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天地人

本妙寺に行き、自分のルーツを思い出しながら、先祖のお墓参りを。

その後、市内から植木方面に行き、寂心さんの樟(クスノキ:楠)を見に行った。

寂心さんとは、武将・鹿子木親員(かのこぎ ちかかず)(-1549年没)のこと。

寂心さんは文武両道に優れ、藤崎宮を含め神社仏閣の復興を支え、熊本城の原型となる隈本城を築いた人。加藤清正公(1562-1611年)が肥後に来る前のことだ。

石碑には、謡曲「桧垣」「藤崎」などをつくった人で和歌の名手とも書かれていて驚いた。

能の『檜垣(ひがき)』は、世阿弥作とされているが、この寂心さんも関係があるのかもしれない。

ちなみに、能の『檜垣(ひがき)』の舞台は岩戸観音(雲巌禅寺)。

ここは自分が中学生時代に毎日走りにいった金峰山の山中にあり、宮本武蔵が晩年に「五輪の書」を書き上げた洞窟でもある。宮本武蔵₍1584-1645年₎は、世阿弥や寂心さんの歴史を受け取っていたのかもしれない。

樹齢800年のクスノキは、熊本城や能や戦乱や太平や、、、、

根っこが寂心さんの墓碑を巻き込んでいるように、人類のあらゆる歴史を抱え込むように受け止めながら、人間の動向を静かに見守っているように見えた。

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