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3.11 見えないものに耳を澄ます

2018.3.11。

今日は東日本震災から7年。 津波で亡くなった方も多いし、原発の影響で、今でも3万人近い人が仮設住宅で過ごしている。

2018/3.11は六本木アートカレッジで発表だった。 14時46分を回ったとき、自分は黙とうした。

7年前、2011.3.11.14:46.

自分は治療室で極めて難しいカテーテル治療をしていて、動物性の食材を1週間は取らずに集中力を高めていた時期で、治療が終わった直後、高い集中と緊張から緩和されていた時期だったことを、思い出す。

眼をつぶると、自分の心の眼でしか見えないものが見えてくる。 そして、内なる声に耳を傾けて、耳を澄ました。 奥の奥の、さらに奥の暗闇まで。

どういう社会、どういう未来をつくっていくのか。 今まで、できてしまったものはしょうがない。 過去のことを批判するのはやめよう。 むしろ、感謝して受け取り、変容させることにする。

今までできてしまったものはしょうがない。 でも。 これからできていくものは、自分なりの責任がある。 と、決める。

3.11をそういう日と自分は位置づけた。

誰かが理想的な未来をつくってくれるだろうと思うのではなく、 自分が素晴らしい未来をつくることに関与していくのだ、と、

自分を当事者として巻き込む。

理想郷もユートピアも、どこか遠いところにあり、外から眺めるものではなく。 自分の周りにできていくもの。 そうすれば、動いても動かなくても、どこでもユートピアになる。

それぞれの人がそれぞれの人の周囲でユートピアを作っていけばいい。 動ける人も動けない人も、人間も動物も植物も鉱物も、有機物や無機物でも、全員がそう思える場所へ。

少しずつ、焦らず、振り回されず。 その軌跡が、一回きりの人生となる。 人生は、ほんとうに一回きりだ。

誰かと共同で何かを創っていく。 そのプロセスこそが大事なのだ。 必ずや、未知のものに触れているはずだし、そこにこそ未来への萌芽は必ずある。 芽や種を見逃さないように。

黙とうしながら目をつぶってしか見えないものを見て、沈黙でこそ聞こえる音に耳を澄ます。

ひとりでみる夢は夢のままだが、誰かと共有されると、それは現実になる。

六本木ヒルズの49階という非現実的な場所から、東京という人工都市を眺めていて、ふとそういうことが頭に浮かんできた。

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