岡本太郎」

■今西錦司(目に見えない世界)

今西錦司さんは、霊長類研究で世界的にも有名で、かつ登山家でもある。

こんなにもすごい学者、思想家、哲学者、実践家がいたのかと思うと、もう一度リバイバルが起きてもいい気がする。

自分も、今西先生のように山や自然や宇宙や・・・そういう壮大なものを常に心の中に、心の中心に据えるようにしている。そうすれば、自然に対しては謙虚で畏れを持つのは、ある意味では当たり前のことで。人間も自然や宇宙の一部。

------------------------------------------- 今西『今の科学時代ちゅうものはね、だれでもが触れるものとか見えるものとかね、つまり、五感で体感するもの以外は認めないという約束の上に成り立っているんだよ、科学と言うものは。』 ------------------------------------------- 今西『科学の世界からいうたら、普遍だと、万人に分かると言うことを前提にしているわけですよ。 ところが、ああいう奇跡というのは、昔の高僧とかね、いろいろな人がやってますけどね、それが自分でやらなくても同感するという心の働きが昔の人にあったわけや。 それが今は心が荒れてしもうて同感せんのや。』 ------------------------------------------- 今西『せっかく少年の時にそういう芽生えがあっても、もう大学にいくころには迷信やったと思うかもわからんね。それは大変な現代の教育の問題ですね。 だいたいさっき言うたやろ、目に見えん世界があってもええのや。』 ------------------------------------------- 今西『山はどういう風にええかということは難しい問題ですけどね。人によって違うだろうしね。 僕はやっぱり山というものの舞台装置の大きさやな。 そういう見かたを子供のときからしてきたために、人工物がひ弱く見えてしょうがないですよ。』 ------------------------------------------- 今西『山という存在はいつも心の中に存在してますけどな。 山には平伏して心服しているわけや。神として仕えているわけや。』 ------------------------------------------- 横尾『科学者が人間は「なぜ」という質問をあまりにも多く持ちすぎたというわけです。 そのために現代の文明を作って、そこから精神の荒廃が始まったというわけ。 「なぜ」「なぜ」という質問に科学が答えようとして、とうとう核を作ってしまった。』 今西『それをもうひとつ裏返すとやな、「なぜ」に答えられるものだけで築き上げたものが、今日の科学文明なんですよ。 それで「なぜ」に答えられんものはみんな捨てたわけやな。けど捨てられたものはどうしてくれるのやと言いたいねん。 捨てられるものの方が。多いと違うか。』 横尾『そうでうすね。東洋の考え方には「なぜ」っていうんじゃなくて、「あるがままにある」という見かたですね。』 ------------------------------------------- 今西『そやからね、ぼくが子どもの頃には、家の習慣で、なにかあると必ず神棚においてある火打石でパンパンと頭の上で火を出してくれたものや。 それから昔の修験者、それから山に入るマタギでも、水ごりっちゅうのをやるんやね。 滝に打たれたり、あるいは斎戒沐浴というのをやって入るっちゅうことは、どれだけ効果があるかわからんけどね、あれはやっぱり直感を鋭くするための効果があったんや、と僕は思うな。』 -------------------------------------------

●フーコー、レヴィ=ストロース、サイード、鈴木大拙、今西錦司

■木村裕昭(病いは心のアンバランス)

木村裕昭さんは、元々は外科医。 病気の原因も不幸の原因もこころの中にあるのだと気づいたとき、メスも薬も捨てた、とのことで、「新現代養生訓」啓文社(1986年)、「健康塾―病める心からの解放」創元社(1982年)などの著作を書かれている。

病気の捉え方は斬新で面白くうならされること多し。自分の考えに近い。

病気の捉え方は面白く、うならされ、うなずくこと多し。

------------------------------------------- 木村『病気が起こる原因というものが、その部分にあるんじゃなしに、どっかもっと別の世界、別の次元にあって、それが肉体に投影してくるのが病気であると、こう考えておったんですね。』 ------------------------------------------- 木村『病気と、それを起こす原因である感情の世界とを結び付けて見るようになってきた。 その辺は心のあり方といいますかね、性格が病気を作るのに大きな誘因になっている。』 ------------------------------------------- 木村『ものの考え方や性格を変えよう、変わろうという意識が働いている間は変わらないということ、ここに謎があるんです。』 横尾『そうですね。そこに意識が集中していくと、どうしてもこだわりになっていきますよね。』 木村『その通りです。潜在意識の中で変わらないということを認めているからです。 たとえば、治りたいという病気は絶対治らない。 治りたいという気持ちを完全になくしたときに、勝手に治って行くもんなんです。』 ------------------------------------------- 木村『過去の習慣とか、古い習慣とか、古いものの考え方、古い観念というものが通用しなくなったときに、初めて本来の力が発揮されるということです。』 ------------------------------------------- 木村『性格と言うものは心の癖なんです。人間はなかなか癖から離脱できない。 新しい癖をつけたら、古い癖は勝手に消えて行くよきよる。きわめて簡単なことやと思います。た とえば明日から頭を丸刈りにしてごらんなさい。それだけで気分が変わります。 真っ赤なは服を着てごらんなさい。そしたら明日から生きていく時に人とのコミュニケーションていうか、相手のあなたに対する態度が変わるから、相手の反応も変わるでしょ。当然受け取る想念の側が変わってきます。

だから、環境から自分が支配されているということが、そのときに分かるわけです。 そのうちに環境に支配されなくなってくると、自分の癖をあっちにやったりこっちにやったり、変えることができるわけ。 いろいろやっていると、そのうちに癖の意味が分かってくる。性格の意味っちゅうもんが分かってくる。性格がなによって由来してるかということが分かる。 そうすると、自分の癖を変えるんじゃなしに、見つめる事ができるわけです。 見つめただけで、癖は消えていくんです。 だから、癖を変えようと思ってる人は癖を知らないし、見つめていない証拠です。』 ------------------------------------------- 木村『瞑想とは何かっていうたら、concentration and meditationやと思う。』 ------------------------------------------- 木村『だからメディテーションの状態というのは、自分が呼吸しているんじゃなしに、宇宙の呼吸の中に自分の呼吸が一つに合体した感じ。 そのときには自分が呼吸してるんか、宇宙が呼吸してるんか、不即不離の関係になる。』 ------------------------------------------- 木村『完全なメディテーションてのは、明確に宇宙と自分がひとつになる意識を持って、そこで地球を思うんです。 あるいは宇宙を。完全な善を思うといいますかなぁ。』 ------------------------------------------- 木村『まあ言葉は想念から発しているし、想念は意識から言葉にも意味がありますけどね。 普通は言葉を意味の伝達として理解するでしょ。 言葉を波動としてなかなか人は受け取れないわけです。 あるキーを外させて、中の心を解放する波動であるという意味での言葉ならわかるんです。 つまり、意識波だと理解していただく方が結構です。』 ------------------------------------------- 木村『病気というものは自分の想念がぴたっと正常に戻って、もうこれ以上アンバランスの原因がなくなったとき、結果としてアンバランスは解消される。それを病気の治療と呼ぶ。治癒と考えられる。 病気治療と言うのは、ある意味では運命を治すことになります。』 -------------------------------------------

 

ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。(2008-10-24-FRI) にて、EGO-WRAPPIN'の中納良恵さんも、この対談本と木村さんのことを触れている!

――――――――― 「自分は絶対コレはいける」というのがありますよね? わたしやったらステージで歌える瞬間があって、 それがわたしの中では絶対という感じなんですよ。 人によってはそれが、 「パソコンいじらしたら、俺は絶対や」とか、 「接客させたら、わたしは絶対」とか、いろいろある。 その人にとってその絶対が「神」なんや、 というような話を木村裕昭さんというかたがされていて、 それがすごく印象的でした。

デジャヴとかテレパシーみたいなことって 科学的には説明できへんけど、 なんかある気がするのは、なんでやろ? というのはわたしも思ってました。 普通は「なんでやろ?」で終わるんですけど、 横尾さんは、そのなんでやろ? というところを 終わらせずに深く探っていくんです。

結局この本でもきっちり説明はできないんですけど、 話を聞くときの横尾さんがすてきなんですよ。 謙虚でありながら、高いところも見てはるような、 幅の広さが感じられるんです。 ようわからんでいる人にもちゃんと伝えたいから、 やさしい言い方をされているようにも思えるし。 だから、文章はすごく読みやすいです。 ぜんぜんむずかしくない。

仕事でしんどくなったときとかに、読みますね。 すごい先生にやさしく教えてもらっている感じで。 安らぎます。 もう、2回読み返しました。 ―――――――――

 

■加藤唐九郎(土と火の対話)

加藤唐九郎さんは陶芸家。 驚き、笑い・・・そういう自分の思考が介在しないような瞬間にこそ、人間のこざかしい考えが介在しない、自由で宇宙的なものができるんだろうと思った。

------------------------------------------- 加藤『陶芸に腹を決めるまで、いろんなことをやったが、やってもやっても道が開けないんですね。 迷い迷っていろいろとやっとった。 そのとき思ったんですが、世の中っていうのはいくら真面目にやっても誰も真面目を認めやしないと。 いくら何をやっとっても、けっきょく自分のやりたいことをやっとったほうが勝ちなんだと思った。』 ------------------------------------------- 横尾『創作っていうのは、締め切りが切羽つまってくると、なんて言いますか非常に孤独な状態になりますね。 社会性がまったくゼロになるわけで、時間が無くなってしまうとほめてもらおうとか、そういう観念が介在する余裕すらなくなってしまうんですね。 それだけに没頭するというか、無心の状態が来る。 だから絶体絶命の状態に自らを置くわけですね。 そうすると直観的ひらめきと言うのじか、天啓があるんですよね。』 ------------------------------------------- 加藤『自分の立場をあんまり考えて社会への影響とかを考え出すとだめになっちゃう。 自分の持っている物をありったけぶちだしてしまおうということより、しょうがないと思いますよ。』 ------------------------------------------- 加藤『結局、欲と言うものはどうしても捨てきれないけれども、努力によってある程度まで捨てられるということは宗教が教えてくれたんですよ。 自分の欲望が働くときに、そんなことは何も無意味なもんだという、一方から反省というか、なんか水をかけられるような気持ちが自分からしてくるんですね。 どうでもいいじゃないかという、そういう気持ちになれるものをいつも持っている。』 ------------------------------------------- 加藤『追い詰められた時は、考える余裕はないですからね。何かに驚くようなもので。』 -------------------------------------------

■川島四郎(生きる秘訣)

川島四郎さんは栄養学者、農学博士。 90歳過ぎまでナイロビなどアフリカへの旅行をし、現地に滞在して食事を研究された。

食生活は毎日のことだから、考える必要がある。 肉を食べたりお酒を飲むのは、ほんとはお祝い事や非日常のときだけだったんだろう。 ここぞ、と言う時に「宴」をやるからこそ、宴も引きたつ。 普段の食生活はつつましく質素に。

------------------------------------------- 川島『肉はほとんど食べません。相手の好意に対して失礼になると思った場合は別ですけど。 私はどんなに力があっても牛をねじ伏せて殺してその肉を食うだけの力がないです。 だから、わたしは今でも、自分の力でこれは採って食べれるかと自問して、食べられないと思ったら食いませんね。』 ------------------------------------------- 川島『象は木の葉を食べる。決してトンカツやエビフライを食べて大きな象ができてるんじゃないですから。 あの象が草と葉だけで生きてますよね。 そうするとライオン、トラ、オオカミのことを質問されるんです。 でも、ライオンは肉だけじゃないんです、草を食べるんです。 草食動物のはらわたに詰まってる、その半分消化してる草を狙って襲い、食べるんです。彼らが襲う相手は必ず草食動物なんです。』 ------------------------------------------- 横尾『川島さんのおっしゃる自然のルールに従った食生活を守る事は、つまりどういう風に生きるかってことにつながるわけで、人間が反自然行為をやってる以上は、精神的な面にも肉体的な面にも障害をきたし、いづれは自らを破滅に追いやっていくという、いちばん基本的な大事なことをおっしゃっているような気がするんです。』 ------------------------------------------- 川島『健康管理のためにジョギングをするのはナンセンスですね。 そんなことする動物はいないです。 わたしはアフリカであらゆる動物の生態を見ましたが、走っている動物は一匹もいないです。みんな歩くだけです。 走るのは、逃げる時と餌を採る時だけ、秒単位です。』 -------------------------------------------

■山手国弘(カルマからの脱出)

『現代ヨガの会』の主催者だった山手国弘さん。 宇宙とひとつになる感覚、梵我一如の壮大な思想体系を垣間見る。 ブラフマン(宇宙の根本原理)とアートマン(人間の再奥にある魂)がひとつである、と体感するためのヨーガ。知的理解ではなく体感として再確認する。ホームポジションに戻るように。

------------------------------------------- 山手『カルマというのは、実は偏りですね。 偏り、アンバランスのものをカルマと考えていいと思います。 ヨーロッパ流に言うとストレスとコンプレックスですね。』 横尾『つまり、反自然的、反宇宙的と考えていいわけですか。』 山手『はい。そこでバランスを保っていないと。 本来宇宙は宇宙エネルギーであり、宇宙意識であり、宇宙生命力であるブラフマンだけですから。 ブラフマンそのものは偏りも何もないですね。本来あるがままです。 そこに現象の生じたこと自体が、偏りではなかったろうかと思うんです。』 ------------------------------------------- 山手『(瞑想とは)あきらめることなんです。あきらめて眠りこんでいはいけない、眺めることなんです。』 -------------------------------------------

■手塚治虫(宇宙文明の夜明け)

「火の鳥」は未完で、だからこそ受け取った人がそれぞれで完成させる作品になっている。 対談の中で、手塚先生が「火の鳥」のラストを予言していたのには驚いた。 目の前に手塚先生がいるような臨場感、臨在感を感じた。

------------------------------------------- 手塚『お互いにプラスにするためのコミュニケーションみたいなものの働きが絵描きにはあると思うんです。』 ------------------------------------------- 手塚『人間が本来持っている原初の本質的なものに戻るということもあるわけです。 一つには宇宙主義みたいな哲学的な思想だと思うんですよ。 僕は月が征服されたりしたときに少しずつ目覚めてくるかと思ったら、軍備競争ばかりにこだわってできなくなってしまった。 つまり、宇宙開発技術そのものも一種の軍備というものに置き換えられてしまった。

僕は、宇宙に飛び出して地球を一つの個として考える時点になったら、全然今までとは違った思想を持った若者が増えていくと思うんです。 それは、民族、国家、イデオロギーを超越した大きなものですね。』 ------------------------------------------- 手塚『70歳なら70歳の中で、それを永遠の生きがいみたいなものに結びつけられる方法がないだろうかと。 それが「火の鳥」というマンガの結論になるわけですね。』 ------------------------------------------- 手塚『僕なんかもよく死後の世界のことを漫画に描くわけですよ。 いろんなことを描くんだけど、それを大衆的に説明するには、どうしても魂だとか、黄泉の国だとか、四次元だとか・・また描かなきゃ納得しないものだから描くわけでしょう。 だけど、今言われたように単純明快なもので真理が何かあるんじゃないかって気がするんです。』 横尾『子供とか、動物とかが持ってる感性に非常に近いものじゃないかなという気がしますね。』 手塚『シカがライオンに襲われるとき、死ぬときのシカの心理はどうなんだろうなんて考えるんですが、けっきょく何も思ってないんじゃないかって気がするんですね。 死ぬという意識もないんじゃないかと思いますね。』 横尾『生死を超越しているのかなぁ。人間もこの域まで達するとすごい。』 手塚『だから、それを究極的に仏教は説いてるんじゃないかという気もするんですよね。 そういうものを超越した生死観というかね。 ぼくは、生きているということと死ぬということを区別して考えるようになったのは、キリスト教から後のような気がするんです。』 ------------------------------------------- 手塚『たとえば原始時代なんか、洞窟の中でほとんど着るものを着ずに一生を過ごした原始人は、本当に動物のように死んでいったと思うんです。 来世を願いもせず、今世に執着ももたず、ああ、おれは死ぬんだとさえも思わずに、コトッといったと思うんです。 そういう時代に戻れば、まあ、戻りっこないと思うんだけど、そういう時代に戻れば、僕は人類は救われると思う。』 ------------------------------------------- 手塚『たとえば、インカならインカでも、我々よりも進んだ文明だったとぼくは思ってるわけ。 だってね、0.5mmの首飾りの玉があるんですよ。どんなに精巧な機械でも現在の文明じゃできないです。 それからこれも驚いたんだけど、0.3度の勾配で平原に傾斜をつけて雨が流れるようになってるわけです。 それから、頭に穴をあける手術とか。

それと、これは全く別の問題なんだけど、身障者が普通の一般の人間よりも尊敬されているという、我々にとっては異質な社会、こういうのは異質な分明ながらも、我々も高等と認めざるを得ないでしょう。』 -------------------------------------------

●あの人に会いたい 「漫画家 手塚治虫」

■文庫版解説:河合隼雄)

解説をまさか河合先生が書いているなんて! 一行の中に、色んな意味が多義的に含まれているよう。文章にとてつもない深みを感じる。

横尾さんの「夢枕―夢絵日記」っていうめちゃんこ面白い本にも、河合先生が序文書いてたたなぁ。

自分が死ぬ夢、自分で自分を死ぬ夢を見る人は珍しいとか。

夢の中で自分が自分を殺す夢っていうのは、自分も定期的にみているので、横尾さんとの共通点を見たようでうれしかったなぁ。

------------------------------------------- 人間「生きる」上において、科学的には理解できないことは沢山あり、それをみんな「捨てた」りすると、その人の人生の味は半減する。 それでは科学の捨てたものをどのようにして認識するのか。そこに人間の意識の問題が関係してくる。

われわれが普通に「意識」と呼んでいるのは日常的な意識であり、その判別力を先鋭にすることによって、人間は科学的思考力を持つことができるが、実はそれとは異なる意識があり、それを洗練していく方法として瞑想があると考えられる。 日常の意識と異なる意識状態(変成意識状態(altered state of consciousness:ASC))によって科学主義によっては見えない現実が見えてくる。 ------------------------------------------- 夢を見ようとすると眠ってしまう。 醒めていたのでは夢は見られない。 しかし、その中間地帯に瞑想があるのだ。

そうなると、「あるものをあるがままに見ながら、なおかつそのなかに命を感じること」(木村裕昭)という状態になる。 ------------------------------------------- ここで問題になっているのは瞑想の形式ではなく、その本質であり、それはその人の生き方そのものに関わらざるを得ないのである。 そこで、岡本太郎さんは『命を無条件に開いていくことが、ぼくにとってのメディテーションなんだ』『もっとはっきり言えば、無償、無条件な状況に自分を置くことがメディテーションなんだ』ということになる。 つまり、生きることの根本姿勢そのものである。 -------------------------------------------

●こころの時代 こころの居場所を考える 河合隼雄・頼富本宏 NHK 2001.5.13

●教育トゥデイ 河合隼雄 吉本ばなな (1) NHK 2000.1.8

●世界 心の旅 河合隼雄 「アメリカ 大地に響く癒しの笛」2000. NHKBS

 

こんな面白い本が648円で買えちゃうんですから(2019年段階です)、この世の経済原理というのは不思議なもんです。

しかも、会いたかった人とも本の上でなら自由自在に出会える。

太郎さんとの対談でも、太郎さん本人が「内容としては何百冊分」と言っている。 その通り!!!

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