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絵本作家 五味太郎さん

warmerwarmer「古来種野菜食堂の100日」の一環で、絵本界のスーパースターである五味太郎さんと高橋一也のトークセッションを聞きに行ってきた。場所は吉祥寺の素敵なカフェ、キチム

(3/9(Sat)の夜に、同じキチムで高橋一也さんと対談することもあり・・・→詳細HP

五味さんの率直で辛辣で鋭い物言いに、高橋さんもタジタジと聞き役に徹していた。 というのも、五味さんは「間」が空くのが大嫌いらしく、間があかないように機関銃のようにしゃべりまくるのだ、とおっしゃっていた。間とテンポ、リズム、これはまさに五味太郎さんの絵本の神髄でもある。

五味さんの話はなんとも含蓄があり、強く響くものだった。 いろいろな示唆を受けたが、特に自分に刺さったのは、「好きなことをし続ける」という当たり前のメッセージだ。好きなことと仕事、そして生活すること生きることとをリンクさせていく。

好きなことをし続けたからこそ絵本作家になり、今でも好きな絵と好きな本を書き続けている。絵と本を足したから絵本だった。好きだからこそ、続けることができる。嫌いな仕事はしたくないが、好きなことだったら仕事であろうと何でも継続することができる。

仕事で嫌なことがあっても、うまくかわし、好きなことだけをチョイスして続ける。嫌なことはしない。それは単に我がままなのではなく、好きなことしか興味と関心を持って続けることができないからだ。ほかの人のアドバイスを聞くことも大事だ。ただ、最終的には自分の「好き」という感覚に忠実に生きていくことが間違いなく大事なこと。

違和感があること、やりたくないことは、闘牛士のようにうまくかわし、好きなことへと変換させていくことは創造的な生き方ではないだろうか。 嫌いなことの中に、好きになる種を少しでも見つけたら、その好きをやり続ければ、好きが育っていく。好きが嫌いを凌駕する好きな仕事へと育つ。

仕事の内容が普遍的だとか、グローバルでインターナショナルだとか、そんなことは後付けの屁理屈に過ぎなくて、自分がそのことを好きなのかどうか、ただそれだけのシンプルなことを続けたかどうかの結果論なのだ。好きな方向に井戸を懸命に掘り続けただけ。

絵本の世界は嘘がつけない。 子供は正直だ。退屈だったらすぐに絵本をバタッとしめる。 いいかわるいか、好きかきらいか、その判断はほんの0.2秒くらいだと思う。 その直感的なこどもの世界にいかに寄り添って生きていけるか。

それが、五味太郎さんの絵本が、大人にも子供にも愛され続けている理由だろう。

答えはシンプル。

この色が好きか、この線が好きか、このイラストが好きか・・・という、「好き」の果てしない積み重ねが、書き手にも求められ、読み手もそうしたことに呼応している。

五味太郎さんは博識だった。でも、知識をひけらかさず、完全に血肉化され、独自に咀嚼して生きていた。 今でも、絵本の紙の質をみるときに、紙をなめたり、かんだりしているらしい。

味覚や触覚、そうした「皮膚感覚」、「はだ感覚」を大切にして生きてきた人だからこそ、子供や大人の「はだ感覚」に訴えてくる絵本を描きつづけている。

人は、支配や管理や洗脳では変わらない。 人は、共鳴することでしか、根本的二じゃ変わらない。

五味太郎さんの生き様や絵本世界は、そうした共鳴による変化やつながりをこそ、感じさせてくれるものだ。

「俺は・・・運動、社会運動、政治運動、、、なんてものは大嫌いだ」と言っていた真意は、そうしたことにあるのだろう。

自分も、社会運動や政治運動ではない新しい形で、医療や医学の世界をよりよいものへ後押しする大河の一滴になりたいし、そうした勇気を頂いた気さえした。

 

最後のサイン会。

五味太郎さんに、息子の寿太郎(太郎つながり!五味太郎、岡本太郎の太郎つながりは自分のカリスマ!)の名前を入れてサインをもらい、感動だった。

写真も撮っていいよ、と言われたので、他の方のサイン中に撮影させてもらった。

五味さんの新作『つくえはつくえ』も、すごい。

こうして新作を書き続けることができる創造的な生き方は尊敬につぐ尊敬だ。

五味さんも言っていた。

「絵本は子供だけではなく、大人も両方が読むものだ!」

と。

銀座蔦屋書店さん(自分もいつもお世話になってます!)で、五味太郎×國分功一郎「絵本と哲学の話をしよう」というイベントがあり、自分も「いのちを呼びさますもの」を出させてもらったアノニマ・スタジオが主催のイベント。トーク内容、すごく面白いので、ご興味あればこちらのログも是非。

 

(ちなみに。長新太さんの絵本世界も、自分は大好き。

 絵本の世界は、すばらしい!!大人になってこそ分かる味わいというものがある。)

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