父母未生以前
銀座シックスと猪熊弦一郎さんとのつながりは、天才建築家の谷口吉生さん。
MIMOCA(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)も銀座シックスも谷口さんが設計しています。
では、坂本美雨さんと猪熊弦一郎さんとのつながりは、猫好き、だけ? いえいえ、そうではありません。
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自分が猪熊弦一郎さんの大好きなところは、岡本太郎さんと同じで、 芸術を生活に溶け込ませるためにパブリックアートにも力を入れたこと。
たとえば、三越の包装紙は、猪熊弦一郎さんとアンパンマンのやなせたかしさん(当時、三越のデザイン部にいた)の合作。 川に転がる丸い石を描いています。 きっと、路傍の石に真理を見出したのでしょう。 ゴツゴツした石も、急流にもまれていく過程で、丸い美的な石へと変貌していくことを。
上野駅にも猪熊さんの大壁画があります。当時、北国から東京まで、上野経由で出稼ぎに来る人たちを優しく見守るかのように。
自由(1951)
そして、三島由紀夫『仮面の告白』の装丁は、猪熊さんがしているのです! これは古書好きの自分は、よく知っています。 というのも、神保町の小宮山書店に(ここの三島由紀夫コレクションはすごい)、いつも仰々しく鎮座しているもので。
三島由紀夫『仮面の告白』の本を共同制作した編集者は、なんと坂本美雨さんのおじいさん、坂本一亀(かずき)さん、なのです!坂本龍一さんのお父さんでもあります。 当時、河出書房の名編集者でした。三島由紀夫と互角に渡り合うだけで、その力量はとてつもないものです。 なにせ、三島由紀夫に心理療法を行うかのように、この深い作品を無意識の暗闇から引っ張り出した編集者なのですから。
ちなみに、三島さんは 「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」 と、自身で『仮面の告白』を評しています。
ということで。
坂本美雨さんと猪熊弦一郎さんとのつながり。 そこには猫への愛だけではなく、時を超え、深く濃いのです。
自分は無意識で、三島由紀夫『仮面の告白』の装丁のことを触れました。 それを坂本美雨さんが発見したのです。
きっと、生まれる前、出会っている。
夏目漱石の『門』に出てくる「父母未生以前」という禅の公案をご存知でしょうか。
「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」とは、 「あなたが父や母から生まれる前、あなたは何者だったのですか?」 という哲学的な問いです。
この禅の公案に、猪熊弦一郎さんが関わっているなんて、素敵すぎる。
------------- 夏目漱石『門』
老師というのは五十格好に見えた。赤黒い光沢のある顔をしていた。 その皮膚も筋肉もことごとくしまって、どこにも怠のないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛みが見えた。 その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩が閃めいた。 宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」 と老師は宗助に向って云った。
「父母未生以前(ふぼみしょういぜん)本来の面目は何なんだか、それを一つ考えて見たら善かろう」
宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろと云う意味だろうと判断した。
それより以上口を利きくには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。
------------- やがて食事をおえて、わが室へ帰った宗助は、また父母未生以前(ふぼみしょういぜん)と云う稀有な問題を眼の前に据えて、じっと眺めた。
けれども、もともと筋の立たない、したがって発展のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。 そうして、すぐ考えるのが厭になった。
宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。 彼は俗用の生じたのを喜ぶごとくに、すぐ鞄の中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙を書き始めた。
まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲団の綺麗に行かない事、 などを書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆をおいたが、
公案に苦しめられている事や、坐禅をして膝の関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇しくなりそうな事は、おくびにも出さなかった。
彼はこの手紙に切手を貼って、ポストに入れなければならない口実を求めて、早速山を下った。
そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅おびやかされながら、村の中をうろついて帰った。 -------------
そんなこんなで、猪熊弦一郎さんという人は、ほんとうにあらゆる方面に影響を与えているすごい方。
徳のある方です。 あらゆる人が、いのくまさん、いのくまさん、と慕うから。あらゆるものを磁場のように引き寄せ、つなぎあわせる。
上野駅の壁画も、三越の包装紙も、三島由紀夫『仮面の告白』の装丁も、すべて1949年から1950年の作品。 当時、日本が戦争に負けて焼け野が原となり、すべての価値がひっくり返り、日本人が絶望していた時期です。
そのとき、猪熊さんは「美や芸術こそが、明るい灯をともし、希望を産み出す」と硬く信じていました。 そうした芸術への深く熱い思いは、ときどき語られる猪熊さんの行間に、にじみ出ています。多くを型r図とも。
今は物に溢れていますが、同時に何かを失った時代ともいえます。 いま、ほんとうに必要なものは、何なのでしょうか。
ジョンレノンは、当時NYで脳梗塞で病と共にあった猪熊さんに、ススキの穂を送ったりしています。ジョンはその数週間後に亡くなりました。 これもなんだか深い公案のような。命を渡すトーチのような。
すべては、ふかいところで何かがやり取りされ、受け渡され、時はこうして数百年、数万年、数億年、、、、の規模で続いているのでしょう。
夢の世界では時間や空間から自由になるように、それは無限のようで、一瞬のようでもあります。
美や芸術という衣をまといながら、「たましい」や「いのち」は、秘儀のように静かに受け渡され続けている。 それは、自分の意識をぼんやりと黄昏のようにしていると、景色のようにこの世界の背景に静かに存在していることが、なんとなく感じられるのです。