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居合道の世界

May 14, 2019

14回目の道の学校@慶應大。今回は居合道の坂口行成龍凰先生。

江戸無外流という流派で、剣術と居合術の二つをあわせもった流派とのこと。

 

剣術は戦国時代の実践の術。
平和になった江戸時代以降、武士は失業。そこで生まれたのが剣術や武術をベースにした居合道などの世界。

 

 

坂口先生の居合の技術は、すごかった。
真剣で、一太刀ふる。刃筋が見えない。
TVの企画でスローカメラで撮った時も、刃先が当たった瞬間はあまりにも早すぎてカメラでとらえられなかったと。切り口もアートのように美しい切り口だった。

 

 

感じたこと。
武術や武道の本質は、エネルギーの扱い方にあるのだな、と。
エネルギーを一点に、一瞬に、集中させると、そこで驚くべき事態が起こる。
針先で刺すとなぜ血が出るのか。それは針先が細く細くなり、その一点にすべての力が集中するから。蚊が人間の皮膚を貫通させて容易く血が据えるのも、そうした蚊の身体性やエネルギーの使い方にあるんじゃないかなぁ。

 

 

とにかく。
居合の達人である坂口先生の刀の使い方は、衝撃波のように、一点、一瞬にすべてのエネルギーを到達させることにあるように思えた。そして、鍛錬や集中、すべてを一体として身体を使う体の技術。そうした総合力によりはじめて発揮できるものなのだろう、と。

 

 

 

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坂口先生の居合を見ていて、ふと思い出したのが、世界的指揮者であるバーンスタインと佐渡裕さんとの出会いのこと。

 

バーンスタインが、1985年に広島平和コンサートで来日した。
ベートーヴェンの《レオノーレ》序曲第3番の演奏前に、原爆の被害者に祈りをささげた。その祈りの姿に絶大な感動を覚え、佐渡さんはバーンスタインの指導を受けようと思い立った。タングルウッド音楽祭での指揮クラスに応募したところ無事に通過し、直接指導を受けれることになった。
ただ、英語を話せない佐渡さんは貝のように閉じこもってしまい、逃げ出したかったほどだったとのことだった。


その委縮した姿を見たバーンスタインの対応が素晴らしい。

「お前は能を知っているか。何種類のマスク(能面)があるか知っているか?」と突然聞かれたとのこと。


当時、能を何も知らない佐渡さんは答えることができなかった。
その後、バーンスタインから延々と能のレクチャーがはじまる。
役者が装束や能面をつける瞬間どうなるか。
松明による照明のこと。
囃子(楽器)の種類。
役者の所作の意味・・・など。

 

 

以下、佐渡さんの文章を引用


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○佐渡裕,高橋敏郎「バーンスタイン名盤100選―LPジャケット美術館2」新潮社 (2008年)より


そのうち、なぜか「握手をしよう」と言われた。
で、手を出したら「急ぐな。ゆっくり」と言う。

「目でわからないほどゆっくり、ほんの少しずつ、手を前に出せ。スローで。いや、もっとゆっくりだ・・・
どうだ、俺の手の平の熱を少しずつ感じ始めただろう。急ぐな。もっとゆっくり・・・」

つまり握手を能の精神でやるんです。
やがて、「パン!」と音を立てて二人の手の平が重なりました。
その瞬間、僕の身体中を電気が走った。
いままで集中して溜めていたエネルギーが、一瞬にして手の平を通じて二人の全身を貫いたような感じでした。

そしてこう言った。
「これが日本人の持っている特別な才能なんだ。
日本人のお前には、こういうことができるはずだ。
たとえば、マーラーのアダージェット(交響曲第5番第4楽章)などは、この精神で振れ」

言葉が通じない欧米人ばかりの中で、コンプレックスの固まりになっていた僕は、自分が日本人であることに誇りを覚え、いっぺんに自信を取り戻す事ができたのです。
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なんと素晴らしいエピソードだろう!!

 


バーンスタインの、クラシック音楽と能の間に橋を架け、佐渡さんの心を溶かした教えは、居合道に通じる話ではないだろうか。


達人は、理屈だけではなく、実際にやってみせる。理論だけではなく実践だけではなく。理論と実践とが高い次元で統合されているところが達人たるゆえんだ。

 

実際に生で見る体感にまさるものはない。
ほんとうにいろいろと驚きっぱなしだった。百聞は一見に如かず。

 

剣術も武術も、すべて戦乱の時代に生き抜くために命がけで人々が磨き上げてきた結晶。
戦乱の時代を生き抜いた祖先のおかげで、自分は生きているんだなぁと、改めて平和への思いを強くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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