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温泉・銭湯という地上の極楽

先日、鼎談をした、銭湯「梅の湯」の壁にあった素敵な絵。

上の段が「うめのゆ」であることは分かった。

トークしながら、「これは東洋のタロットカードなんじゃないか」と思いながら、勝手にいろんな状況を妄想してしまった

。なんだか無意識が活性化される不思議な絵。センスよい。

この絵を大切に張り続けてる「梅の湯」さんのセンスも最高だ。

今度はお風呂につかりながら話したい(のぼせる?)。

銭湯:梅の湯 荒川区西尾久4−13−2

未来の医療の中心はお風呂場ですよ。

地方は温泉が、都市は銭湯が中心になります。きっと!

そんなことを自分の単著でも書いたので、最後に引用します。

 

稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ」アノニマ・スタジオ(→Amazon より 第三章 医療と芸術

 ギリシャの「エピダウロス」という場所には、古代ギリシャ時代の劇場が残っている。紀元前4世紀頃につくられた円形の劇場が当時の形のまま残っているので、「エピダウロスの考古遺跡」として世界遺産に登録されている。古代円形劇場という建築物が主に注目されている場所だが、実際に足を運んでわかったことは、場全体が総合的な医療施設であったということだ。  エピダウロスの地には温泉があり、演劇や音楽を見る劇場があり、身体技能を競い合い魅せ合う競技場があり、眠りによって神託を受けるための神殿(アスクレピオス神殿)もあった。そこは人間が全体性を回復する場所だからこそギリシャ神話の医療の神である「アスクレピオス」信仰の聖地でもあったのだ。 この神殿には“眠りの場”があり、訪れた人はそこで夢を見る。夢にはアスクレピオスが出てきて、夢を見ることで自分自身の未知の深い場所とのイメージを介した交流が起きる。聖なる場でのそうした夢の体験そのものが、生きるための指針や方向性を得るための重要な儀式的行為でもあったのだ。

こうした空間は芸術のための空間でありながら、同時に医療のための空間でもあると確信した。明治期にドイツから日本にやって来た医師ベルツも、日本では草津温泉などの湯治場が体や心を癒すための医療の場として機能していることを、驚きと共に医学専門誌で発表している。日本では多くの温泉が療養地として自然な形で愛好されているため、政府は温泉治療を進めていくべきであると力説している。

“温泉”という人々が自然に集う場に、このような劇場空間や芸術を体験する空間があれば、体だけではなく心の全体性を取り戻す場となり、現代の病院とはまったく違うかたちで健康を目指す医療の場となることだろう。

「病院」はあくまでも「病」を扱う場所であるが、江戸時代にあった「養生所」はまさに「生を養う」ための場所であった。「病」と闘うための施設としての「病院」を否定するわけではないが、病院をさらに補う場所として、「健康」「生命」「生」を養う場所が必要であると私は考えている。

古代ギリシャには、かつて温泉や芸術で生を養う場所があったのだ。その地は遺跡となった今も、我々に静かに語りかけているように見えた。今の時代に本質を受け取り、新しく意味づけられることを待っているかのように。芸術も医療も、それぞれが協力し合い、補い合う関係性が必要なのではないだろうか。

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